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紛紅駭緑


がやがやと職員室が少しだけ賑やかになる。

その様子にふと気を取られて、ようやく今が昼休みであることに気付く。



いけない。ついまた周りが見えなくなってた。

ふーっと息を吐き、目元を指で抑える。

仕方がないのだけれど、来たばかりとなると、やはりやる事が多い。


こればかりは私がやらなければいけない事とわかっているけど、それでも多い物は多い。


あまり休み時間は取れないかもなと思いながら、傍から『昼ごはん』を出す。




「すみません。

ウキハ先生いらっしゃいますかー」




少し間延びした声が聞こえてくる。男子生徒の、少し低い声。その声に、ぴくりと身体が止まる。聞き覚えのある声、聞いたことのある声。聞きたい声。




「あ…こんにちは、集くん」




ちょっとだけ向き直って、彼の顔を見る。

座っている状態では彼の顔を見るには相当に顔を上げなければならなかったけれど、それはしかし、全く苦では無かった。



「ええ、どうも!これ、1年のノートだそうです。未提出の人の帳簿もここにありますから」



その大きな彼…古賀集くんは、そう言うと、とすんと机の上にそのノートの山を置いてくれる。ここまで持ってくるのは、意外と大変だから本当にありがたい事だ。




「ああ、ありがとう。助かります」



「いえいえ、ただ持ってきただけですし。…っと、ご飯の時間でした?邪魔しちゃいまいましたかね」



「いえ、大丈夫よ。どうせすぐ終わるし」




そう言うと、彼はじっとこっちを見据えてくる。なんだか少し居心地が悪いような恥ずかしいような気がしたけれど、しばらくするとその視線は私の手に向けられている事に気付く。



「……まさかなんすけど……

昼飯、それが全部じゃないですよね?」




彼は、ちょっとだけ青ざめた手でこちらを指さす。いえ、もっと具体的には私の手の中にあるカロリーバーと、机の横にあるゼリー飲料を指して。




「まさか!そんなことは無いわよ」



「そ、そうですよね…よかっ」



「流石にサプリメントは用意してあるわ。栄養のバランスは考えないといけないものね」



「……」



…あんぐりと口を開けている集くんの姿がいやに頭に残る。動揺が色濃く出たその姿だけれど、不謹慎ながら私はそれを少し、可愛らしく思ってしまった。


こんな顔も、するんだ。




「…ええと、集くんはいいの?

昼休み、終わっちゃわないかしら?」



ふと心配になり声をかける。

私なんかにかまけている間に、彼の時間は無くなってしまうのではないかという不安。

私に使っている時間は、無いのではないかと、




「え…あ、ああ。そうですね。

すいません、失礼します」




はっと正気を取り戻したかと思うと、その大きな体に見合わないくらいに、すごすごと静かに戻っていく。


そんな彼の後ろ姿を見て、口角が緩む。自然と笑顔になる自分をふと見返して、少し火照りながら首を横に振る。


誤魔化すように、サプリメントをじゃらりと幾つも飲んだ。水で嚥下をする。身体を上に伸ばすと、肩と首の周りがぱきりと音を立てる。



本当は、あまり良くないけれど。思ってしまうべきではないのかもしれないけど。

でも、あの子が来てくれて嬉しかった。

あの子の顔を見れて、喜ばしかった。


ほんの少しの休憩だけど、とてもリフレッシュになったようにも感じた。偏頭痛でこめかみの辺りがずきずきとするけれど、その痛みも少しだけ飛んでいったようだった。



さて、引き続き頑張らないと。

私は、私自身にそう言い聞かせる。

せめて今日言われた分くらいはやらなければ。あと、今渡して貰ったものの採点も行って、後はそうだ、帳簿に…






「…見てらんない…!」



…私は、そのまま仕事を進めていた。

これらの一連が、彼の心に一つ、ちょっとした火をつけてしまった事に気付かずに。







……






「…ただいま」



「はい。おかえりなさい、兄さ…

…どうしたんですか帰ってくるなり慌ただしい」



「鈴、ちょっと明日の弁当当番代わってくれ。

俺が作ってもいいか」



「?別にいいですが。明後日は朝から忙しかったりするのですか。…いや、まさか」


「…さては、『また』ですか」



「ああ。…『また』なんて言われるほどやってたっけ俺そんなに」



「…まあ別に止めはしませんが…押し付けになってしまわないようにしましょうね」



「うん、そうする。

…あれ、箱もう一つどこだっけか」



「以前大掃除の時にそこに…

そうそう、そこです。

ついでに色々と手伝いましょうか?」



「いや、大丈夫。

これは俺がやらなきゃいけない…!」



「また変なスイッチ入ってる…」








……





ずきりと頭に鈍痛、それに眉根を顰めると少しだけ頭がふらつく。鉄分不足だろうか。葉鉄のサプリを増やさないとかな。

本当はもう少し寝る時間を増やしたほうがいいのだけど、そうも言ってられなそうだから。



じゃあねウキハちゃんせんせー、と親しく呼びかけてくれる女子生徒に笑いながら手を振る。そういう風に、仲良くしてくれる事はとてもありがたい事だ。もう少し提出物をちゃんと出してくれれば言うことはないのだけれど。



ずき、と頭にまた鈍痛。ちょっとだけ辛いけれど、後でとりあえず頭痛薬を飲んでおこう。


授業も終わり、職員室に向かう。

ピルケースは何処にしまってたっけと思いながら、ふらつきそうな足元を、出来るだけそうならないように取り繕う。



人並みに、普通にやる事が出来てないんだ。だからせめて、普通程度に取り繕うくらいはちゃんとしないと。

そう自分に言い聞かせる。

せめて、人並みくらいには、ちゃんと。



そんな風に歩いていると。ある一人を見つける。いや、見つけるというよりは、どうしても目に入る。職員室の近くに、とりわけ目立つ大きな人影がうろうろと待っていた。


わからざるを得ない、と思うのは、その背丈からつい目に写ってしまうからなのか。はたまた、私が無意識に彼を探しているからなのか。それはもう、わからない。



「!居た居た、先生!」



「あら、どうしたの?ひょっとして待たしてしまった?…何か火急の用事?」



「いや、全然そう言うわけでは。

ただちょっと渡したいものがあって」



「…?」



手には、一つの少し小ぶりの巾着。それをずいと、少し強めに差し出してくる。

以前、彼がそのような態度の時は、私を助けてくれた時だったと、ふと思い出す。




「ええと…何、かしら」



「先生、これ、俺を助けると思って受け取ってください。食えないものあったら残しちゃっていいので」



「え?」



「弁当です。それじゃ、すみません!この後ちょっと用事あって!」



「え!?あの、ちょっ…!」




急にぐいと渡されて、そのまま礼を言う暇も無く走り去って行ってしまう。


「廊下は走らない!」とその背中に向けて言うとぴたりと止まって、代わりに早歩きで歩いていってしまった。



半ば呆然としながら私のデスクについて巾着袋を開く。そこには少し無骨な2段の弁当箱があって、開くと色鮮やかなおかずたちが顔を見せた。




「…!おいしい…」








……






放課後。俺はぐいと背伸びをした。

ぱきぱきとどこかが鳴る音。


今日は生徒会は無く、代わりに他部活の力仕事の手伝いをしていた。倉庫の整理などは埃っぽく、力も必要なのでやらずに放置されてることが多いから丁度よかった。


心地よい疲労を身体に感じながら制服に着替え直し、廊下に出る。




「あ、もし…」




弱々しい声が、話しかける声。そっちを向く。そこにはウェーブかかった髪の、女の人。

俺の知っている、先生の一人。



「あ、ども。ウキハ先生。

…その、さっきは…」



ちょっとだけ気恥ずかしいような、気まずいように思いながら首を掻く。言い切る前に、彼女はにこりと微笑んで巾着袋をすっと手元に出した。




「これ、ありがとう。

その…とっても、美味しかったわ」



「そうですか?それはよかった…です」



「ええ、綺麗に食べちゃった。弁当箱は明日洗って持ってくるので大丈夫かしら?」



「あ、はい、それで…」



「うん、わかった。

忘れてしまわないようにするわ」


「……なんだか、あまり元気が無いように見えるけど、何か気になることでもあった?」



「え、あー…」



「…ごめんなさい、私の勘違いね。

私いつもこうやって失敗ばかりで…」



「いや、違うんです!気になること自体はあるんですけど、その…言うような事かなーとも思って」



「どんな事?」



「いや…その、急に渡しちまってすみません。つい衝動的に作って渡したはいいんですけど、渡した後に冷静になって。他に昼食持ってきてたんじゃないかって思って…」



「あら、行動を移してから変なところを気にするのね。

…ふふ、大丈夫。先生とっても助かった」




力無く微笑むその姿は少し目を離せばくらりと倒れてしまいそうな程に見えて、不安になる。彼女はいつもあんなような食生活ばかり送っていたんだろうか。と、お節介な心の声が声を出してくる。



「心配をしてくれてる、の?」



「…そうっすね。

あん時もでしたけど、なんていうかすごく疲れてるように見えて…」



「ふふ、正直ね。

…その…それなら、なんだけれど」


「今からここの見回りをするの。

…本当に、もし良かったらだけど。

一緒に回ってくれない、かしら?」



顔を斜め下に逸らし、妙にバツが悪そうにぎゅっと苦しそうな様に言っている姿を見て、断れるわけもない。断る理由もない。

二つ返事で了承した。



静かな廊下を二人で歩いていく。

外は日が長くなり始めたとはいえしかし、それでもやはり日が落ちるのはとても早い。

窓の外はすっかりと暗闇だ。







……




きっと彼自身、やるべき事や、やった事は他にあるだろう。ただでさえ私の為に弁当を作ってくれたのに、更にこのような善意につけ込むような真似をするのは、とても情けなかった。


それでも、そんな想いをしてでも、彼と少しだけ話がしたかった。少しだけでいいから。




「今日は、本当にありがとう」



「いやいや、本当に自己満足でやっただけなので!むしろ俺が感謝したいくらいです」



「こら。感謝は受け取る時にちゃんと受け取らないとかえって失礼になってしまうわよ?」



「う。すみません、先生」



「ふふ。…無理をさせちゃったか不安だったけれど、その様子では大丈夫みたいね」



「ええ、手間は全然変わりませんよ。もしよければ明日以降も作ってきましょうか?」



「そ、それは流石に悪いな…!?それに、先生それに慣れちゃったらもう戻れなくなっちゃいそうだし」




…ほんとは、断らなければ良かったかな?なんてちょっと思ってしまいながらも、それでもちゃんと言わないと。

私なんかに使っている時間よりも、彼の時間は、彼の、彼が自分に使うための時間にしてあげたいから。



本気でそう思っているなら、この見回りも私一人でやればいいのに。そうわかっているし、思っている自分がいる。でもそれでも、この時間をそれでも確かに欲して、そして終わらなければと思っている自分もある。



くしゃりとした内面そのままに、今なら言えるかもしれないと思って口を開く。




「……浮葉先生、としてじゃなくて。私個人、浮葉三夏、個人として。お礼も言わせてください。あの時は本当にありがとうございました」



「…な、なんですか急に。

それに敬語なんて、そんな」



「…敬語は、これが最後ですから勘弁してください。一言、言いたくて仕方がなかったんです」


「あの日、私に手を差し出してくれてありがとう。今日も、私に手を差し伸べてくれてありがとう。私を助けてくれて、ありがとうございます」




あっけらかんとこっちを見る彼の顔に、また自然と口角が上がってしまう。きっと、呆れられたり、変に思われる事はわかっていた。私はそれでも彼にそれを言いたかったの。



「あの時の君は、わたしが教師だって知らないけれど助けてくれました。だからわたしも、君が生徒だと知らないように、礼を言いたいんです」



支離滅裂だ。

順序も違うし、理由も違う。

わたしの中でも無茶苦茶だとわかってる。

だけれどお礼を言わないと。


そのお礼は、してくれた事への正当な対価というよりは私自身の満足の為だとか、彼に対してこの心に在るあたたかいものを少しでも分けてあげたいというような、あやふやな考えからのそれだったようにも思える。

私には、もうわからないけど。



「…大層な事はしてませんよ俺は。

ただあの時、皆がやろうとしていた事をたまたま俺が先にやっただけです」



ちょっと寂しげにそう言う彼に、少しだけ影が落ちた気がする。その影の理由は私は何一つ知らない。



「…うん、『浮葉三夏』は終わり。

あとは『浮葉先生』として言うけれど、集くんはもっと自分のやっている事を偉い事だと認識した方がいいと思うわ」



「そう、ですかね」



「うん。私が保証する」



そう。こうして、幸福に溢れた私は、君がいなければなかったのだから。この心にほっこりとあたたかいものがあるのは、貴方のおかげなんだから。


だから、私が保証する。

貴方はとても、えらい人です。

それを貴方自身に認めて貰えたらいいな。




「さあ、そろそろ帰りましょうか。

ごめんなさいね、長々と引き留めて」



一言言って、彼の手を引く。

その手は少し冷たくて、そんな体温に少しどぎまぎとしてしまった。








紛紅駭緑。

美しい花が咲き誇り、風に揺れてる様。




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