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グリード・グリード・グリード



少しだけ前の話。古賀集が風邪をひき、学校に来なかった。ただ、それだけの時の事。



いつも後ろの席から見ている大きな背中がその日は朝礼の時間になっても来なくて、風邪で休みな事が担任から告げられる。


ボクはただ、ああそうかと思って、なら今日の業務はちょっとだけ大変そうだとも思った。あと少し理不尽に、許可なしに約束を破るなんて酷いなあなんてことも。



最初にどうもおかしく思ったのは、そのすぐ後の事。1限の時間中、もうとっくに頭に入ってる授業内容に退屈するように筆先を動かしながら視線を動かした。


動かした先には何も面白いものなどない。あるのはただ空っぽの席だけ。仕方無しに窓から外を見るが見えるのはせいぜい遠くを飛ぶ飛行機くらい。


授業内容が退屈であるというのは、まあよくあることだった。それでも真面目に受けることはしていたし、何より退屈凌ぎが最近は出来ていた。



退屈凌ぎ?どうやって?何をして。

自分の視線が自然と向かう先に、いつもある大きな背中は無かった。それは当然だ。



その先も授業は随分と時間が長く感じて、昼休みになった時はああ、ようやくかとすら思った。


昼休みになり、色々な子たちがボクの周りに集まってくる。単に慕ってくれている子、明らかに恋慕じみた目で見てくる子、面白半分で近寄ってる子、それをあしらってる内に本気になってしまった子。様々だ。


いつものように笑ってそれを受け流す。

笑顔を振り撒き、相槌を打ち、当たり障りのないように、瑕疵の無いように。



それを、『猫をかぶっているなあ』と遠巻きに見て、笑う君はいない。

そんな事わかっている。当然だ。

ただ昼ご飯は、酷く味気のないものに感じた。



午後が過ぎて、すぐに放課後になる。別段、何かをするというわけでもなく、差し迫った業務も何もない。故に生徒会の業務はお休み。


なのにボクは生徒会室に足を運んだ。

何かを期待しているかのように、何の意味もない場所に足を運ぶ。何が起こるわけでもないと頭では理解しきっているのに。


当然、誰も居ない。

カーテンを開けてみる。

少しだけ落ち始めた日の光が差す。薄ぼんやりとそれを眺めてから、戸締りをした。



ひどく久しぶりな気がする、普通の下校。


放課後に業務に残るでもなく、後輩のひさめちゃんと一緒に居るでもなく、学校の閉鎖の時刻まで共に居残った彼と、古賀くんと帰るでもなく……


ある女子生徒が帰り道のボクに話しかけてくる。取り巻きの誰かだったか。何と答えたかも覚えていないが、満足そうな顔をしていたし、まあ無意識に上手いことあしらったのだろう。



あしらう。あしらうか。

これまでも少し思ってなかったと言ったら嘘になる。でも、ここまで明確に思うとは。



つまらない。



ああ、こんなに色褪せてたかな。

この世界はこんなつまらなかったか。


笑顔を振りまく自分も学校教育も仲良くしてくれる誰かの顔も脱色剤を振り撒いたようにのっぺらぼうでつまらない、褪せた何かに見えた。


色が抜け落ちた、モノクロームな感覚が背筋に刻み込まれるようだった。




家に戻る足が随分と重々しい。

何が嫌という訳ではない。ただ、退屈で白黒の現状に身を置きたくなかった。


いっそ彼の家に行ってみようか?

いいや、迷惑はかけてしまいたくない。


もし嫌われたら?そう思うとゾッとする。



ゾッとする。ゾッとするか。本当にただ想像をしただけなのに、心から、本当に嫌だと思った。動悸までしてくる。汗が出る勢いだ。

さっきまで退屈に喘いでいたボク自身が嘘のようだった。




なるほど。よくわかった。

どうしてこうも世界がつまらなく見えたのか。


以前と、それらが変わったわけではない。

見る世界は何も変わっちゃいない。

ただ変わったのはボクの脳みそ。



ボクは、これしか知らなかったんだ。

色褪せた世界とつまらない白黒。これが当然であって、これしか存在しない世界だった。だからこそそれを漫然と過ごしていたし、それを疑問に思うことすらなかった。




キミと出会ってからだ。

ボクの世界の色は、キミにどんどんと色付けされていってしまった。


あの男がボクに笑いかければ風景が瑞々しく光り、あの男がボクに話せばそれだけで全てが美しく見えた。彼の話した事がボクにある退屈な世界を、面白く、彩色に塗れた世界にした。



知らなければよかったのに。こんなにも世界に色があったという事を、初めて知ってしまったばかりに。その色が無くなってしまえば、元の白黒になんて戻れやしない。

一度こんな贅沢を覚えれば、それまでに戻れる訳なんて、ないだろう。




部屋に戻り、ドアを閉じて寄りかかる。

メイドには当分一人にするように言った。




どくん。どくん。どくん。


何十キロも走ったように息が切れていた。


自己思索なんて幾らでもやっている筈。

なのに、そこに彼の事を混ぜる。あの不恰好で、不躾で、無遠慮なあの男の事を考える。


それだけで不思議なくらい息が荒くなる。鼓動が早い。顔が熱い。正気でいられない!

どく、どく、どく。

鼓膜に反響するほどの鼓動。



「はっ、はっ、はっ…」



喉を渇かせた犬のように息を切らしながら、ドアに背中をつけながらずるずると座る。

妙に疲れているが、しかし興奮状態でもある。その変な高揚に身を任せるがままに。



口が、勝手に引き攣る。引き攣り笑う。

爪が立つ。床にガリガリと傷がつく。





「……渡すもんか」



自分の喉から出たと信じられないような声だった。人のフリをした食屍鬼が出すような、惨めで穢らしい声だった。




たった、一日。顔が見えない。それだけでボクの中の彼の存在の大きさがわかってしまった。自覚をしてしまった。

もう、ただの好奇心の対象で済ませる事なんて出来なくなっている事を、まざまざと。




「やるもんか!

奪われてなるもんかッ!」



えくぼが出来るほどに顔を歪めて、誰に言うでも無く、叫ぶ。


奪われるもなにもボクのものじゃないだろ。頭はそう言う。だが心が奪われたくないと叫ぶ。



この感情は、反吐が出るほどの強欲。

救い難いまでのそれだ。


ああ、よくない。

何かを欲しがって、それが手に入ったことなんて一度もないんだ。



でも、でもなあ。

欲しくって欲しくって、たまらない。

だから仕方がない。仕方がないだろ?

誰か、そう言ってくれ。






……







放課後の教室の中に、二人の生徒が居る。

一人は座っていて尚、その背丈が恐ろしく高い。もう片方もそこそこに背は高い筈なのに、それをまるで感じさせないようなそれである。




「あっちい…」



「…暑いね…」




その背丈の大きい男が、だれるように言う。

するともう片方、赤い目の女もそれに同意するようにじとりと答えた。



しかし、暑いとは、些か季節外れな発言だ。外には木枯らしが吹き始め、気温は低下の一途をたどり続けている冬口にかかる秋。冬至が来るまで更に寒くなるであろう季節に、暑いと。  


その理由は、単純明快だ。




「…なあシド。暖房が不調ってもさ。

こんな暑くなることってあるかよ…」



「実際なっているんだから仕方ないだろう…」




学校全体で、冷暖房の調子がおかしくなっている。きっかけはそれこそ数日前。生徒会室で暖房が付かなくなってしまった事だ。


それに困り果て、誰もいなくなった彼らのクラス教室の許可を取り、臨時の仕事場として手に入れたまではいい。


だが問題は、そのすぐ後に教室のものもどうも調子がおかしくなったのだ。効かない事はないのだが、些か「効きすぎて」しまう。




「…かといって窓を開ければ相当寒いだろう。いちいち開閉をするのもキリがないしね」



「はあ…まあ、かじかんで手が動きにくいよりはマシだと思うかあ」



「ハ、ポジティブだね古賀くん」



「誰かさんのが移ったかもな」



「おや、それボクの事?

ならもっと感謝してほしいね」




他愛もない事を話し合いながら手元にある業務を終えていく。学外活動時等の報告書作成、予算編成、決算書作成、出金管理、エトセトラ。やる事だけは綿埃のように積もっていく。



ついさっきまでは村時雨ひさめも書記として頑張ってくれていた。だがもうそろそろ遅くなってしまうことも鑑みて先に帰らせたのである。


シドは、古賀にも先に帰っていいとも言った。だが彼は頑として聞かず、まだやると言ってここに居座って仕事をしてくれている。彼の「役に立ちたがり」は、と呆れるようだった。




外からは部活で走り回る声。恐らくはサッカー部だろう。掛け声が聞こえた。


だが、部屋の中には二人きりだ。

本当に、久しぶりの二人きり。



少女はほんの少し頬を緩める。

押し付けられた業務といえど、この為ならばそこまで悪くないと思えた。



「しかし、放課後に二人きりの教室…か。なんだか、随分と不思議な気持ちになったりしないかい?」




ぽつりと、視線を向けながら話す。

いつもの余裕ありげな笑みはしかし、どうも気怠げである。暑さのせいだ。




「あ゛ー…いつもならなったかもしれない

今はちょっとな……」



「……はあ、そうだね」



互いに、ぐったりと机に倒れ込む。

実際の気温はそうでもない。だが寒さの対策の為に着込んできた服が、彼らに反逆の徒となって牙を向き、不快感を出させて来ていた。




「…悪い、ちょっともう我慢出来ん。

少しだけそっぽ向いててくれ」



と、古賀青年が身体をもぞもぞと動かす。

すると上半身を少しはだけ、下に着込んだシャツなどを脱ぎ始める。本当ならば廊下やトイレなどで着替えればよかったのだろうが、長いことその空間に居たせいで、判断能力が摩耗してしまっていた。



ふう、これでだいぶ楽になった。

とそう着替え終える頃にふと、視線に気付く。赤い視線が彼をじっ…と見据えていた。




「じ、じっと見てんなよ…

ていうかまさか今ずっと見てたのか?」



「…キミなんでそんないい身体してるんだい。なんだかもったいないねえ」



「バッチリ見てたのかよ恥ずかしい!

そっぽ向いててって言ったのに!」



「ごめんごめん、つい」



そう笑顔混じりに返しているが、へえ、と興味深そうに視線を隠そうとしない。

見られて減るものではないとわかってはいるがしかし、気恥ずかしいのも確かである。



「…というかお前はいいのか?

なんなら俺一瞬出てくぞ」



「ん?んー…まあ大丈夫だと思う。体質的に汗あまりかかないんだよね。代謝が良くないのかも」



「汗かかないからって…

じゃあ尚更脱いだ方がいいんじゃ」




彼がそこまで言うと、彼女はにったりといやらしい笑みを浮かべる。

古賀はそれにぞっとする。彼は生徒会長のその笑みに負の信頼を向けていた。ロクな事にならないぞ、と。




「…へえ?

そんなにボクの事を脱がせたいんだ」



「……ッ!ち、ちが…

いや確かにそういう事は言ったけどそれは」





「えっち」




「……」




彼はそう言われ、静かに押し黙ってしまう。

それは糾弾をされたからではなく、ぼそりと呟くように吐息混じりに言われた言葉を蠱惑的に感じ、ついどきりと反応してしまったからだった。




「あはは、へーんな顔。

でも素直な古賀くんにはご褒美だ」




そう言うと、彼女はリボンに手を掛ける。

そして緩めて、折り目正しいシャツの、そのボタンを静かに外していく。




「…ほら、じっくり見てもいいよ?」



上から見下すように、首を上げて、鎖骨が白日の元に晒される。常に隠れている喉仏やそれらは、今はしかし2人しか居ない教室の元で、異性に暴かれているのだ。




「じょ、冗談にしちゃ過激すぎるぞ…!」



「冗談じゃないよう。大丈夫、誘っておいて、見たら怒るなんて真似もしないから」



「そういう問題じゃないだろ…!

ほら、俺廊下出てるから!」



「あっ…」




『あっ』とは。


声を出した直後、しまった。というように、シドが自分の口を押さえる。

その声を聞いて、古賀が振り返る。


そして、彼女をじいと見つめた。

それはさっきまでのような照れが入ったような風ではなく、まじまじと。



「お前…何かあったのか」



「……」


 

「…さっきのも、何か俺に伝えたりしたかったからなのか。たしかに、いつもと違うような気がしたけど…元気もなかったし」




そう言う、彼の目はもはや照れやそういったものはない。一つの事に気が入ってしまって、他のことには目がつかなくなっている。

何が、友達が困ってるのではという疑念に。



それを見て。

シドが肩をすくめる。

少しだけ、諦めたように。



「君はなんかこう…あれだね。悲しんだりすると寄り添ってくる大型犬みたいだ」



「犬かよ俺は!」



「よく気付くなあって褒めたいんだよ。

ひねくれた言い方になっちゃったけど」



「!じゃあ、やっぱりなにか…」




「…………んだよ」




ぼそり、と呟く声。

耳を澄ませたが聞こえず、聞き直す。

すると、更に顔を下に向けながら、言った。




「……淋しかったのさ」




「…は?」



「……だって、そうじゃないか。

最近キミ、ずっと他の子とばかりいるし。

特にあの雌牛みたいな奴!ずーっとキミに引っ付いてるし!なんだいあのキョリ!」



ぐいと、近づいてくるシド。

その手は古賀の首元に伸ばされ、彼の顔をぐいと自分の方に寄せている。




「め、めすうしってお前な…」



「……すまない、ちょっと取り乱してた」



ハッと、正気に戻ったように、距離を取る。先ほど外したボタンを止めて、リボンをつける。表情はいつもの如く冷静然としている。

が、耳がどうにも赤くなっている。きっと暑さのせいだろう。古賀はそう思う事にした。




「……ああ、情けないと思うだろうし、なんなら失望したかい?ボクがこんな人間だなんて」


「ボクも、初めて知ったよ。ボクがこんな幼稚な感情を抱くような人間だなんて」




少し、バツが悪そうに呟く。

その表情は、少しだけ、子供じみて見えた。

まるで、好きな物を買ってもらえずに拗ねている子供のように。


それを見て、古賀が少し笑う。

そして、言った。




「まさか!むしろ俺、嬉しいぞ?

お前にそこまで大切に思ってもらえてると思ってなかったし」



「それくらいの事なら、もっとちゃんと言ってくれよ。話も聞くし、俺が『なんでも』力になってやるからさ」



「…本当?」



「おう。…まあ流石に出来る限りだけど」




瞬間、背筋がぞくつく。

何か、取り返しのつかない事が起こったような感覚。目の前の少女から不気味さを感じた。気のせいだと、信じ込ませる。




「…へえ…本当に本当?

ボクの言うことを?聞いてくれる?」



「…お、おう。不安になる聞き方するな…」




「……そうかあ……」





きーん、こーん。

チャイムが鳴り響く。


それは、もう家に帰る時間という事の表し。




「…っと、引きとどめて悪かったね。

そろそろ帰ろうか」




す、と。

さっきまでとはまるで違うような。

いじけたような、それでいて何処か怖い。そんな雰囲気が一瞬で消えた。


そこにいるのは、余裕然としていて、微笑みの絶えない、いつもの彼女だった。




「え?あ、ああ…」



彼は急激な変化に置いていかれるように、教室を出るシドについていく。廊下の冬の空気は、下着を脱いだ彼の身に突き刺さるように冷たかった。







……





ああ、やっぱり。


ぜったいにわたすものか。


『これ』は全部ぼくのだ。

その視線から声から、なにもかも。

他の誰かになんてあげてやらない。


やっと決心できた。

誰かの許可なんていらない。

仕方ない、なんて言葉で誤魔化さない。



ぼくが、ほしいんだ。


強欲。強欲。強欲。

上等だ。


わたすくらいなら、どうなろうと構うか。

ボクも、ボクのまわりも、ぜんぶ。





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