ギブミー・オールユア・ラブ
天気のいい日だった。少しだけ風が強い代わりに日が燦々と降り注いでおり、秋口だというのに汗ばんでしまいそうな程。
時計が示すは待ち合わせ時刻の30分前。
少し早かったかもなと思いつつも、まあ待てばいいだろうし、もし遅れてしまった場合を考えると早く着き過ぎる方が余程良い。
と、そう思っていると。
「だぁれだ」
世界が暗闇に包まれた。
目の周りには誰かの体温。
「…約束もしてない人が俺みたいのに絡みにくる訳ないだろ。シド」
「ん、大正解。にしてもキミは相変わらずやたらにデカいねえ、目を隠すのが大変だったよ。もっとボクに配慮して縮み給え」
「無茶言うなよ!」
すっと手が退けられ、初めに目に写ってくるのはどきりとするような赤い眼。女性的なシンボルである筈の後ろに結ばれ長く伸びた髪は、不思議とマニッシュな雰囲気に貢献している。
そこには、私服姿の我が校の生徒会長が居た。
「結構早く着いたと思ったんだけどな。
待たせちまったか?」
「いや、ボクもちょうど着いた所さ。よくも待たせたなとキミをネチネチと弄ろうとしたのに、アテが外れたよ」
「あっぶね。早めに出といて助かった…」
こうなった顛末は、一昨日の事。金曜の放課後にいつもの如く手伝いをしていた時の事だ。
外も暗くなり、鐘が鳴ってそろそろ帰ろうかという頃。
急に、がしりと手を掴まれ、こう言われた。
『そうだ、今週末空いてるかい?
もしよければデートしようじゃないか』
恐らくは、何かしらの手を借りたいという事だろうな。そう理解し、そしてまた断ったらロクな事にならない事もわかった俺はその場で誘いをOKしたのだ。OKをした時、妙に喜んでいたのは少し不思議だったが…
「で?今日は何をするんだ?」
「おや、気が早いね。それほど今日を楽しみにしてくれたのかな。やぶさかでは無いなぁ」
そうニヤつきながら視線を合わしてくる。そして流れるように俺の手を取り、手を繋いだ。
指と指を絡ませるその繋ぎ方はなんというか、少し失礼だけど、蛇を連想させた。
「目的地はあっち。それともデートコースを考えてきてくれてた?それなら悪いね、今日はボクに付き合ってもらうよ」
「はいはい、何処へなりともお姫様」
「なんだいそれ」
くすりと二人で笑いながら手を引かれる。堂々と背筋を立てて前を歩く姿は凛々しく、改めて目を惹かれてしまうようだ。
そして、他愛のない話を少ししながら歩く事数分程。辿り着いた場所は映画館だった。
「へえ…なんか意外だな。なんかこういうのにはあまり興味無いイメージだった」
「実際見る事自体は少ないけれどね。だから今日せっかくだからと思ってさ」
館前のポスターには幾つもの作品が描かれている。CMでやっているような話題作。新進気鋭のアイドル達が出演している青春作品。名監督と噂されるアニメ作品。
俺自体まるでそういうのに詳しくはない事もありどれがどうだかというのはあまり判らないが、好奇心を惹かれるのは確かだ。
…だがこの場で最も関心を惹かれるのは作品ではない。シドがどのような作品を選ぶか、だ。趣味らしきものをあまり見せない彼女はどのような物を好むのだろうか?
「と、いうことで。
今回見ようとしてるのはこれだ」
そう言い、ポスターの前で止まる。
指を指した先にあるもの、それは……
「……これ?マジで?」
「うん、マジ」
「…………なんで?」
その作品はその……
…最大限オブラートに包んで言って、あまり完成度は高くなさそうだった。ポスターの時点でそれってどういう事なんだ。
「こういう時ってもっとハズレがなさそうな…それこそあれとか選ぶんじゃないのか。ほら、あれなんてCMでも見たぞ」
「ハハ、つまらないかもしれないものを大画面で見るからこそ楽しいんじゃないか。万が一にも面白かったりするかもしれないしね」
「万が一っつったか!?
万が一ならやめとかないか!?」
「もうチケット買っちゃったから無理」
「行動はええな」
…そうして俺はイヤにウキウキとしたシドに手を引かれて館内に入っていく。
薄暗い館の中は、案の定ガラガラだった。
まあ、ここまで来れば見るしかないだろう。
…
……
……うーん、なんというか…
感想を語れない。
それは勿論、素晴らしいからじゃなく、あの有様を表現するには少しばかり語彙が足りないという事だ。なんなんだあの横滑りするCGは。
「うーん、案の定相当つまらなかったねえ」
ストローでコップの中のドリンクを啜りながらシドがそう言う。ああ、そうそう。見終えてから俺たちはその横にあるカフェに入っていた。
「あ、よかった。やっぱりシドもそう思ってたのか。見てる最中すげえニコニコしてたからマジかよって思ってたんだけど」
「キミの横顔を見てるのが楽しくってね。
みるみる内に微妙そうな顔になってるの」
「いや映画見ろよ。
というか、シドはなんていうか…
…ああいう映画を見るのが好きなのか?」
「まさか。普段はもっと面白いものを見るさ。往年の名作であったり、新しいものもね」
じゃあなんで今日そのセレクトじゃなかったんだ。どういう事なんですか生徒会長。
「感性を育てるには、良いものだけを摂取しても不健全だ。特に芸術についての感覚は、いわゆる駄作を見る事で初めて育つものなんだよ」
「…なるほど?そういうもんか?」
淀みなく言うその言葉に納得しかける。
…いや、流されないぞ。その理屈が正しくても、俺を巻き込む必要の理由にはなってない。
なぜ、わざわざ俺を呼んだ?
「だってつまらない映画って一人で見るのは苦痛じゃないか」
答えは、呆れるほどシンプルだった。
「…お、お前なあ…」
「はは、冗談冗談!半分はね」
「半分は本気なのかよ!」
アハハ、と悪戯に笑う。その様子は邪気や含みの無い子どものような朗らかな笑みだった。
見たものがあまりにもアレであった事もあり、少しだけ文句を言おうとも思っていたが…
それを見たらそんな気すら失せてしまった。
いつも張り詰めたり、張り付いた笑みばかりしている彼女がこんなに楽しそうに笑うところを見るのは本当に久しぶりかもしれない。
それの役に立てたのなら、良かった。
…
……
「ああ、楽しかった!」
外はもう、夕暮れの日も殆ど落ちてしまいすっかりと暗くなっていた。風は相変わらず少し強く、吹くたびに髪が乱れる。
それぞれの手の内にあるものが飛んでいかないように気をつける。最後にと、歩き食いの為に買ったものを。多少行儀は悪いが、それを咎めるような人も居ないだろう。
「半分こしないかい?
せっかくなら甘いものも食べたい」
「俺もそれ少し食いたいな。
いいぞ、交換こだ」
そう言いながら手にあるたい焼きを半分にして渡す。代わりに相手の半分も貰う。
「…ふう。今日は急に呼んで悪かったね。そっちはどうか分からないけれど、ボクはとっても楽しかったよ」
「なんだかんだ俺も楽しかったよ。…ただ今度行く時はあんなんじゃないのを見てえな」
「おや、『今度』がある前提か。
これはこれは嬉しいね、フフ」
風が強く吹く。
髪を後ろに流れるようにたなびいたその頬が少しだけ紅潮しているようにも見えた。
「きっと、キミはよく知ってると思うけれど」
ぽつり、と語り始める。
俺はただ無言でそれを聞く
「ボクはまったくもって優秀だ。眉目秀麗にして成績優秀。人当たりも良く家柄も良い」
「普通自分で言うか?そういう事」
「フフン、事実だからね」
「……でもだからといって、弱みが無いわけじゃないし、あまり知られたくないシュミだってある。弱み云々じゃなく、プライベートはあまり知られたくないし」
「そりゃ、そうだろうな」
「わかるかい?ボクは今日、キミとそういう弱みを共有させてもらったのさ」
「さて。それが何を示しているかわかる?」
…
……
ボクは彼の何も知らない。
例えば、今ボクの手にあるたい焼きの半分。
餡が多く入った胴体を渡されたのは、彼なりの優しさなのかもしれないし、単純にカリカリしてて尾っぽ部分が好きなのかもしれない。最近のたい焼きはしっぽまで餡が入ってるから気にしてないだけかもしれないし、無意識に自分などが優先されるべきじゃないと思ってるのかもしれない。
当然答えなんてわからないし、敢えて聞く事でも無い。なんなら、聞いた所で無意識であったならば答えは出てこないだろう。
問題はたい焼きの事じゃない。ボクはそんな程度のキミのことすらわかっていないと言うことだ。
でも、知りたいじゃないか。
気になるし、何よりやきもきする。好きな人の事に付いての全てを知りたいなんて傲慢かもしれないけれど、当然の事じゃないか。これを傲慢と貶すなら、それこそ傲慢じゃないか?
だが、どうしよう。
全てについて教えてくれ、と言われてハイどうぞと教えられるようなものではない。
少し、考えた末に。
まずはボクの事を知ってもらう事にした。ボクの弱い所、ボクの本性、ボクの心。
じっくりと知ってもらおう。そうして彼をボクの色に染め上げてしまおう。そうすれば彼の事をすぐに理解できる。教えてもらうでもなく、彼の全てを理解できるじゃないか。
そう、思ったのだ。
結果的には、むしろ逆にボクが彼の色に染まってしまうかもしれない。その時はまあ、それで良いな。
もし彼がそれらを、ボクの立場が悪くなるように使ったりしたらと、考えもした。ただまあ、そうなったならきっとそれはボクが悪いんだろうし。そうなったにしても彼がこっちを向いたという事だから、あまり悔いは無いし。
「さあ、何を示してると思う?」
きっと答えられないだろう。
だがそれでいいんだ。今はまだね。
「…俺の弱みも知りたい、とか?」
「ハハ、それもいいね!
どっちかっていうと、目的の一つかも」
「ならいいぞ。
今すぐにとは言わないけど、教えるよ」
おや。
「…簡単にそういうことは言わない方がいいんじゃないか。言質を取ったと騒ぐかもしれないよ」
冗談のつもりでそう言う。
それに帰ってくる言葉が、虚をついた。
「いいよそれくらい。
…自惚れかもしれねえけどさ。そうしてる時のお前、すごく楽しそうなんだよ」
「…俺、嬉しそうに笑うシドが好きなんだ」
そう、笑う。
…唖然、呆然。
つい何も出来ないまま立ち尽くしてしまう。
馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさかここまでとは。行動の予測なんて立たない。理解なんてできない筈だ。彼の行動はいっつも予想の外から来る。
だからこそ。
「…シド?」
「…あ、ああ。いや、ごめん。ぼーっとしてた。流石にそろそろ帰ろうか。…質問の答えについては考えておいてくれ給えよ」
「ん、ああ。そうしとくわ。
正直全然わかんないし」
一際強く、また風が吹いた。
いやに熱い頬に、丁度いい冷たさだった。
(……『理解』なんて)
…やっぱり、やめだ。
理解できないキミだからこそボクは惹かれたんじゃないか。ボク色に染めるなんて、今日に見た映画よりもよほどつまらない。
「…だから、半分こだ」
「ん?」
「いやね。勝手にとはいえ、ボクの事を教えたんだ。だから今度は古賀クンの事をもっと教えて欲しいな」
「代わりにって…
教えるような事もないと思うぞ?」
「キミにとってはそうでも、ボクにとっては違うのさ。さあさあ、頼むよ」
そう笑うと、困ったように微笑みながら古賀くんは辿々しく話始める。
ボクらは道をゆっくりと歩きながら話し、話されを繰り返していた。
ゆっくりと静かに。
この手の中にあるもののように。
さあ、半分こ、しよう。
そして願わくば。その半分がそれぞれの全てになる日が来る事を。
想いの全てが、渡される日が来ることを。
傲慢を軽く咎めるように、風がまた強く吹いた。
火照った身体に心地良かった。