プラス・アフター・プリンス
「お邪魔します…と、どうやら誰も居ないみたいだね」
「だから言ったろ、俺以外は多分帰って来てねぇぞって」
体躯の大きな青年と、目の赤い少女。
それぞれ、古賀とシドと言う。彼らは、前者の青年の家へ赴く事になっていた。
特に何かしらの理由がある訳では無い。
ただ、しかしこの状況は、以前に一度少女の方の家へと赴かねばならなかった事に起因している。
生徒会活動においての手伝い、その為に一度、青年を呼び寄せたのだ。ともすればそれは、ただの口実であったかもしれない。
ともあれ、一度来たのだ。
その時の事は今でも思い出せるようだった。
『でけぇ家。
なんつーか…金持ちなんだな』
『そうかい?普通だよ』
『うわっ金持ちっぽいセリフ!』
他愛のない会話すら記憶に焼き付くほどにその光景は驚くものだった。
だがしかし、まるでそう言った事については触れようとしない少女を見て、殊更に話題に出すのも失礼であるかと心に留めた。
広く、綺麗な部屋で気遅れはしながらも、しかし手伝うと決めた事くらいはと手伝う。
中途、所謂女給がお茶を出しに来た時もまた驚いたが。シド当人曰く、これもまた普通だろうと言う。
ともかく、仕事は終わり、帰ろうとしたところ、折角ならゆっくりしていきなよと引きとどめられる。
そして、少女はこう言った。
「ボクだけ家を見られるなんて不公平じゃあないか。この偏った天秤を公平に変えてみるつもりは?」
と、押し通すように家に行ってみたいという案を出され、そして押し切られてしまった。
というのが、今の状態の顛末である。
「んでここが俺の部屋だ。
…つっても面白いものはないけどな」
「本当だ…なんというか思ったより簡素だね。折角ならもっと話題になるものを用意しておいてくれよ」
「無茶ゆーな。
急に来られたのはこっちだぞ」
クスクスと、何かがおかしいように笑いながら部屋の中へ座る。洒落込んだ椅子なども無い為、クッションの上にそのまま座り込むがしかし、その様子はあくまで上品だ。
「…マジでここで業務作業やらやるのか?
ぶっちゃけ冗談のつもりだったんだけど」
「おやそうかい?だが言質は取ってるからね。残念だけど撤回はさせないよ」
「まあ全然いいけどよ。
門限とかはそっちは大丈夫なのか?」
「ああ。なんとでも言いくるめられるさ」
事もなげに、そうすんなりと言い放つシド。どうもそういった事には慣れてるらしく、良心の呵責等は表情には無い。
「しかしここ狭かないか?あの部屋が根底にあるってなると」
「いやあ。学校の教室と家を比べああ、部屋が小さいなぁ、とはならないだろう?」
「そりゃそうだが、それは校舎と家だからであってこの場合は…」
「いいんだよ、どれにせよ気にならないって事なんだから」
「ならいいんだけどな」
「しかし、いいじゃあないか。
君の言いぶりからも君の家族が暖かいものだって事がよくわかる」
「…そっか?普通じゃないか?」
「普通か…あんまり、ボクはそう思わないな。片方を持っていれば、片方が持ちにくいシステムでもあるんだろうか」
しんと、会話が途切れて空気が冷え込む。
先程までの藹々とした雰囲気は、どこか下火となり、そして少女は次第にそれに気づく。
珍しく、ハッとしたような。
『しまった』と言うような顔をした。
「ごめん、軽率だった。そういうつもりは無かったんだ。二度と言わないから許してくれ」
「うお、なんだ?何に謝られてるんだ俺」
「…あれ?図らずもその…君の家についてを馬鹿にしたニュアンスを出してしまって、それについて君も怒ってるだろうと思ったんだが…」
「いやいや、全然そんなん感じてないって!
ていうかあれと比べりゃそりゃ馬鹿にもされるレベルだと思うし。
俺がその…黙ったのは…」
古賀はごにょごにょと語尾を濁して、言いにくそうに顔を顰める。赤い目はそれを見てようやく得心がいったように、ああ!と手を叩いた。
「違う違う!『そういう話』じゃあないさ!別にネグレクトだとかそういうものは受けちゃいないよ。ごめんごめん、確かにそういう事も邪推させるような言いぶりだった」
「ああ、そっか!ならいいんだけどさ…」
「うんうん。ボクが言いたかったのはその…なんていうかね。あまり顔を見る事が無かったり、常に模範足るように言われる事が何かの上に立つには必要であって、それはつまり、それが無い人との幸福とのトレードオフなのかもしれないというか」
「なんて。ハハ、イヤミっぽいかな?」
「……」
「…ぜんっぜん」
「そうか、いやあ気を悪くしないでくれ。
こんな事で友達を失うなんて嫌だからね」
「……疲れないのか?そんな…」
「うーん、あまり考えた事は無いけど。
…でもそうだな」
「……少し、疲れたかなぁ」
突如、青年が自分の頭を抱え込む。
唐突で急激な動きだった。ガタンと音がし、シドも珍しくそれに驚く。
「ど、どうしたんだい。頭痛かい?」
「……ぜんっぜん、『そういう話』じゃねぇかよ。それに、散々俺に家でかいとか言われた時、なんで怒ってくれなかった。お前にとって気持ちいい話題じゃないだろ?」
「え?まあ…別にわざわざ言うことでも無いし、それでキミの機嫌を損ねっ!?」
その珍妙な言葉の切り方は当然彼女が意図したものではない。が、しかしそれは目の前の青年に肩をがしりと掴まれた際の不可抗力であったと言える。
「いいか、シド!確かにキッカケはお前に言われたからだが、それでも今、俺はお前の力になってやりたいと思ってんだよ!」
「あ、ああ?それは、ありがとう?
にしてもこの手はあんまり紳士的じゃ…」
「俺に隠すな!少なくとも、これ以上俺のせいで疲れたりなんかするな!頼むから、お前のその重苦を少しでも背負わせてくれよ!」
「…!それはまた、変な事言うね。
それじゃまるで、ずっと一緒に居なきゃならないみたいじゃないか。なんて…」
「居てやるさ!ずっと、横にな!」
「…!?」
「…勿論、お前が嫌じゃなきゃだけどな。
頼むから、俺にお前を助けさせてくれ」
「嫌では…いやでもそんな急に…!」
「なら、背負わせてくれ。
お前と一緒のものを、出来るだけ背負う。
だから一緒に居させてくれ。シド」
「………はい…」
一先ずの静寂と、少女のその眼のように赤くなってしまった顔を見て、ここでようやく古賀は正気付く。
肩を掴み、あまつさえ距離がひたすら近い。
自分でやっておいて、なのに狼狽したようにその状況から脱する。
「……わりぃ、熱くなりすぎてた。
肩痛くないか…っていうかその…
いや、本当にごめんなさい」
「…本当だね。
いや、疑うわけじゃあないが…」
「へ?」
「今言った事だよ!
…ふふ、凄い大口上だったじゃあないか。まるで演劇に出てくる王子様のようだったよ」
「茶化さないでくれよ。俺もちょっと熱に当てられてたんだ」
「いやいや、茶化してなんかないよ。本当にそう思ったのさ。
…オーケー、キミの気持ちは良くわかった」
ついでに自分自身の気持ちも、とボソリと付け加えたそれは青年には聞こえなかった。
しかしこれは聞こえなかった古賀を責めるより、聞き取らせない程度の大きさで呟いたシドを称賛するべきだろう。
「頼りにしてるよ?『王子様』」
「うう、勘弁してくれ…」
空間にはさっきまでのような団欒が戻っていた。赤く染まっていた顔色も、既にもうなくなっている。
だが一つ。少女の心には、先程まで確たるモノとしてなかったものが在った。
抱き締めている事の出来ぬ、しかし愛しいモノ。初めて手に入れたモノ。
……一方。
古賀宅から200m程離れた歩道にて。
古賀鈴は友人とも別れ、兄の顔を見る事を楽しみに一人、帰路についていた。
その後がどうなったのか。
それはまた、混沌の中……