夢の跡形
ちりんちりんと、雲水さんの鈴の音。
夏が来て、無情を感じる、雲海まさに怒涛の如し。
眠る暇なく、道に寝そべる猫のあくび。
木々の間の木漏れ日に目を顰めると、鬼退治へと出かける鬼やらい。
黒い物の怪、能わざる如し、夢のまにまに、総じて悪夢の如し。
鬼やらいの通った後を、風が吹き抜け、風鈴の音が、幽かに、軽やかに。夏きたる。
夢の後先。藻屑の綺羅星。退廃的病院の、白衣に沁み込んだモルヒネの馨り。
麝香猫の三日月瞳に、抹香鯨の龍涎香。仏壇の上の千手観音の阿波踊り。
南無阿弥陀仏と、嗤う羅漢さんの並ぶ山寺に、成吉思汗の昼食は、毒。
縁起、無我、無情。儚き此の世に、産まれる嬰児のおぎゃあという魂を呼ぶ聲。
枯れた向日葵が、夏の終わりを告げる。
どうしようもなく、悲しいんだ。アイロニー。夢の跡形。夢の幻。
あの部屋で、女はいつまでも、髪を梳かしている。
来ない男を待って、髑髏になって、春先に彼岸桜の舞い散るその部屋で、事切れる。
死骸を誰が拾うだろう?夢は枯野を駆け巡る。
滂沱の涙に、ちりん…と、風鈴の音。
今年も夏が来る。
遠い日差し。夢の跡形。
あの泡のような日々は、いつのことでしたっけ。
あの線路には、遠くまで秋桜が咲いていましたよね。
夏には、少女が向日葵片手に、宿場町を歩んでいる、夏の亡霊。
は、と夜、目が覚めたら、やけに水が飲みたくて便所のあたりで、
お坊さんの幽霊が立っていて、六文銭を寄越せと云う。
夜の灯りは、母の顔。見知らぬ街で居酒屋で、お酒を飲んでいる母の顔。
外灯が子守唄を唄って、揺り籠の中の嬰児に囁く。
居酒屋の兄ちゃんの誘い声に振り返る母の唇には、赤いルージュ。
妖しい母は黙って裏口から還ってきて、
密かに、私の寝ている布団にもぐりこんで来て、
あの街角の妖しい灯りを思い出して嗤っている。
風呂場から雨の音が聞こえる。
窓の縁には家守がにょろんと貼りついていた。片目がない。
アメフラシに盗まれたのか。
近くの沼の主、大山椒魚も、喜んでいるだろう。
雨は降り続く。
霧雨の雨が道行く人を濡らして路傍は露の匂い。
美しい霧掛かった都のように幻想的な風景。
どこまでも、どこまでも、雫町。
夕べの唄は、貝の囁き。
蛤の夢に、家の主の白蛇の白寿のお祝い。
打ち上げ花火に線香花火。
あの赤い玉がジーッといってぽとりと堕ちる頃に、閻魔堂で阿修羅様が阿波踊りをしているよ。
青に染まった指は、夜空に浸食された証。
夜の電柱警察に憑いていって、銀河鉄道に乗り込もう。
天気輪で花火を見よう。
お祭りの夜は、おねしょをしてしまう。
綺麗に切った西瓜で、口の周りが血まみれお化け。
今日の夕飯の豆腐は、お風呂上りの茹った頭で。
頭の芯がぼうっとして、冷蔵庫の中のサイダーを飲みました。ラムネの味。
父親は、酔って帰ってきて、母親が怒っている隣で、祖母が針仕事をしている。怪談随筆集。
秋空爽やか。お伽噺は当の昔に終わり。
紙芝居をするおじさんの後を、飴を持った小鬼が追いかけてゆきます。
宿場町は晴れ。
氷屋の後を風鈴屋が追いかけて行って、残暑の夏の忘れ物。
脱ぎかけた靴下が、真っ青に染まっているのを見て、靴を脱ぐのを已めた。
空が、裏映りしている。
あの鰯雲を食べれたら。
陰翳礼賛。サイダーの瓶を集めすぎて、部屋中蒼く光っている。
燃えるような夕陽を閉じ込めた摺り硝子は、薄く嗤っているかのよう。
うふふ、イヒヒ…魔物の輝き。
其れは、宝石にも似て、おもちゃ箱をひっくり返したときに出てくるガラス細工の金魚のよう。
ビー玉には、世界の秘密が隠されているんだよ。
だいぶ、恋のしがらみからは、離れつつあるなあ…
私の恋は、もう終わりです。
もう、多分、こんな大変にのめり込んだ恋は、
この先ももうしない。
深入り恋、禁物、危険な恋。立ち入り禁止。
そんな立ち看板が立っていたら、
私も深入りしなかったのに。
懐かしい記憶を辿って、障子に罪の穴を、穴の中では綺麗な姉さんと口づけを交わす美丈夫な青年。
お前も、大きくなれば分かる、だから、内緒ね。
そう云ったまま、街に行ったきり還らない姉さん。
貰った真珠と桜貝の指輪は、今では抽斗の中で鈍く光っている。
彼女は白蛇の子、と陰口を叩かれていました。
道を行く車の、排気ガスに、胸を痛めつつ、街道沿い、宿場町を風に吹かれつつ歩く。
くすくすという、影法師の嗤い声に耳を傾けながら、家々に飾られる雛や置物を眺めつつ、
其処の駄菓子屋で買った焼き立ての少し焦げた団子を頬張る。
今年も、あそこのカキ氷屋はやっているよ。昔人の軌跡を辿る。
夢の揺らぎは、木漏れ日の吐息。ゆらゆらと、日溜まりが揺れている。
鬱々とした脳で、昨日夢で見たされこうべなんて思い出すものだから、
うっかり薬缶をひっくり返して、薬が溶けてしまった。風邪は良くならない。
人殺しの女が雨に打たれて、外で立ちんぼ。家の中には、首つり死体。
遠い山彦の声を思い出して、影と消える。秋の夕暮れ。
夜が近づく。夕べの、ため息。夕立の雨。たしかなものは、
なにもありませんでした。
旅人は、過去を生きる。
理科室の人体模型が、いつの間にか本物とすり替わる、夏。
ミンミン蝉に追い立てられて、汗だくで、寝返りを打つ、幼き頃。
真っ黒なお化けに頭からむしゃむしゃと食べられる悪夢。夢の後先。
髑髏の眼から、野茨の華。
夢は幻。
朝露に、簪。
洗って、泡沫。
魂どもがひょいひょいと踊りだす、夕べ。
漣の、潮騒。
耳に当てた貝殻から、海の旋律。
潮騒は、道すがら。
満天星躑躅と、蒲公英畑に包まれた、小さな最終駅。
人も訪れることなく。
ここは、最果ての地。
老人と、犬しか、おりませぬ。
道に咲いた、秋桜の帳。