0-09.ヒカリの準備(4)
翌日……。
リチャード王子と二人で朝食をとることになった。
場所は関所の領主の館の中にある食堂兼応接間。10人分の席があるだけのこじんまりとした部屋。
普段は朝食前の体操が終わってから、都合が付く人たちと一緒に朝食をとるのだけど、今日は何故か二人きり。料理長のゴードンが給仕をしてくれていて、メイドの人達も入って来ない。
王子が長テーブルの向かいに座ると、顎の下に手を組んで、神妙な面持ちで私に静かな声で話しかける。
「ヒカリ、昨日は父と母と3人で話し合いをしたのだが……。
ヒカリは本当に良いのか?」
「と、いいますと?」
う~ん。なんだ?
いろいろ思い当たる節がありすぎて想像できない。
王子の出方を伺うことにしよう。そうしよう。
「ヒカリが領主を辞めて、代わりに私が指揮を執るという話だ」
「ええと、私が子育てを終えるか、王子が王位を継ぐまでの間、王子に助けて頂くという話ですよね?」
ふむふむ。これね?
私が子育てに集中できるし、周囲からの妬みも分散して貰えるし、封建制度の男尊女卑の考え方にも合ってるのだから、私としては全く問題ないよね。
何の問題もないので、さも当然といった表情でキビキビと答える。
「ああ。
だが、ヒカリをこの領地に赴任させたのは私のごり押しな訳だ。だが、そこから多くの仲間を集めて伯爵領まで発展させたのはヒカリの実力に他ならない。父も母も私もそれを認めている。
であればこそ、ヒカリの成果を取り上げてしまうようで納得がいかない。ヒカリも同じような感情があるのでは無いかと考えているのだ……」
私は即座に問題無いと答えたのだけど、まだ王子の中では迷うことがあるみたいだね。王子としても逡巡するような内容だから人払いをしたのかな?
封建制度における王族は、独断で全てを決めてしまって良いのに、私への配慮がそのような複雑な気持ちにさせてしまっているのであれば、王子にとって重要な事柄と認識して貰えているってことだよね。
有難い限りだよ。感謝の意を示した方が良いね。
「王族とは貴族の長として諸侯たちを統治することが封建制度の要であるにもかかわらず、敢えて伯爵領を統治する労を買っていただけることの方が、私にとっては恐れ多いです……」
と、返事を終えると軽く目をつぶって頭を下げて感謝の意を示す。
「ヒカリ……。
ヒカリは多くの物を変えた。単にエスティア王国の立ち位置だけでなく、魔術や科学技術の発展もさせ、種族間での交流までもが変わった。そしてヒカリの周りに集まる人々の意識が変わった……。父も、母も人への接し方が変わった。
であれば、私自身も変わるチャンスであろう……?」
「……」
私は何と返事をして良いのかわからない……。
自分自身が母親になる重要な準備段階であることは分かってはいるけれど、だからといって、それに他人が犠牲になるのはどうかと思う……。
一方で、王子は自分が変わることで私を助けようとしてくれているのであれば、それって、私の我儘の押し付けがもたらしたことになる?
「ヒカリ、どうした?普段なら、正論で私を叩きのめすところであろう?」
「あ、いいえ、その……」
「迷いがあるなら、たまには我儘を言ってみろ。私が役に立てるとは限らないが、他の人もヒカリを助けてくれると思うぞ?」
「その……。そのですね……。
なんだか、私を中心に多くの人を巻き込んでしまっているようで……。
そして、婚約者であるリチャード王子にも多くの迷惑を掛けてしまっているようで、何だか申し訳なく……」
「ああ、確かにな。
多くの人達がヒカリに巻き込まれているのは事実だろう。うちの両親も私もそうだ。だが、その上で、敢えて助けたいと思っているし、そのために自らが行動をしようとしているのも事実だ。つまり、ヒカリの意思と各自の意思が同じ方向を向いているに過ぎない。
それをヒカリが迷惑を掛けているなどと考えることは、自由意思で動こうとしている人達に対して失礼だと思うぞ?」
「そ、そうでしたか……」
なんか、王子も私も歯切れが悪い口調になってる。
これまで、形式上の会話は何回もしてきた。そのたびに、権利なんかを授ける王族の側と、その威光に対して感謝を示す臣下の立ち位置で接してきた。だもんで、正論を述べて王子にダメ出しをするシーンもあったし、妖精の長や日本の科学技術の力なんかが話題に挙がりそうなシーンでは、微妙にはぐらかしてきたから、私自身もちゃんと王子と向き合って無かったてのもあるのかな……。
「私は私の好き勝手な行動が国家の行く末に影響を与えることに恐怖を抱いていました。だから王子に責任が及ばぬように敢えて多くを伝えずに行動していたのだと思います。
ですが、王子の子を身ごもり、結婚の儀や出産を三ヶ月後に控えている今となっては、皆様に助けて戴くことで、無事に出産や子育てに注力することが、王族の存続にとっても良い結果に繋がると考えています。
そういった心境の変化を王子にこれまで上手く伝えられて無かったのだと思いました」
私が長々と喋る間、王子は顎の下に手を組んだまま、じっと私の顔を見つめている。とても真剣な眼差しだ。
「これまではエスティア王国に仕えていて、これからは私と共に暮らすことに注力したい。今、改めて私に力を貸して欲しいということだろうか?」
「は、はい。そういわれますと、そうですね。王族の力というより、家族を育てる父親としてご協力頂ければ有難いです」
すると、王子は今度は腕を胸で組んで、目を瞑って上を向く。
何か考えさせてしまうとうなことを言っちゃったかな……?
「ヒカリ、ちょっと申し訳ないのだが、父親が子育ての協力をするとは、どういうことだろうか?十分な食事を与え、剣術の先生を迎えたり、優れた家庭教師を宛がうということで良いのか?」
「あ、ええと……。
子供が自分で食事がとれないうちはオムツを替えたり、お風呂に入れたり、泣いているときはあやして宥めたりします。
子供が席に着いて、食事をとれるようになれば、一緒に食事をする時間をとったり、お風呂に一緒に入るだけでなく、言葉や文字を教えることでしょうか。
5歳ぐらいになれば剣術や教養の勉強もできるようになるとは思うのですが……」
「ヒカリ、そういったことは乳母が全てしていたと思うのだが……?ただ、私自身も良く覚えていないので、何とも言えないが……」
「そ、そうですね。私は乳母もメイドも居ない家庭で育ったので、親が子供を直接面倒をみたり、手が離せないときは祖父母が協力してくれていたようです……」
「ああ、うちの母は平民出身であるから、そういうことに長けているかもしれないな。実際、記憶の無いところでは母も私の面倒を看ていたのかも知れぬな。
だが、父親がそういったことをするのは聞いたことが無い。外へ出て仕事をし、生活の糧を稼いで帰るのが男の役目であろう?
私がここの領主を務めたり、新築する城の指揮を執るのであれば、それに専任する必要があるだろう……」
そっか、そりゃ、そうだよ。
日本でイクメンなんて言葉が出来てきたのは21世紀に入ってからのことだもん。昭和の頃から共働きって考え方はあったけれど、高度経済成長期はどちらかというと、女性は専業主婦として家事や子育てを担当して、生活費は男性が稼いでくるのが主流だったわけだし。
これって、ちょっと無理なお願いをしてるかな……?よし、ここは私がメイド兼主婦で行こう!マリア様がメイドを遣わせてくれるとも言ってたし!
「はい!私がメイドを務めつつ、子育てに専念しますので、王子は執務の合間で時間のあるときに子供たちの顔を見に来てもらえればと思います」
「そ、そうか……。分かった。
ところでだな?」
リチャード王子はチョッと落ちついたのか、組んでいた手を太ももに移して、肩をだらりと下げ、ゆったりとイスの背もたれへ体を預けて、食後のお茶を啜る。
「はい、なんでしょうか?」
「今はここの領地にある母の別荘で暮らしている訳だが、婚約の儀も終わり、今後共にここで生活をするのであれば、私もこちらに居を移した方が良いと思うのだが」
「構いませんが……。ただ、改築の予定がありますので……」
「うむ。1-2週間はかかるだろうか。子育てに合った設備を導入するとも聞いている。そういうことであろう?
ただ、あまりにも外見が大きく変わり、贅沢な様子が伺えると、まだまだ貧しいこの国では行き過ぎた行動に映るので気を付けた方が良いがな」
「そうですね。皆様の別荘や娼館なんかは3日ぐらいは掛かったので、その日数に加えて、今度は外観は従来通りにカムフラージュする分、手間が掛かるかもしれません……」
「ヒカリ、そのだな……。私が余計なことを言う必要は無いのかもしれないが、あまり無茶をさせるような指揮は執るべきでは無い。長く良好な関係を続けられることが、民を治めるコツと言えよう」
「あ、はい。
あの頃は人手も少なく、神器もなく、飛竜族の支援もありませんでした。ですが、今ならもう少し楽にできるかもしれません。そのことに甘んじず、無理せずに進める様に注意しますね」
「分かった。こちらの屋敷の改築は任せる。出来れば私の執務室や二人で暮らせる程度の寝室を要望として付け加えておきたい」
「承知しました」
「それで、最後に相談があるのだが……」
王子は背もたれから身を起こして、もう一度顎の下で手を組んで私を見つめる。なになに?最後に一番重要な話を持ってくるの? 王子がそのまま、話を続けるのを静かに聞くことにするよ。
「子供の名前についてなのだが……。
男ならシオンという名前はどうだ?
女の子なら、ヒカリが選んでも良い」
いきなり子供の名前が決まりそうだよ!
びっくりだよ!
ただ、自分も何にも考えてなかったってのはある。
ま、いっか。
「はい。男の子が生まれたらシオンで良いです。
女の子の場合は私が命名して良いのですか?」
「ああ、素敵な名前がいいな。
ただ、この国やこちらの地方で避けられているような呪われたフレーズが入っている場合には、ちょっと修正が必要になるかもしれないが……」
そ、そうだね。<ピザ>は下品って言われてホットミースとかいう、分かり難いものになったし、<タコ焼き>はタコ丸って名前に変わっちゃったしね。
ふむ~。
画数とか姓名判断とかわからないし、カタカナ系が良いんだろうね。リカは既に妹の偽名として使っちゃったから、リサ、リア、ルカ、ルミとか……。
ちょっと王子に直接聞いた方が早いね。
「音の響きで考えますと、リサ、リア、ルカ、ルミ辺りは如何でしょうか?」
「ヒカリはそんなに候補を考えていたのか?流石は母親だな……。
うむ。
リサが良い気がする。
よし、男の子ならシオン、女の子であればリサにしよう」
「はい!」
実は双子なんだよね……。無事に二人生まれて、性別が同じだったらどうしよっか……。
まぁ、それはそのときだよ!
子供たちを迎える準備を整えるよ!
ここで第0章は終わりです。
次から本章のスタートになります。
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