0-06.ヒカリの準備(1)
「ヒカリさん、ちょっといいかしら?」
と、マリア様から声が掛かる。マリア様は私にとって姑に当たる人。異世界に来て1年足らずの私からすれば、頼れる親族が居ることはとっても有難い。まして、出産を控えている身であれば尚更だよ。
「ハイ!マリア様、何でしょうか?」
マリア様は実はこの国のお妃様だったりする。つまり、私の旦那さんになる人はこの国の王子ってことね。でも、ちょっとした訳があって、お妃様と呼ばずにマリア様って呼ばせてもらってるので問題ない。
「貴方、そろそろ出産の準備が必要だと思うの。これは私が姑だからとか、私の孫が欲しいからというよりも、一人の女性として貴方に無事に出産して欲しいからなの。分かって貰えるかしら?」
「ハ、ハイ!お気遣い頂きありがとうございます」
「そう。だったら、差し出がましいことを言うことになるけど良いかしら?」
「ハイ!」
ええと……。
まさか、紙おむつを開発しろとか、哺乳瓶と粉ミルクを準備しろとか、荒れ地でも使えるバギーを作れとか言わないよね?
何せ、既に魔術師不要の冷蔵庫だとか、空気搬送システムだとか、念じた人と通話ができる<念話>だとか、色々な物をこの一年足らずの間に構築してるんだよ?
「貴方の抱えている仕事を分散・分担して、出産と子育ての準備に注力すべきだと思うの」
「は、はい?」
「先ず、子育てをする場所なのよ。
貴方達の結婚の儀をするために、お城を作るのは構わないわ。けれど、まだ領地が安定せず、貴族のパーティーの主催者にもならず、十分なメイドを抱えていないのだから、広い閑散としたお城では子育てをする住居としては、不便極まりないはずよ」
「あ、はい……」
まずい、まずい、まずい!
確かに王都で暮らさずに、私が伯爵を務める領地で出産と子育てをしても良いって許可を貰った。普通な封建制度では有りえない話なんだけど、お妃様も私の婚約者のリチャード王子も前例にとらわれない考え方の持ち主。
貴族の権謀術数を無視できるぐらいの実力があって、王都から離れたこの領地でお妃様も王子も一緒に私の子育てに付き合ってくれるっていうね……。
新築城付き領地で子育てとか有りえないよね。日本では実現不可能なぐらい恵まれてる……。
「結婚の儀を開催するために準備する城は、リチャードに任せなさいよ。貴方の満足いくものでは無いかも知れないけれど、あれでも石造りの王城で生まれ育った子よ。
貴方の人脈と空気搬送システムを活用したら、材料となる巨石も簡単に集まるでしょ?あの子はミラニア川の護岸工事の指揮も取れたのだから大丈夫よ……」
「はい……」
良いか悪いかで言えば、リチャード王子に任せて良い。何せ、いつかは一緒に暮らすための城だし、王族の結婚式だからそれなりの規模の披露宴も必要になる。だったら、いま住んでいる関所の領主の小さな館じゃなくて、それなりの規模と見栄えのある建物が王族の威厳を見せる意味で重要なことになる。
うん……。
なんか丸投げしてしまっては王子に悪い気もするけど、お妃様の仲介だったら、手伝ってくれるかな~。
「ヒカリさん、何か心配かしら?」
「あ、いえ。なんか、全部リチャード王子に任せてしまっては、失礼に当たらないかと心配です。
私が此処で暮らしたいという我儘を受けれ入れて頂いただけでも、十分に皆様に迷惑をお掛けしている状況です。それにも関わらず、自分でその我儘の責任を取らず、リチャード王子に押し付けるのが、申し訳ないと恐縮してしまいます……」
「それは無用な心配よ。それどころか、あの子も貴方に出産の準備に注力して貰いたいって思ってるのよ。ただ、それを言い出せないだけだから、私がお願いしにきたのよ?」
「は、はい。ありがとうございます!」
「なら、結婚の儀の準備に使用するためのお城の設計と準備はリチャードに任せるわよ。貴方の伝手も活用するから良いわね?」
「はい!」
「次にいくわね。いいかしら?」
「はい!」
ええと、新築するお城以外に何かあったっけ……。
心当たりが多すぎて、何を問われるのか予想がつかない……。
「この関所の領主の館を改造して、住居にするとするじゃない?ニーニャさん達の力があれば、それほど時間を掛けずに、私が貰った別荘と同じ程度の機能は組み込めると思うし、小さな会合、少人数でのお客様のもてなしなんかは出来ると思うの。此処まではいいかしら?」
「は、はい。確かに関所の領主ですから、ここの建物に住むのには意味がありますね。それに、ストレイア帝国の直轄地としても認められていますし」
「直轄地のことは別に相談したいの。それより、貴方がここの領主である立場と、情報操作した結果として、メイド上がりの田舎娘が子育てを始める立場の整合をとるために、予め貴方に確認をしておきたいの」
「と、いいますと?」
紆余曲折あって、男爵としてこの領地を授かったあと、優秀な仲間たちのお陰で莫大な成果をあげて、伯爵まで陞爵した。その甲斐あって、無事にこのエスティア王国のリチャード王子と婚約出来ることになったのだけど……。
そこは、封建制度において女性蔑視が強く、実力を公に出来ない事情がある。だから、リチャード王子からすると、どうやって私が成果を挙げたか判らないけれど、『私の仲間たちを呼び寄せたり指揮をとったのは、王族の事情として私を結婚に値する身分にするため』って、ことで情報操作がされている。
私は理系で研究者を目指していたけれど、それとは違った形でこの世界での生活を満喫している。余計な揉め事を起こすぐらいなら、責任も成果も他の人に持って行って貰った方が有難いもんね。
「私の例でいえば、建前上は田舎の村娘であった私をチャールズ国王が見初て、無理やり正室に迎えたことになっているの。実の所、私が一兵士として出陣した戦争で出した成果を若きエスティア国王の成果として吸収する必要があったからだけれども。
村側としては、私と私の成果を差し出さすことで、国から村への恩賜を頂ける訳だし、エスティア王国としては若き国王の成果を国内に示威することが出来たのだから、国も村も全てが丸く収まる形になったわ。
私としては自分の成果など小さなものだし、出身の村や両親へ恩返しが出来ればそれで十分だと思っているわ。であれば、成果を隠すことに問題はないし、そのおかげで貴族社会での慣例に囚われることなく自由に暮らすことが許されているのだから有難い限りだわ。
この辺りは、ヒカリさんの本心を予め聞いておいた方がいいと思うの」
「ええと、それは、私の成果をリチャード王子に捧げるという意味でしょうか?」
「ええ。それだけでなく、これまで情報統制の為に流してきた噂の通り、身寄りの無いメイドがうちの子に見初められて、無理やり伯爵級の成果を成し遂げて、あたかもエスティア王国の王子と釣り合う身分に仕立てられた幸運に恵まれた子として暮らしていくことになるわ」
「はい。私はそのつもりでしたが、何か問題がありましたでしょうか?」
「そうだとすると、貴方は見かけ上は伯爵領の領主でありながら、実力はメイドであるフリをして暮らす必要があるし、他の多くの方達に、敬語で接する必要が出てくるの。
それだけでも貴方にとっては苦痛だと思うのだけど、もっと大きな問題が出てくるわ。周囲への情報統制の関係上、これから生まれてくる貴方の子供たちにも、貴方は幸運に恵まれただけのメイドの身分として接する必要が出てくるのよ……」
「あの、ええと、良くわからないのですが、メイドの身分ですと、自分で子育てが出来ないということでしょうか?」
「いいえ、出来るわ。普通はメイドの職を休んで、実家で子育てが落ち着くまで子育てに専念するわ。
でも、貴方は身寄りが無いし、王族に嫁ぐのだから、貴方自身が子育てをする必要が無く、私や私のメイドが世話をすればいいのよ」
「そ、それは助かります……。私一人で子育てをするべく努力をしますが、皆様に助けて頂けると安心です」
「なら、『建前は領主、本当はメイド』として、これまで通り情報統制を行っていくし、メイドの身分で子育てをすることでいいわね。
領主の館を改築するにしても、私たちが使っているような貴族の設備は見えない部分で機能させて、一般的なメイドよりマシな程度の暮らしを受け入れられるかしら?」
「あの、ええと……。公に見える場所でなければ、皆様のために新築した石造りの住居と同じような設備を設けても宜しいのでしょうか。
やはり、子供の洗濯物も多くなると思いますし……。そすると、お湯や乾燥させる設備が使えるかで、家事の大変さが変わると思います……」
「勿論大丈夫よ。
建前は領主なのだから、そこは自由で良いのだけど、貴族の別荘と同じものを潤沢に使える環境だとすると、傍目に余計な嫉妬を買うことになるわよ……。
王宮の中で王妃として暮らすのと、王宮でもなく、人目に付きやすいところでメイド上がりの子が贅沢な暮らしをするのでは、同じ生活様式でも不味いことは分かるでしょ?」
「は、はい!凄く気を付けた方が良いと思います!勉強になります!」
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うん。これは絶対に不味い。
私は貴族社会が何か全く分かってない。乙女げーとか、恋愛小説の中世貴族の設定とか全然読んでない。いわゆる理系馬鹿って感じで……。
これは、もう、なんでもかんでも、ハイハイ言うこと聞いて学習するしかないよ。その上で子育てをしていくっていうね……。
ひょっとして、どこかに『異世界子育て奮闘記』って、小説とか無いのかね……。
あ、こういうときは、<ナビ>に<念話>で聞けば良いじゃん!
<<ナビ、久しぶり。小説で異世界で子育てする人を題材に扱ったものはないの?もし、そういった内容が具体的に書かれた小説がなければ、ヨーロッパの中世初期頃の子育て事情を調べて欲しいの>>
<<ヒカリ、久しぶりです。検索しますので少々お待ちください>>
ナビは私が異世界に転移するときに、主神から貰ったナビゲーションシステム。この世界で主神が集めた情報や私が居た日本で集められる情報網へアクセスして収集した結果を報告してくれる。制限はあるんだけどね。
その他にも、エーテルを媒介として各種ナビゲーション機能の役目を請け負ってくれている。略して<ナビ>って、呼ばせて貰ってるよ。
さて……。
中世初期の子育てってどんなんだろう……。
ナビの検索結果を待とうかな……。
<<ヒカリ、検索結果が思わしくないため、途中経過を報告させて頂きます>>
<<ナビ、何?>>
<<異世界小説というファンタジーの世界における育児ですと、ヒット件数が多く、どこまでを情報収集すべきかのフィルタリングが必要な状況です>>
<<あ~。そっか~。育児に必要な道具やスキルを題材とするよりも、子育ての苦労と楽しさを題材にする方が読者は楽しいもんね>>
<<ハイ。そのようなほのぼのライフ、ギスギスライフの中に僅かなりとも貴重な情報が含まれている可能性がありますが、そこを小説から抽出するのは困難と思われます>>
<<う~ん。
異世界でない設定なら色々あるんだろうけど、私が飛ばされた異世界は、中世ヨーロッパと言っても、古代ローマから移り変わった直後ぐらいの文明発達度で、中世と呼ばれている時代区分でも初期に近いんだよね。
大航海時代まで船も発展していないし、ガラスも非常に貴重なレベル。まだ天動説だったり、地球が丸いことが知られてないような、科学や工業の進歩がまだまだ未発達な時代だよ>>
<<はい。
ですので、小説であればどのような設定の世界観ほ収集する必要があるのかを確認させて戴きました。あるいは、史実や文献を元にした参考資料をお求めでしょうか?>>
<<う~ん。流石は異世界だ。人によって様々なんだね。世界観とか設定なんて作者の自由だもん。私が住んでるこちらの世界の文化や習慣についてはマリア様に直接聞くことにするよ。
参考までに、地球の中世ヨーロッパ初期の子育てってどんな感じ?>>
<<文献としての資料はほとんど残されていません。羊皮紙そのもの耐久性が悪く現存する資料が少ないことと、紙類が非常に高価であることから、当時の日常生活を伝えるような雑誌などの情報媒体が存在しません。
子育てや日常の出来ごとは『貴重で残すべき資料』という認識ではありません>>
<<そ、それは、確かに盲点だったよ!技術や芸術は富があり、出資できるパトロンが居てこそだもんね。日々の生活なんて書き留めるぐらいなら、自分らの肖像画でも残した方がなんぼか良かったって話だよね>>
<<ハイ。それで僅かではございますが、『おくるみ』という文化が残っているようです>>
<<『おくるみ』って、赤ちゃんの寝間着代わりにタオルみたいので包むやつのことでしょ?>>
<<いいえ。現代日本で使用されているそれとは全く違います。
国が騒乱に巻き込まれて、庶民の生活が貧しい状況では、社会背景として、『おくるみ』という育児制度があったようです>>
<<ううん?全然判んないよ。日本の『おくるみ』と違う文化的なしきたりがあったっていうこと?>>
<<日本では、天災などで凶作が続き、国全体が貧しい状況が継続したときには、産婆制度、七五三、姥捨て、里子などの手法が採用されました。
一方、中世の大航海時代を超えた頃になってきますと、地域によっては『おくるみ』という育児方法が採用されていたことが記録に残っているようです。
これは、育児が必要な赤子を静かにさせておくために、包帯の様な布でぐるぐる巻きにしたもので、5歳以下の生存率が非常に少なかった原因であると考えられます。
であればこそ、多産多死型の社会的背景へと繋がる要因であると考えられます>>
<<え?え?え?それって、『おくるみ』という名の拘束衣を着せてるのと同じってこと?>>
<<ハイ。腹式呼吸が制限され、おむつなど介助道具もないので、不衛生な状況で放置され、感染症に罹るリスクが高かったと考えられます。当然、予防接種や、感染症の治療薬などございません>>
<<うわ~。なにそれ……>>
<<ですので、調査結果が芳しくなく、途中経過の報告をさせて頂きました。一方で、天災も少なく、国民が貧しくない環境であるならば、そのような制度は採用されないでしょう。まして、貴族や王族であれば、ある程度金銭に余裕があるため、健やかに育つように丁寧にケアがされている可能性もあります>>
<<ちょ、ちょ、ちょっと分かった!緊急でマリア様と相談してみるよ!>>
<<承知しました>>
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