6-55.チョコレートを食べよう
「ええと、この先は面倒で複雑な話題が続くことになると思います。
休憩がてら、アリアとシオンで作ったチョコレートの試食をしましょうか?」
皆も個別の課題よりは、先日のコーヒーの衝撃に加えてチョコレートの未知なるものへの期待感が膨らんでいるよね。「これを食べるまでは寝られない」みたいな。
実際、どのレベルのものが完成したのかは試食してからのお楽しみだね。
「おかあさん、皆様にお配りしても良いですか?」
と、シオンが声を掛けてくる。
アリアはシオンに華を持たせるためか、ニコニコと微笑んで見守っている。
「あ、うん。一人で出来る?」
「大丈夫です。少し時間が掛かるかもしれません」
と、返事をしたシオンをアリアやユッカちゃんが助ける。
いつ作った判らない白いデザート用の小皿に、冷蔵庫で冷やしておいたと思われるチョコレートが二欠片ずつ載せられて皆へ配られた。
あ、これ、お皿もちゃんと冷やされている……。
ひょっとして、このチョコレートは手で持つと融けちゃうタイプかな……?
「おかさん、皆様に配り終えました。ご賞味ください」
シオンの声掛けがあったけれど、皆は手を出さずに私の方を見ている。
遠慮しているのと、不安があるので様子を見てる感じかな?
よし、私から手を付けよう!
手で持つと、ひんやりしている。
そして、その外気温との差で表面が少し結露して湿っている。
チラチラと眺めてから口に放り込もうとすると、その時点で指先には融けたチョコが付着していた。
これって、生チョコよりも相当融けやすくなっているよ?
ま、現在の地球で大量生産されているチョコレートは融けやすさと手に付着しない様にすることを両立させるために、チョコレートの周りを色々な物でコーティングしてあるんだよね。
一方で、くちどけの良い生チョコなんかは、単に保管温度だけでなくて、そのコーティングが出来ないから、溶けても良い様にカカオパウダーの様な物で、直接チョコに指が触れて融かさない様な工夫がされてるね。
でも、そんなことは後回し。
今はこの異世界でチョコレートなる物を作れるかどうかが重要だから……。
口に入れたチョコレートは口の中に冷たさを感じさせる、
すると、するすると融けていく。噛みしめる必要なんか無い。
下と上顎の間で軽く押すだけでジワ~~~っと、チョコレートが溢れ出てくる感じ。
香りはこの前のコーヒーのときと同じで、チョコレート独特のカカオの苦みだけでなく、少しフルーティーな、そして酸味のある柑橘系な香りが鼻腔をくすぐる。
あ~~~。
この滑らかな触感と香りだけでもコーヒーとは格段に違う濃厚さが脳を刺激するね……。
そして、舌の上で半融けになったチョコレートの塊を少し横にずらして、舌全体で融けてクリーム状になったチョコレートを味わう。
ああ、これは苦さと甘さ。そして酸味を感じる……。
酸っぱさよりもイチゴのようなトゲトゲしていないフルーティーな酸味……。
高級な洋菓子が出るカフェで極稀に味わうことが出来たようなチョコレート。
あれって、てっきりチョコレートにイチゴやサクランボを混ぜ込んでいるかと思ったけれど、ケーキに掛かっているソースでもなく、チョコレートにリキュールとかで香り付けをしていたわけでも無く、カカオの素材からもこんな風に酸味と香りを沸き立たせることが出来るんだ……。
現代日本の職人芸を異世界で再現されてるってのは……。
これは凄い!
一口食べてから、目を瞑って味わっているとシオンから声が掛かった。
「おかあさん、チョコレートになっていたでしょうか?」
「シオン凄いよ!
たしかに、市販品として大量に出回っている万人向けの味では無いけれど、カカオ本来の味を楽しむことが出来るような限られた人に向けたチョコレートになってる!」
「おかあさん、それは『一部の人にしか買って貰えない商品』という評価でしょうか?」
「ええ?違う違う!
なんていうか……。
このチョコレートにはステラが淹れてくれたコーヒーと同じように、幻想的な何かを感じるよ。この味が判る人には受ける。
シオンのチョコレートに対する正しさが何か私には分からないけれど、一般向けの商品や子供たちが喜んで食べる味付けにするには少し工夫が必要だと思うよ?」
「おかあさん、つまり、これは失敗ですか、それとも成功ですか?」
「大成功だよ!
いきなりここまでのチョコレートが出来るとは思っていなかったもん。
他の皆も不思議で幻想的な味わいに浸っているでしょう?」
シオンが辺りを見回すと、皆も目を瞑って口を閉じて、鼻で香りを楽しんでいる。シオンと私の会話が耳に届いているかもよく分からない状態。
と、テーブル全体を見渡すと、アリアが私の方をチラチラと伺っている……。
何か問題があるのかな?
ちょっと聞いてみよう……。
「アリア、凄いね。ありがとう」
「いえ、あの……。これで良かったのでしょうか?」
「かなり洗練されているね。こんな短期間でどうやって条件出しが出来たの?
「あ、はい……。
幾つか最初にヒカリ様にヒントを頂いていたことと、ドワーフ族の方達の装置の増設が出来たことが良かったと思います。
当然ながら、カカオを追加で調達してくれたステラ様達の支援や、シオンくんが指揮をとってカカオの発酵を推進してくれたことも重要です」
「うんうん。
装置と材料は重要だね。後で皆にもお礼を言った方がいいね。
それはそれとして、無限にも思える条件の中から、短期間でここまで条件を絞り込めたのが凄いと思うよ?」
「え、ええと……。
皆様が宜しければ、ヒカリ様へ説明するお時間を頂いても宜しいでしょうか?」
「うんうん。時間が掛かる様なら追加のデザートをゴードンに出して貰えば良いよ。
だから、今説明して貰っても良いかな?」
「はい!
そのですね……。
先ずは、装置が1台しか無かったのと、発酵を終えたカカオが潤沢に無かったので、『試作するよりも観察すること』に重点を置きました。
つまり、『試作品のお披露目が遅れてでも、手法の確立を目指した』という感じでしょうか。
手順はこんな感じで進めました。
(1)磨砕機の温度を40℃で固定します。
(2)磨砕機の回転速度も一定になるようにセットしておきます。
(3)砂時計を利用して、なるべく正確に1時間ごとに磨砕機の中のチョコレートサンプルを1滴ずつ取り出して、紙の上に垂らしておきます。約二日間連続で動作して40個以上の紙の上のチョコレートの雫を観察できるようにしました。
(4)目で見ただけでは様子が判りませんので、市場で購入してきたお酒を蒸留して透明なアルコールを抽出したものを準備します。
(5)(3)のチョコレートの雫に(4)のアルコールを滴下して、紙の上のチョコレートの雫の広がりを確認します。
すると、約20時間を超えた辺りでチョコレートの雫から粉の様な粒粒が無くなりました。ところが30時間を超えてくると、粉が無いだけでなく、油の様な物がしみだしてきて、チョコレートの滑らかさを超えて、何か粉のカスと油脂分に分離してしまった様でした。
つまり、今回の磨砕機とカカオと温度の関係では、40℃で20~30時間、磨砕すると、チョコレートの元となる滑らかさが具現化出来ることになります。
あと、磨砕機の増設に伴って、温度と時間の関係を振ったり、砂糖の投入量と味の変化を同様にして確認しました。
今は、温度が48度、時間が20時間、砂糖が全量の30%で磨砕機を設定したものになります。
この後、固まりませんでしたので、鉄をミスリル銀でコーティングしたトレーを用意して、そこにチョコレートを注いで、冷蔵庫で固めました。
サンマール王国の外気温ではチョコレートが不安定な状態になってしまったため、冷やして強制的に外観を保持する必要がありました。
冷蔵庫で固めたあとは、切り分けて皆様にお出ししているのが今の状態になります」
アリアは凄い。
実験の方向性、機材と材料だけではこの結果は出ない。
全体として、どのパラメータが効きそうかを予め予測しておいて、そのパラメータを優先的に調べていくような実験順序が出来あがっている。
実験計画法とか、タグチメソッドなどの様な多くの実験水準を総当たりで実施せずとも実験結果の配列における直交性などから相関のあるパラメータを抽出できるというのはある。
でもね?
そもそも品質を担保するとか、向上させるとか、安価にとか、特性を良くするとか以前の問題でさ?
『この世界には具現化していない物を、言われただけで形にする』って、まさに錬金術師みたいな作業になるんだよ……。
一度、その具現化に成功したとすれば、それを効率よくするためのパラメータとかを絞り込む方法として効率的な手法を用いることは正しい。
だって、正解がそこある訳だからね。
アリアは研究者としての基礎が出来ているのか、センスが良いのかよく分からないけれど、ガラスの器をつくるときもそうだったよ。
ニーニャやステラとは違った特性を持っているんだろうね~。
私もそういう研究とかしてみたかったけれど、今は協力してくれるみんなにお願いしてて、子育てに専念中だね……。
と、ここでアリアから声が掛かる。
「ヒカリ様?」
「うん?」
「私の説明が早かったでしょうか。もし説明に至らない点がありましたら、後日報告書にまとめて提出しますが……」
「あ、大丈夫。
私は大体理解出来た。アリアの凄さも理解出来た。
他の人はアリアのレシピ通りに分量や機材を調整すれば、大体似た感じの物が作れるようになるね。
これは素晴らしいことだよ」
「ヒカリ様に認められてうれしいです。
それで、この後のことなのですが……」
「うん?
量産化、冷蔵庫のような容器での販売方法、商流と値段の決め方とか?
そういうのは、ハピカさんとかトレモロさんに任せれば良いんじゃないかな……」
「いえ、あの……。そうではなくてですね……」
「え?味付けの変化とか、子供向けのバリエーションとか?」
「ああ、確かに子供向けは作った方が良いかも……」
「ああ!大人向けね?
ウイスキーボンボンとかのアルコール入りを作るのはあるね。
ただ、チョコレートが溶けないように砂糖でチョコをコーティングしてその中にアルコールを注ぐ形になるね」
「ヒカリ様、違うんです!開発の話は置いておいてください!」
「うん?
だから、流通とか値段は私より得意な人に頼んだ方が良いし、機材はドワーフ族の方達から図面を貰って人族で作れるかを検討すれば良いと思うよ?
シオンのカカオの発酵レシピは良く聞かないと量産できるか判らないけど……。
ああ!カカオの農園と実の収穫時期の話かな?」
「ヒカリ様、ちょっと待ってください」
「チョコだけに、ちょこっと待てば良い?」
「ヒカリ様、媚薬の秘薬の話です。飛躍しないでください」
「あ、無視した?」
私の茶々を無視しただけじゃなくて、自分までネタを突っ込んできたよ……。
で、割り込まれた私が唖然としていると、アリアが言葉を続けるね。
「私は今の状態が理解できていますし、想像もしていました。
ですが、今初めて試食をした皆様には、ヒカリ様と違った効果が発現していることが分かりますか?」
「う~ん、媚薬?
コーヒーのときより、確かに、まぁ、体が活性化している気はするね?
今日は夕食会でコーヒーを飲んでいたせいもあるかもしれないけど……」
「ですので、この後の報告会は中止で良いですよね?」
「え?」
「『え?』じゃありません。皆様も早く会議を終えて欲しい様に見えますよね」
「え?」
さっきまで、皆はチョコの感動に酔いしれていた様子だったのに、何だか酔っぱらった様な上気した顔つきになってるよ!エルフ族、獣人族、人族、妖精の長達まで!
何これ!
禁制の薬物指定にするべきなんじゃないの!
「アリア……。
中和剤の開発か、チョコの性能を発現しにくくするレシピの開発をした方が良いと思う……」
「ヒカリ様、明日から考えることで良いですか?
私も頭がホカホカしてて、じっくりとヒカリ様のお話を伺っている余裕がありません……」
「わかった。今日はお開き。各自ちゃんと部屋で寝てくださいね?」
お開きを宣言すると、リチャードが無言で私の肩に手を掛けてきた。
ふだん、こんな態度をしない人なんだけどさ……。
ま、まぁ、私も元気だから一緒に頑張ろうかな?
いつもお読みいただきありがとうございます。
暫くは、毎週金曜日22時更新に戻る予定です。
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