0-01.リサの準備(1)
この大陸では世界樹として崇め奉られるユグドラシルを求めて種族間の争いがあった。その樹は2000m高地にあり、樹高は3000m以上の高さになるため、平地からの最高到達地点は5000m以上に達するという。その樹の根本での幹回りは1kmを超え、簡単な村が内部に形成できるほどの大きさになる。
樹齢は1万年以上の時を超えて、今もなお成長しているといわれるが、それは人間たちが推測したに過ぎず、実際の所は誰にも判かっていないという。
このご神木の高台を囲む平地には5つの種族が暮らしていた。
長く尖った耳を特徴とし、妖精を駆使することが得意なエルフ族。
頭頂部に両耳があり、体毛が濃く、体術による戦闘を得意とした獣人族。
小柄ながらも、鉱物の精錬や武具の製造を得意としたドワーフ族。
背中に翼、頭部に角をもち、精神感応による支配を得意とする魔族。
身体的特徴は平凡でありながら、科学と集団戦を得意とする人族。
5つの種族はそれぞれがユグドラシルを崇拝し、調査し、謎を探求していた。種族ごとの思惑は異なれど、ユグドラシルを大切に扱う気持ちは共通したものであった。そのため、暗黙の了解の元、ユグドラシルが根を張るとされる高台では争うことが無かった。
ユグドラシルが聳え立つ高台に続く5本の道があった。麓からその崖を登るための狭く険しいルートをそれぞれの種族が支配し、そのルートを無事に登り終えた種族が決められた順番に1週間ずつユグドラシルを調査したり、崇拝したりする権利を有することができた。
すなわち、5週間のうち1週間だけが各種族にユグドラシルの高台にアプローチすることが許された期間であり、それ以外の期間で独自にユグドラシルにアクセスすることは他の4種族から一斉に攻められる状況に陥るため勝手なことはできないルールがあった。
その一方で、高台を囲む麓側では如何に良い登山ルートを見つけて、維持して、素早く高台に達するかが重要な課題であり、それぞれの種族が独自に伝統の技を用いて貴重な一週間を有効活用すべく切磋琢磨しつつ、場合によっては相手の技を盗み、相手のルートを妨害するなどの争いが続いていた。
つまり、ユグドラシル自体を傷つけるような愚かな戦争は起こっていなかったが、その高台の周辺では人間たちによる種族間の醜い争いがおこなわれているのが現状ということになる。
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ユグドラシルの麓にある人族の王国の端に位置する村で、一人の巫女が誕生した。 名前をエミリーという。
エミリーは白銀の髪に濃紺の瞳を持ち、お淑やかな振る舞いを身に着けていた。更には回復魔法に長けていたことから、教会から7歳のときに巫女としての身分を授かり、教会に仕える身となった。
彼女は聖堂で回復魔法で傷ついた人々を救い、慈しみの心で人々を救った。その少女の噂は周辺の村々まで伝わり、更には噂が噂を呼び、その少女が15歳に成る頃には国王の耳に届くこととなった。
エミリーは回復魔法だけでなく、その理知的な頭脳も国から買われ、ユグドラシルへの登山道を確保するための種族間の争いに支援役として、参戦することを要請された。
元々が勉強熱心であり、好奇心旺盛で会った彼女は、自身もユグドラシルへの関心が高かった。
ユグドラシルに住むといわれるドリアード様から<妖精の加護>を貰うことが出来たならば、魔法の力も向上し、数々の奇跡を起こせるという。
30年以上も前に、人族の一人の少女が<妖精の加護>を戴き、聖女として奉られて、北の大陸に皇后として嫁いだという話が伝わっている。
エミリーとしては、自身の能力向上や伝説の世界樹を探索する機会があるのであれば、このチャンスを逃すことは出来なかった。そのため、即座に王国からの要請を受けることにしたのは僅か15歳のことである。
エミリーは後方支援部隊とし戦線に加わることになったのだが、彼女の支援により、人族の戦士達は一度は傷つき倒れても再度前線に立てるため、果敢に戦闘に参加する意欲を掻き立てることができた。人族の戦士たちは死の恐怖から逃れることが出来たため、士気は格段に上がった。
当然士気だけでなく、体力も充実し、ケガの不調もなくなった。さらには、死の瀬戸際を幾度も経験することで、戦闘へのセンスも磨き上げられた。
そのような熟練の戦士たちが短期間で増産されていくのだから、人族は前線の立て直しがスムーズに行え、人族の登山ルートを魔族から奪回できただけでなく、魔族に侵略されていた周辺の土地を取り返し、さらには、その前線を魔族の領域へ押し返し始めていた。
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一方、魔族側は人族の偵察を行い、ここ最近の劣勢の原因を調査していた。その調査結果として、人族の戦士の士気が上がり、戦闘を優勢に進められるようになった原因がエミリーという少女であることを突き止めた。
すなわち、エミリーをどうにかすれば人族の前線は決壊し、なし崩しに攻め込むことが出来るという理解に至った。
魔族は自身の領地を攻めさせ、人族の前線を薄く広く広げる様にして、エミリーが人族の本拠地を離れ、魔族の領域に踏み込んだ状況で活動するように、適度に人族との戦闘を調整し、劣勢を装った。
人族が自身の能力が向上したことにより、快進撃を行えていると勘違いする様に駆け引きをしながら、敗戦を続けていた。この魔族の戦略は上手く行っていたと言えよう。
魔族は作戦の大詰めを迎えるに当たって、用意周到に罠を張り巡らせた。
エミリーを含む部隊を完全に魔族の中の孤島とし、周囲からの人族の援軍が駆けつけられない状況を作った。
人族の戦士たちへの攻撃として、肉体的なダメージだけでなく、ある種の呪いを施すことで精神的なダメージを蓄積させるように仕向けた。精神的なダメージは次なる戦闘への意欲が薄れ、戦力ダウンにつながった。この作戦は、従来のエミリーの支援では戦士たちが劣勢な状況が続くだけでなく、エミリー自身の魔力を常に枯渇させ、体力をそぎ落とし、精神的な疲労を蓄積させていった。
エミリー達が王国首都へ支援要請の伝令をだしても、それは人族の知らないところで取り囲んでいた魔族達によって、潰されていた。そのため、伝令部隊を出せば出すほど戦力が少なくなり、情報も途切れて孤立するという窮地に立たされいた。
作戦当初は国王より200名の1個中隊と潤沢な兵站を用意した上での進軍であったが、現状はエミリーを含めて20名程度の戦士のみが残り、簡易的な丸太で組んだ柵の中の陣地にはと、10日分もない食料を残すばかりとなっていた。
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「エミリー様、撤退をしましょう。一度本国へ引き上げるのです」
と、傷ついて消耗しているにも関わらず、最後の生気を振り絞っての諫言が一人の戦士からあった。
中隊を率いていた指揮官は既に亡くなっており、補佐官に就任していたエミリーは指揮官代行として残っている20名の指揮を執っていた。
エミリーとしては、その進言を素直に受け入れることは出来なかった。何故ならば、既に4回も援軍要請の伝令を送っている。伝令が途絶えていることも考え、最後には5騎編成での伝令部隊も送っていた。そのため、そろそろ王国からの援軍が到着するに違いないと考えていたのだ。
エミリーは現状の窮地が用意周到に準備された魔族の罠であることは分からず、人族が魔族の領域内で完全に包囲されているという状況も把握できていない。魔族側に完全に戦術的な駆け引きをコントロールされてしまっていること自体も理解できていないため判断を誤っているのだ。
これは魔族の戦略が上手いことと、快進撃を続けてきた自信と、エミリーの敗戦を知らない若さの融合により起こっていることであった……。
「確かに戦況は厳しいでしょう。ですが、なんとか持ちこたえているとも言えます。ここの拠点を守ることで、人族が魔族をけん制する楔をここに残すことができるのです。
もし、ここで我々が撤退の道を選べば、次にここまで押し返せるときはいつになるか判らないでしょう。
もう少しの辛抱です。協力してください!」
エミリーは支援魔法を掛けつつも、その効力が薄れていることに気が付いていた。気が付いているけれども、それは自分が疲れている為であることと、戦況が拮抗しているためで、援軍さえ到着すればまた元通りになるであろうと考えていた。
そう考えて、生き残ったメンバーへ労いの言葉とともに、回復の魔法を掛けてから、自分の寝所にある藁の敷かれている簡易的なベッドに這い登った。エミリーはそこへゴロリと横たわると、ぐっすりと死んだような深い眠りに落ちた。
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その晩……
音もなく、エミリー達が駐屯する陣地に魔族の侵略があった。
見張りは声を上げることもできず魔族に倒され、20名の戦士は魔族によって簡単に捕らえられた。気が付いて抵抗を試みた者はあっけなく殺された。
易々とエミリーの寝所に辿りついた魔族達は、エミリーを捕縛した。捕縛するにとどめず、目隠しをし、発声を抑える為に猿轡を噛まし、指先での印を結ぶことを阻害させるために指をぎゅっと握りしめた状態で革袋を被せて、手首の所を革紐できつく縛って革袋を外せない様にした。更に後ろ手に拘束してあるので助けを呼ぶことが出来ないどころか、あらゆる魔法を施術することができない状態で囚われの身となった。
魔族はエミリーの能力を利用する必要もなく、人族の指揮官の情報も必要としていたなかったため、エミリーを拷問にかける必要がなかった。魔族は人族への性的な虐待をする必要はなく、興味もなかったのはエミリーにとって、幸いであったのかどうか……。
魔族側はエミリーに対する行為は、単に捕縛と無力化では終わらなかった。人族に対する魔族への恐怖心を植え付けることを目的として、エミリーを晒し者にすることであった。
無力化されたエミリーは生きながら、<孤独の儀>を施されることになった。 孤独の儀とは、ある種のミイラ化の儀式であり、人体の組成をシリカに置き換えることで、あたかも生前の状態を保ったまま死体を保存することができる。すなわち、永遠に生前の躯を祀ることができる王族や上位貴族だけに執り行われる儀式であった。
しかし、魔族は十字の形に組んだ木にエミリーを張り付けにした状態で、生きたまま<孤独の儀>を施すことにした。何故魔族がそのような面倒な方法をとったかと言えば、この世界では魂の転生が信じられていたからだ。
もし、エミリーの魂が他の人族に転生し、魔族へ反逆を企てる部隊を率いることを恐れたからだ。
シリカ化した不滅の肉体にエミリーの魂を封印したことにより、エミリーは永遠に魔族の元に封じられることになった。
魔族はエミリーの亡骸を木の十字架に掛けて運び、人族との戦いの常に見えるところに飾ることにした。そのミイラ化したエミリーが生前の衣服を纏っていたのは魔族の情けなのか、それともエミリーであると遠目にも判らせる作戦だったのか……。
魔族は生き残った人族の心と、エミリーの魂の両方を封じ込めることに成功したのだ……。
エミリーの亡骸を見てショックを受ける人族は一度は落胆した。
しかし、エミリーを取り返そうとする勇敢な戦士たちが魔族に立ち向かった。。だが、それを先読みしていた魔族はエミリーを晒し者にしている十字架の周りには多くの罠を仕掛けていたため、人族の戦士たちは簡単にその命を奪われた。
人族は色々な魔術や科学の力を結集して、エミリーの亡骸の奪回に大掛かりな作戦を実行することにした。その戦術が功を奏して、一旦は魔族からエミリーを救い出した。エミリーは<孤独の儀>でミイラ化されているため、エミリーの故郷の村の近くの教会へ運び、そこで安置することとした。
それすらもが魔族の罠であった。
魔族は勇敢な戦士達の命を奪ったに留まらず、次のエミリーが生まれることを恐れ、エミリーの故郷や教会の巫女たちを殲滅することを作戦に織り込んでいた。
魔族はエミリーが教会に安置された情報や、巫女たちがエミリーを追悼する大集会を開く情報を入手した。そしてそのタイミングで教会関係者を襲撃した。それも魔族自らではなく、低級な知能を持つ魔獣のゴブリンの集団を嗾けて襲わせたのだ……。
ゴブリン達は人族を襲い孕ませることを至高の喜びにしていた。一方、教会には歴戦の戦士たちは既に魔族達に殲滅されていたため、巫女や戦争に加われないような老人や子供たちばかりであった。
ゴブリン達の襲撃は凄惨を極めた。
エミリーはその全てを生きながらに見せられていた。
目を見開かれた状態で固定されていたため、目を閉じることもできず。
磔にされた体では顔を背けることも、下を向くことも出来ない。
声を上げて罠があることを伝えることもできず。
耳から届く戦士や巫女たちの悲鳴を塞ぐこともできない。
倒れ行く人族を目の前にして、そこへ回復支援もできない。
ただひたすら、自身の前に倒れ行く者達を眺めることしか出来ない……。
<<だれか、だれか、助けてください……>>
エミリーの魂は叫んだ……。
前作からの流れで、新規に始めました。
下記☆を思う存分★に塗りつぶして、
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