6話:米国同時多発テロと佐野家を新築
多くの国がテロ攻撃を防ぐために、テロ対策法を強化し法執行機関や情報機関の権限を拡大した。ビンラディンは当初、関与を否定したが2004年にはテロ攻撃の責任を認めた。アルカイダとビンラディンは、米国のイスラエル支援、サウジアラビアにおける米軍の存在、イラクに対する制裁を動機としと話した。
ビンラディンは10年近く捕縛を逃れた後、2011年にパキスタンに隠れ家を米軍の空爆を受け特殊部隊によって殺害された。世界貿易センターとその周辺のインフラの破壊は、NY経済に深刻な打撃を与え世界市場に大きな影響を与えた。米国とカナダの民間空域は9月13日まで閉鎖。ウォール街は9月17日まで閉鎖。さらなる攻撃への警戒や恐れから、多くの閉鎖、避難、キャンセルが続いた。ワールドトレードセンター跡地の清掃は2002年5月に完了し、ペンタゴンは1年以内に修復された。
ニューヨーク市の911メモリアルとミュージアム、バージニア州アーリントン郡のペンタゴンメモリアル、ペンシルバニア州の墜落現場にある93便ナショナルメモリアルなど、多数の慰霊碑が建設された。
その後、2001年9月12日早朝、証券会社の担当者からニューヨークのワールドトレーダセンターへハイジャックされた大型民間機が突っ込んだテロ事件会ったという知らせと、現在、市場開始20分前に先日の終値255万円で、現在の気配値245万円、マイナス10万円と想定内の範囲だといい、安心してくださいと言われ、電話くれてありがとうとお礼を言った。
佐野良介は、株で儲けた金で、家を新築しようと父に進言すると了解してくれた。実家も古くなったので、渡り廊下でつなげた木造の家、母屋を建坪も45坪で両親用に30坪の在来木造建築で、父の知り合いの地元の加藤工務店に建てて欲しいと言うと、敷地が広いから今の所に住んだままで庭に新築できると言われた。加藤工務店が大手建材メーカーのフランチャイズとして安くて良い部材の住宅を作れると言った。
父の佐野良介が、加藤社長に設計図と見積もりをお願いした。父の家は、リビングダイニング以外は和室4つで、1つは茶室仕様にした。佐野達夫の家は、和室1間で他4室は10畳のフローリングにして、ペアガラスを採用した。風呂も別々に2つ作ってもらう事にして、支払いも別々にすることにした。2002年3月から10月の7ケ月で建築して言くと言われた。
見積もりは、オプションなしで5千万円、オプションを入れて5500万円といわれ、父が2500万円、佐野達夫が3000万円を出すことで決まった。少しして2003年となった。2月に、佐野の両親が、3泊4日で沖縄旅行へ出かけた。3月中旬に、佐野良助が、南伊豆の下田と伊東温泉に2泊3日で、子供と一緒にクラウンの車で出かけた。
下田について、一泊して、次の昼、海岸に行き、小さなカニを見て、佐野民子と佐野良和が歓声をあげて、追いかけまわした。そこで、父が捕まえて、民子に渡すと、指をチクリとされて、大泣きした。そこで、良和に、カニを掌にのせるとじっくりと観察して、逃げ出すと追いかけまわした。また、潮が満ち引きが、面白いのか、潮が引くと追いかけ、押し寄せると逃げ、歓声を上げていた。
温泉も最初は、熱がっていたが、慣れると気持ちよさそうにしている姿を見ると、実に可愛いものである。一番喜んだのは、母の智子だった。こんなに、ゆっくりとお風呂に入るのは、久しぶりと、うれしそうにしていた。朝食の焼き魚も美味いし、食後のデザート、珈琲も美味しい。しかし、智子の食欲は、すごく、サラダ、デザートのケーキ、プリン、牛乳など大量に食べていた。