17話:摩周湖の伝説
翌々日、祖父母が、死ぬまでに一度、摩周湖を見てみたいと言うので、フロントで回り方を聞くと、国道391号線を走り、川湯温泉の手前を右折して摩周湖湖畔線に入り15分くらいで摩周湖第三展望台に到着。その道を10分足らず行けば摩周湖第一展望台に到着、展望台の人に裏摩周展望台への行き方を詳しく、紙に書いてもらい、お礼を行って出発した。
まず、一度、摩周駅方面に戻る。摩周駅の過ぎ、その先に「別海、虹別」の看板があるから直進。道道885号養老牛方面へそのまま直進し裏摩周展望台方面右折の看板を見て、ひたすら直進しトンネルの前に標識で800メートル先左折の指示通り、トンネルと抜けると、すぐに左折の看板が出て3キロ先、裏摩周展望台と書いてある。しばらくすると、裏摩周展望台に到着する。
展望台の目前には、大きな山・カムイプリが、実に近くに見える。湖の周辺も、全て山に囲まれ、まさに手つかずの自然と行った所だ。展望台には、この展望台が標高585メートル、摩周岳「カムイヌプリ『神の山』」標高857メートルと書いてあった。ちなみに摩周湖は、アイヌ語で「カムイトー」。神の湖と呼ばれる、神秘の場所。
「霧の摩周湖」という歌で有名になった、摩周湖は霧で名物。
観光シーズンの5月から10月の半年間で、摩周湖が一日中見える日は137日、時々見える日は54日、全く見えない日は29日ほどです。摩周湖の霧は特に6月から7月にかけ多くなり、この時期には1日中、湖が見える日は1ヶ月の半分ほどとなり、時々見える日は10日ほど、全く見えない日は6日ほどになる。 また、摩周湖では一寸先が見えない濃霧から、急変して素晴しい晴天になることがしばしば起こる。
湖には、1つ小さな島・カムイシュ島がある。「カムイシュ」とは、アイヌ語で「神となった老婆」という意味、アイヌの伝説が残っている。それが「カムイシュ伝説」。カムイシュ伝説とは、昔々の大昔、ある地方に激しい戦いが起こり村長一族は殺された。そして、一人の老婆が殺された息子の忘れ形見の孫を連れて逃げた。老婆と孫は野山を彷徨い歩きましたが、いつしか老婆は連れていたはずの孫を見失っう。
悲しみにくれ疲れ果てた老婆は、摩周湖のほとりにたどり着き、カムイヌプリ「摩周岳」に一夜の宿を頼みました。カムイヌプリは「いつまでも休め」といたわりの声をかけると、老婆を島に変えました。その島が湖の中に浮かぶホクロのような小島、カムイ(神)、シュ(老婆)。摩周湖に霧が多いのはこの島に姿を変えた老婆が、孫を思って、泣くからだと言われています。
その後、遅くなったので釧路への帰路へ。16時過ぎにホテルに到着。夕食を食べて、風呂に入り、22時には、床に入った。翌日は、10時過ぎ厚岸の牡蠣「かき」を食べに出かけ、そのうまさを堪能。帰ってきて、幣舞橋の市民ボランティアが金を出して作った4つの銅像を見て写真に収めた。数日後、網走方面にドライブへ。その後、中標津から知床のオシンコンの滝を見て斜里から帰る長距離ドライブもした。
その他、阿寒湖と雄阿寒岳、阿寒湖アイヌコタン、屈斜路湖も見学したが、湖では、なんと言っても摩周湖が一番、印象に残った。そして10日間の釧路での避暑の旅を終えて8月25日に横浜に帰ってきた。この旅行に関しては、涼しくて快適と両親が一番喜んでくれた。横浜に戻ってくると、未だに残暑が厳しくて、北海道の釧路の朝晩の海からの涼しい風が懐かしく思えた。それも10月になると涼しくなった。
やがて2011年となった。冬は、風邪を引かないように気をつけていたが、佐野民子と佐野良和が、小学校で風邪をもらい、1日休んだ。そのため祖父母に移さないように、面会させないようにした。佐野良介も智子も寝込むまではいかないが38度の熱が出てだるかった。