偽の当たり前
ある集団の当たり前が、世界の常識と宣言するのは大きな罪ではないだろうか。
そもそも、当たり前とは何か。
多数の人間が行うことか。
それとも、集団で定めたことか。
いろんな当たり前が存在するかもしれないが、客観的にみると異常と思われる場合もある。
しかし、どんなに異常であっても、その当たり前を変更することは許されていない。
なぜならば、一つの当たり前が崩壊することによって、社会全体の当たり前が崩壊する恐れがあるからだ。
それならば、疑問を持ちながらも、異常な当たり前に従い続けるのか。
別の方法として、異常な当たり前を世界の常識と宣言している集団から出ることだ。
そして、また別の集団に所属して、その集団の当たり前に従う。
結局のところ、各個人、全員が納得できる当たり前は、どこをさがしてもないかもしれない。
真の当たり前とは何か・・・・・・。
終わり