仕事辞めなきゃよかった
仕事は嫌でも3年間は続けた方がいい。
そんな言葉は耳にたこができるくらい聞いた。
俺も入社時はそのつもりでいたし、3年なんて言わず定年まで勤めてやる気でいた。
しかし、社会という奴は残酷である。
何の努力もしてこなかった奴にはそれ相応の居場所しか用意されない。
何をするにも挫折してきた俺にはもれなくブラック企業という地獄がプレゼントされた。
労働時間も給料も社員の顔も腹の中も全部真っ黒だった。
顔は黒かったというより暗かった。
もう会う人全員生気を抜かれたような感じで、入社初日は間違えてラクーンシティに来たのかと思った程だ。
唯一白かったのは作業服だけ。
これは俺の鉄板ネタにしている。
ちなみにウケたことはない。
逃げ癖がある俺がそんな場所に長く勤めていられるわけがなく、3年間ではなく3ヶ月で会社を辞めた。
漢字2文字しか違わないしセーフだな!
ただそのままニートになるわけにもいかないから転職サイトに登録して転職活動を始めた。
今日は今後の転職の方向性を決めるために都内ビルの一室に面談で来ている。
「小野遥人さん、19歳。足立区で一人暮らし。現在は離職中という事でよろしかったでしょうか」
目の前に座る女性がパソコンとにらめっこしながら質問してくる。
彼女は長坂美咲さん。
転職エージェントのキャリアアドバイザーで今回俺の担当になって求人紹介、履歴書の書き方、面接のアドバイスなど就職までのサポートをしてくれる事になっている。
肩にかかるくらいの綺麗な黒髪を後ろで結びスーツ姿で画面を見つめる長坂さんはできる女性という感じがする。
「はい。3日前に」
今は俺が事前に送った職務経歴書を見ながら事情の確認をしている。
「では小野さんの転職理由は何ですか?」
転職理由か。
普通に話してもいいけど、どれちょっとあれも混ぜてみるかな。
「えーと、前の会社は毎日サービス残業で休日出勤も毎週あり、なのに給料は安くて、よくあるブラック企業というやつで白かったのは作業ふ――」
「そうですか」
オチ寸前で興味なさげなトーンの相槌が入る。
俺の爆笑必至のすべらない話はゴール寸前で落とし穴に落とされてしまった。
「で、転職理由は?」
改めて質問が入る。
顔は無表情なのにどことなく言葉に怒気が混じっている気がする。おこなの?
だがここで諦めちゃだめだ。もう一度行くぜ!
「えー前の会社がブラック企業でして、白か――」
「理由は?」
またも無表情から繰り出される力強い言葉。
今度は明かな殺意を感じる。
よく見ると右手が震えていて今にも握っているマウスを潰しそうな勢いだ。
「仕事がきつく給料が安かったからであります!」
恐怖からか自衛隊員のような口調になってしまった。
話してる最中に女性が興味なさげな反応をしていたら直ちに切り上げる。
これは社会に出ても変わらないようだ。
「なるほど、わかりました。それにしても高卒で就職して入った会社を3ヶ月で退職と。はぁ……そうですか。はぁ……」
額に手を当て溜息と困り果てた表情を見せ俺の経歴を朗読してくる長坂さん。
おまけの追い打ち溜息でもう心はボロボロである。
まぁでも無理もない。
高卒で早期退職者となると雇ってくれる企業も少ないからだ。
「高校も調べてみましたがそこまで頭の良い所ではありませんでしたし」
「すいません」
確かに俺は頭もそれほど良くない。
テスト期間中は毎回部屋の掃除がしたくなる呪いにかかってしまいあまり勉強をした記憶がない。
特に掃除中に見つけた漫画を読んでしまうコンボに嵌った場合は全教科赤点も覚悟したもんだ。
「特に目立った資格もなし」
「普通自動車免許は持ってますよ!」
「そんなもの持っていて当然でしょう」
「すいません」
僅かな反撃も一瞬でカウンターされてしまう。俺今日貶されに来たんだっけ?
「大体なんですかこの小野遥人って」
「すいま・・・いやそれはいいでしょ!!」
「すいません、冗談です」
ようやく目線をパソコンから俺に移し笑顔で謝る長坂さん。
正直ちょっと可愛いから許した。
「ところで一つ聞きたいのですが、この趣味・特技の欄に書かてれいる『お辞儀』とは何ですか?」
「ああ、それですか」
――キタ!
冷静に返答しつつも心の中では笑みを浮かべる。
お辞儀は俺の特技だ。
手足の位置、顔と上半身の角度、動作時間、すべての所作が完璧。
普通の人がやるそれとは比べ物にならないほど綺麗で、曰く美しさのあまり俺がお辞儀をしている時、後ろに仏が見えるらしい。
中学の友達の前田に感想を聞いた時にそう教えてくれた。
何故か苦笑いだったけど。
どれちょっと見せてやるかな。
「僕の特技なんですがね。わかりづらいと思うのでやって見せましょうか」
返事を待たず椅子から腰を浮かす。
「いえ結構です」
「え?」
予想外の返しに驚き俺は椅子に吸い寄せられるように着席する。
「ですから結構です。おはじきと打ち間違えたのかと思ったので聞いてみただけですので。ていうかお辞儀が特技って……プッ」
手で口を押えて顔を左下に向け肩を揺らす長坂さん。
はいはいわかってましたよ。
高校の自己紹介でこれをやったら皆同じリアクションだったからね。
てかあんたどうせおはじきって書いても同じリアクションしただろ。
「あの……」
「すいません、目にゴミが入りました」
そう言いながら顔を俺の方に戻す。
「思いっきり口押さえてましたけど?」
「見間違いです。さ、そんな話は置いておきましょう」
もうこの話は終わりと言わんばかりに事実を捻じ曲げ話題を変える。
嘘を見破られそうになった時によく使う技である。
「そうですね。今の小野さんのスキルで前職よりいい企業となると紹介できる求人は少ないですね」
険しい表情で厳しい事を言われる。
でもそれも仕方ない。
スキルや経験といった強みが俺には全くないからだ。
武器になるのは若さくらいだ。
俺に残された選択肢は休日は多いが安月給派遣社員としてスキルを付け数年後また転職するか、高給だが激務の2択だと思っている。
休日と給料。
この2つが高い位置で安定したホワイト企業の正社員には今の俺ではなれない。
「そうですよね。難しいですよね。」
「はい。でも一つだけ小野さんにピッタリの最高に良い求人があるんです。今まで誰にも見せてない完全非公開求人なのですが、まず給料がものすごく良い!な・の・に、休日も多い!高卒19歳でこの条件。これだけでも十分凄い事ですが何と仕事内容は超簡単!」
急にジャパネット張りの饒舌になる長坂さん。
だが内容はテレビのそれとは程遠く具体的な話が一切ない。
正直怪しすぎる。
「何か怪し――」
「そうですか。これなんですけど」
俺の言葉を遮ってタカタさんは一枚の求人票を机の上に広げる。
手際が良すぎてなんか最初からこの求人だけを紹介しようと用意していたような気がしてきた。
まぁ一応見てみるか。
「えーとどれどれ……何ですかこれ」
目の前に置かれた紙は求人票であって求人票ではなかった。
会社名「非公開」、所在地「非公開」、事業内容「非公開」、そして極めつけは備考欄にサイズを変えデカデカと書いてある「アットホームな職場です」という一文。
これは会社がアピールできるポイントが一つもない時に使う、言わばブラック企業のキラーワードのようなものだ。
「いかがですか」
「いや、いかがも何も怪しさ満点じゃないですか。非公開求人っていうか内容がほとんど非公開になってるんですけど」
「でも給料はいいですよね」
確かに賃金の欄は公開されていてそこに載っている額は高卒どころか大卒で数年働いても届かないような数字だった。
「確かにそうですけど月給40万ってさすがに高すぎません?」
「そんなことありません。仕事内容に見合った給料だと思いますよ」
この年齢で月給40万に見合った仕事って何?暗殺業でもさせられんのか。
「とにかく、こんな見え見えの地雷を踏もうとは思いませんよ」
「そう言わずに。良ければ職場見学だけでもしてみませんか?というか今日この後お時間よろしいでしょうか?」
「今から?まぁ特に予定はありませんけど、場所はどこなんですか。あんまり遠い所ならまた後日に」
「ご心配なく。一瞬で着きますので。私の手を握ってください」
目の前に右手が差し出される。
俺は言われるがままにその手を握る。
その瞬間俺の視界は眩い光で覆われた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「着きましたよ」
その声に反応して俺は目を開ける。
目に飛び込んできたのは全く見覚えのない場所だった。
木造建て、右手にはベッド、その奥には本棚、左手にクローゼット。
誰かの部屋のようだが埃っぽく、本棚に本は一冊置かれていなかったり、ベッドには布団も敷かれていなかったりと生活感が感じられない。
恐らく長年使われていなかったんだろう。
正面の窓から見える景色からして2階だろうか。
部屋の大きさこそ変わらないが内装、造りはさっきまでの部屋とは全くの別物だ。
「ここどこですか?」
「以外に冷静ですね。もっとバカみたいに叫ぶものかと思っていました」
薄々感じていたけどなんかこの人俺に当たりがきつくないか。もしかして俺の事嫌いなの?
でも長坂さんの言う通り俺は今かなり落ち着いている。
人間驚きを通り越せば感情がなくなり冷静になれるのかもしれないな。
「まぁあまりにも唐突過ぎたもので。で、ここは一体」
馬鹿にされた事は置いといてまずは一番聞きたいことを聞く。
「ここはウィンセル。今日貴方が見学しに行く職場がある街です」
両手を小さく広げながら彼女は言った。
・・・・・・は?
「詳しく」
いきなり出た謎の地名に頭が混乱して言葉一つ絞り出すのがやっとだ。
「ここは大陸ユピタリア一の都市ウィンセルで、いわゆる異世界というやつです」
異世界?あーあれね、漫画とかアニメでよく見るトラックに轢かれた奴が迷い込む世界ね。
「何だってーーーーーー!!!」
気が付けば俺は馬鹿みたいに叫んでいた。