広瀬さんは聞いている。
高校に入って、僕は初めて恋に落ちた。
相手は同じクラスの広瀬さん。お淑やかな雰囲気で無口で、肩までくらいの髪の毛をしている。成績優秀で、課題も授業もきっちりこなす彼女に、落ちこぼれの僕が恋をするなんて、最初から終っているようなものだ。男友達に話しても“なんであんなやつなんだよ”なんて口を揃えて聞かれるし、連絡先を交換したくて女友達に聞いても“大原君が広瀬さんと?うーん、似合わないと思うけど。ていうか、広瀬さん友達居ないし、連絡先知ってる人もいないと思うよ”と言われてしまった。
これでは、お友達からのスタートすらできない。
何度か声をかけてみたものの、彼女は聞こえていないのか返事もしてくれなかった。どうしようもなく悩みに悩んだ僕は、あまりに酷い行動を取った。
7月の最初の金曜日、生ぬるい風が吹いていた。ページが飛ばないように、広瀬さんは開いた教科書に筆箱を置いて、テストに向けての勉強を、教室に残ってやっている。
鳩尾の辺りが空っぽになった感覚を引きずりながら、声をかけた。
「広瀬さん!好きです!お友達からお願いします」
ペンが走る音は止まらない。自分の口も止まらない。
「広瀬さん!鳥が好きだったり、小さなぬいぐるみが好きだったり!そんな広瀬さんが好きです!お友達からお願いします!」
単語と意味をつらつらとノートにまとめていく広瀬さんは、僕のほうを見ることすらしない。でも、僕も恥ずかしさで広瀬さんのほうを少しずつしか見られない。
「恥ずかしがりなところも、無口なところも好きです!!もっと好きになります!」
「……」
カーテンが大きく揺れて、僕の羞恥心を煽るが、関係ない。
「広瀬さんが好きです!僕も恥ずかしいから、一緒だから!無口でも嫌じゃないです!好きです!」
ものすごく好きだ。恋愛は初めてだから駆け引きとか、そういうのはわからない。だからこそ、ストレートに。
「……」
「広瀬さんとお友達からはじめたいんです!」
廊下まで聞こえるだろう声量で叫んでいる。放課後とはいえ、他に生徒はいるだろう。それなのに止まらない。
「広瀬さん!僕とお付き合いしてください!お友達からお付き合いしましょう!」
支離滅裂だ、お友達なのかお付き合いなのかわからない。
「広瀬さん……僕と、お友達になってください」
広瀬さんは未だ顔すら上げてくれない。何だか、迷惑がられているような気がしてため息をついた。カーテンが大きく揺れる。
肩を揺らした広瀬さんが、明らかにペンの場所を変えてノートの端にメモをとった。びりっと、破る音がする。呆然と見ていると、その紙切れを僕に渡した。座ったまま、伸ばされた手は心なしか震えている。まさか、怖がらせてしまったのかと思いながら、恐る恐る紙を取った。
紙を広げる。歯を食いしばってじっと見た。
「え」
変な声が出る。
「お付き合いからでもいいですよ」
一瞬、思考が止まった。
荷物をまとめて、立ち上がった耳の赤い広瀬さんは、ぎこちない笑みを浮かべてそう言った。
予想外のできごとに、呼吸すらままならない。
「私も好きですから。じゃあ、また明日。大原良樹くん」
このノートの紙切れを、この“私も好きです”という言葉を胸に彼女を大切にすることができることを、ドアが閉まる音がしてから自覚した。それから、赤面する。これは、最初から聞こえていたということだろうか。いや、多分聞こえていたはずだ。ものすごい声量で言った。恥ずかしい。恥ずかしがりの癖に、こんなことをしてくるなんて、なんて人だ。広瀬さんより僕は恥ずかしがりだったのかもしれない。というか、好きだったってどういうことだろう。そもそも、お付き合いでもいいってことは、この先デートとかするっていうこと。そういうことになる。どうしよう。どういうことだ。
カーテンが大きく揺れた。
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