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8、那人、親友に妻の悪口を言われる

「黒タイツにシャネルのサングラス?」


 夜景を眺めながらお酒が飲めるお洒落なバーで、夏目なつめ圭吾けいごは親友の芥城あくたぎ那人なひとに聞き直した。


「なんだそれ?」

 

 夏目が不審がるのも当然だろうと、那人は苦笑した。


「さあ、わかんないけど昨日帰ったら紫奈しなが風呂場でスポンジを持って、その恰好でいたんだ」


「風呂場でスポンジ?

 掃除してたって事か?

 あの紫奈ちゃんが?」


「うん。みたいなんだ。

 その後シャワー浴びに風呂場に行ったら、なんか壁も床もピカピカでさ。

 ちょっとビックリしたんだけど……」


「信じられないな……。あの紫奈ちゃんが……」

 夏目は元ラガーマンの骨太の体格だが、屈託ない笑顔と大らかな人柄が人を惹きつけるらしく、営業の腕も良く、女性にもモテた。現在も独身貴族を謳歌している。


 対して、那人はスマートにスーツを着こなし、オールバックの髪に甘いマスクでイケメン青年実業家として憧れる女性は多いが、生真面目な性格が前面に出ているせいか、見た目ほどはモテない。

 離婚が決まってからも、まだ一応既婚者だからと薬指に律儀に指輪をつけているのも一因だろうとは思うが……。


「トイレもキッチンも綺麗になってた。

 昨日一日かけて掃除してたみたいなんだよ」


「なんかの間違いじゃないのか?

 あの紫奈ちゃんだぞ?」


 あの紫奈ちゃん、という言葉は三回目だった。


 あの紫奈ちゃんとは、料理も掃除もしない上に、我がまま放題で気に入らない事があると、すぐに泣き落としとヒステリーで思い通りにしようとする女の事だ。


 唯一家庭の事を相談していた親友の夏目は、結婚一年目から早く離婚しろと那人に忠告していた。


「ああ! それは、あれだな!」

 急に思いついたように夏目は手を打った。


「あれ?」


「そう。ここで点数を稼いで、お前から更に慰謝料せしめようって魂胆だよ」


「そ、そうなのか?」

 那人は気を落ち着けるように、手に持った黒ビールを一口飲んだ。

 女の事は、自分よりこの夏目の方がずっと詳しい。


「そうに決まってるだろ?

 あの子ならそれぐらい考えるだろうよ」


「そ、そうか。お前が言うならそうなのかな?」

 紫奈と結婚を決めた時も、夏目は絶対面倒な女だからやめておけと忠告したのだ。

 それなのに結婚して、女を見る目のなさは実感している。


「だって、あれだろ?

 紫奈ちゃん、運転の邪魔して心中しようとしたんだろ?」


「え? 誰からそんな事……」


「今朝、優華ちゃんに道でばったり会ったんだ。

 お前が必要以上に責任感じてるって心配してたぞ?」


「ああ、優華ちゃんか……」


「すっげえいい子じゃん。

 最初っからあの子にしておけば良かったんだよ。

 美人だし頭もいいし落ち着いてるし。

 俺だったら絶対あの子を選ぶよ」


「そうだよな……」

 那人は考え込むように、もう一口黒ビールを飲んでから続けた。

「でもさ……。

 たとえ点数稼ぎのためだったとしてもさ、あの紫奈が水まわりの掃除をしてたんだよ。

 あれだけ嫌がってたのに……」


「なんだよお前、まさかここにきてよりを戻そうとか考えてないだろな?」


「いや、そんな事は考えてないけどさ……」


「やめとけ、やめとけ!

 人がいいのもたいがいにしろよ、那人。

 探偵雇って素行調査して1000万の慰謝料要求したりする女だぞ?

 だいたい自分がもっとちゃんと奥さんらしい事をしてれば、那人みたいな責任感の塊みたいなヤツが浮気するかっての! 身から出た錆だろうにさ。

 その上運転妨害で心中しようとしたかと思ったら、今度は彼女のお母さんと浮気相手が、脳死になったのはお前のせいだって自分達にも慰謝料要求してきたんだろ?

 腐ってやがるな。とんでもない親子だよ」


「いや康介君が浮気相手かどうかは分からないけどさ……」

 意識が戻らない紫奈の病室で、彼女の母親と康介が交渉を始めた時は驚いた。

 離婚の慰謝料に払うはずだった1000万を自分達に払えと言ってきたのだ。


「決まってるだろ?

 結婚してからも二人で会ったりしてたんだろ?」


「まあ、実家に行けばいつもいるみたいだからね」


 昔は紫奈が実家に行くたび康介と会ってるのが嫌だった。

 でも今は正直、どうでもいい。

 嫉妬などという感情はもうなくなってしまった。

 紫奈が誰と浮気しようが、もう自分には関係ない。


「離婚届けを出すのを1ヵ月先延ばしにしてくれって言われたんだって?」


「ああ、うん。まあ事故に遭ったばかりでちょっと動揺してるみたいだしさ。

 あと1ヵ月ぐらいなら、面倒みようかと思って……」


「甘い!! 甘いよ、那人!」

 夏目は言葉を遮って叫んだ。


「お前はどこまで人がいいんだよ。

 そんなだから貧乏くじばっかり引くんだよ。

 1ヵ月先延ばしにして、何を企んでるのか分かったもんじゃないぞ!」


「わ、分かってるよ。でも……」


「でも何だよ。

 まさかもう慰謝料の上乗せを要求されてるのか?」


「そんなんじゃないよ。ただ……」


「ただ、何だよ!」


「ただ、あれほど嫌がってた水まわりの掃除を、あの紫奈がやったのが……、無性に嬉しかったんだ。

 ただ……嬉しかったんだ」


 夏目はオーマイガッというリアクションで頭を抱えた。


「那人~! 完全に紫奈ちゃんの思うツボだぞ。

 それが彼女の計算なんだよ」


「たとえ計算だったとしても……嬉しかったんだよ……」


 夏目はやれやれと頭を振ってから、那人を真正面から見据えた。


「あのな、那人。

 お前が誰より寛容で、心優しい人間なのは俺が一番よく知ってる。

 その優しさにつけ込むヤツも多い。

 お前はいつもそうやって人の尻拭いばかりしている。

 紫奈ちゃんの事もそうだ。

 自分が結婚を望んだ責任を感じているのも分かる。

 でも、もう責任は充分果たしたと思うぞ。

 お前は精一杯やった。

 もう紫奈ちゃんから解放されて、自分の幸せを追い求めてもいい。

 俺が許す!」


 ムキになって説得する親友に、那人は苦笑した。


「お前に許されてもなぁ……」


「それに一人息子の由人ゆひとくんの事もあるだろ?」


「ああ……。そうだったな……」

 那人は由人の名を聞いて、急に真顔に戻った。


「生意気なのが気に入らないって叩いてたんだろ?」


「うん。まあ……由人も他の5才児に比べると、確かに生意気なんだけどな」


「だからって叩くのは良くないだろ?

 それに優華ちゃんには懐いてるみたいじゃん」


「優華ちゃんは非の打ち所のない子だからな。

 由人も認めてるみたいだ」


「由人くんのためにも、さっさと離婚して優華ちゃんと再婚しろって」


「……簡単に言うなよ」


「簡単なんだよ。

 思い切って踏み出せば案外うまく収まるもんだ」


「そうなのかな……」


「あー、もう分かったよ。

 1ヵ月そうやって悩んでろ!

 それより今日はもっと重大な話があるだろ?」


「ああ……そうだった。

 例の件の方が今は差し迫ってるんだ」


 二人は一転して深刻な表情になって、その日遅くまで話し合った。


次話タイトルは「那人、紫奈のカレーを食べる」です

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