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4、紫奈、現実を知る

那人なひとさん……」


 病院のベッドで目覚めたのは、いい雰囲気になりかけていた、那人さんと優華の目の前でだった。


「し、紫奈しな?! 目が覚めたのか!」

 そう叫んだ表情は、喜びでも驚きでもなく、ギクリと慌てたものだった。


 那人さんと優華は、慌てて距離をとるように離れて、無理な笑顔を作った。


「よ、良かったよ。

 このまま目が覚めなかったらどうしようと思ってたんだ」


「紫奈~!! 

 本当に心配したんだから……うう……良かったあ……」

 緊急ボタンでナースステーションに連絡する那人さんの隣りで、優華が涙ぐんでいる。


 嘘なんだろうなあ……と、私はぼんやり二人を見つめていた。

 以前の私なら、「なんで二人っきりでいるのよ!」と、問い詰めたのだろう。


「ちょうど今お見舞いに来て、那人さんと紫奈の病状を話していた所なのよ」

「そ、そうなんだ。ホントに今会ったばかりなんだ」


 二人の言葉が言い訳がましい。

 私の行動パターンを知り尽くしている二人だから仕方ないのか。


 二人が親密に慰めあっていたのを私は霊界裁判で見ていた。

 でも、嘘だと分かっていても、不思議に腹は立たなかった。


 淋しいのは淋しい。

 この二人に嘘をつかせる自分が……。

 そんな存在としか思われていなかった自分が……。


 私はもう知っている。


 自分が那人さんにとってどんな存在なのか。

 試練を与える迷惑な存在でしかないのを。


 知らなかったから、認めたくなくて、不安で焦っていらついていた。

 でも知っている今は、不思議に淡々とすべてを受け止める事が出来た。


「心配してくれてありがとう」


 私の言葉に、二人は驚いたように顔を見合わせた。


 そう。


 驚くのだ。


 こんな当たり前の感謝の言葉に。


 それほど、私はわがままで自分勝手な言葉ばかりを吐いていた。


「し、紫奈、やっぱりどこか痛かったり記憶がおかしかったりするのか?」


 那人さんは、しおらしくありがとうなんて言う私を随分見てなかった。

 頭を打っておかしくなったと思ってるらしい。


 私は以前の自分が情けな過ぎて、むしろ可笑しかった。

「ふふ。大丈夫よ。心配しないで」


 微笑する私に那人さんと優華は、もう一度目を見合わせて首を傾げた。


「それよりも那人さんに一つお願いがあるの」


 私は自分でリベンジの方法を決めていた。

 本当に愛しているなら、どうする事が正しいのか。

 今度はちゃんと自分の頭で考えた。


 不器用な頭で一生懸命考えた。


 私の出した答えは、那人さんの追加課題となってしまった私が、リベンジシステムをクリアして、早急に彼の人生から立ち去る事だ。


 悪妻から解き放たれて、ようやく幸せな結婚生活を迎えるはずだった彼を、元通りの世界に戻してあげる事だ。


 だから……。


「1ヶ月だけ離婚届けを出すのを待って欲しいの。

 家の中も那人さんの事も由人の事も、きちんと整理する時間が欲しいの。

 1ヶ月したら全部きちんとして出て行くから」


 那人さんは戸惑ったように私を見つめた。

 隣りの優華は少しショックを受けているようだ。

 もしかして、私がなんだかんだと理由をつけて居座るつもりだと思ってるのかもしれない。


「ごめんね、優華。1ヵ月だけだから……」

 私は優華にも頼んだ。


「ど、どうして私に……? 嫌だわ、紫奈ったら」

 バレバレではあるが、一応二人が好き合ってる事は内緒だった。

 優華は視線をそらして誤魔化している。


「那人さん、お願いします」

 ベッドから体を起こして頭を下げようとする私を那人さんは押し留めた。


「何言ってんだよ。そんなの当たり前じゃないか。

 俺の運転で怪我させたんだ。

 体が元通りになるまで俺が面倒見るから。

 心配しなくていいよ」




 ああ。



 那人さんはこういう人だった。



 責任感が強くて、律儀で、優しい。


 だからこんな私に7年も我慢してくれてたんだ。


「ごめんね……」

 呟くように言った言葉は那人さんの耳には届かず、溢れそうな涙を隠すように私は布団を頭からかぶった。



 その日はもう一日だけ検査入院して、翌日の退院が決まった。

 頭以外はかすり傷ぐらいしかなかったらしい。

 むしろ後頭部を5針縫った那人さんの方がひどいぐらいだった。


 やがて面会時間の終了と共に、明日迎えに来ると言って那人さんは優華と一緒に帰っていった。


 そして面会時間もとっくに過ぎた夜に、私の意識回復を聞いたお母さんと、幼馴染の康介こうすけがドタバタと駆け込んできた。


「紫奈!! 良かったああ。

 このまま死んじゃうのかと思ったわよう」

 お母さんはパート帰りらしく、似合わないハイソックスを穿いていた。


 私はいろんな管を抜いてもらい、起き上がって夕食を食べていた。


「紫奈! もう目が覚めないかと慌てたぞ」

 康介はマンションの同じ階に住む腐れ縁の仲だった。

 高卒の後、職を転々として現在はフリーターだが夢だけは大きい。

 アイドルのようなルックスをいかして、将来水商売系のお店を持ちたいと思ってるらしい。


 優華も同じマンションだが、昔からこの二人は犬猿の仲だった。

 でも私と康介は気が合って、学校も違うのにつかず離れずの縁が続いている。


 それは康介がお母さんのお気に入りで、何かと面倒を見ているからかもしれない。

 そしてシングルファーザーで母親のいない康介は、お母さんを母親のように慕っていた。


「まあ! 那人さんはもう帰ったの? 妻が三日も眠り続けて目が覚めたっていうのに、なんて薄情な人なのかしら! しかも自分の運転で事故を起こしたくせに!」


「面会時間が終わったから看護婦さんに追い出されたのよ。

 お母さんの方こそ無理言って入れてもらったんでしょ?」


 お母さんは結婚当初、那人さんを褒めちぎっていたくせに、離婚話が持ち上がった途端に手の平を返したように目のかたきにして、彼のあらを探すようになった。


 那人さんと優華が私に隠れて会っているのを知ったのも、お母さんが素行調査に雇った探偵からだった。


『那人さんの浮気が原因なんだから、慰謝料ぶんどって別れるのよ! いい?』


 そう言って、結局1000万の慰謝料で離婚に同意した。

 那人さんが優華と会っていたショックで、私は何も考えられなかった。

 だから、やっぱりお母さんの言いなりに、離婚届けに判を押したのだ。


「もしかしてこんな時に浮気相手に会ってんじゃねえの?

 とんでもないヤツだよな」

 康介は最初から那人さんが気に入らない。

 結婚にも大反対だった。


 確かに那人さんは優華と一緒に帰って行った。

 きっと今頃は、離婚届が先延ばしになった事を話し合ってるはずだ。

 そんな事を言ったら、この二人が猛烈に怒り出して何をするか分からないから、もちろん言うわけにはいかない。

 だが、以前の私なら二人と一緒に、那人さんと優華の悪口に花を咲かせていた事だろう。


 この二人はこの現世で僅かにしかいない私の味方で、以前の私にとっては何よりも頼りにしていた存在だったが、今はその愛情が偏狭的だと感じた。


「その事だけど、私、離婚を1ヵ月先延ばしにしてもらったの」

 

 私の報告に、二人は驚いた顔をしてから、鬼の形相になった。


「ど、どうしてよ! せっかく話し合いもついたんだし、さっさと手続きしないと那人さんの気が変わるかもしれないでしょ!」


「そうだよ。1000万を値切られるだろ!」


 本来なら1000万もの慰謝料をもらえるはずもなかった。

 那人さんが優華と会ってたのは確かだが、喫茶店で話をしていた写真だけで、決定的な浮気現場を押さえた訳ではない。

 それに私の方にも多くの離婚原因があった。

 しかし、那人さんはそれを言い立てる事もせずに、あっさり私の側の慰謝料の条件を呑んでくれたのだ。

 だから那人さんが異議を申し立てて裁判になれば、慰謝料はもっと減額されるはずだった。


「私、慰謝料は断ろうと思ってるの」


 私の発言に、二人は唖然としてしばらく言葉が出ないようだった。


 それから猛烈な勢いで問い詰められた。


「な、何言い出すのよ紫奈!! あんた正気なの?

 親友と浮気してた男を、みすみす都合よく離婚してあげるつもり?」


「お前、那人になんか脅されたのか?

 なんか弱味でも握られたのか?」


「そんなんじゃないわよ。

 ただ、私の側にも原因はたくさんあったし……」


「そんなの立証出来なきゃ問題にならないわよ!

 私は納得しないわよ! 

 娘を傷物にされて、ただで解放する訳にはいかないわよ!!」


「傷物って……。私は那人さんを好きで結婚したんだから。

 騙されて結婚させられた訳じゃないのよ」


「ちょっと紫奈! あんたどうしちゃったの?

 頭打っておかしくなったんじゃないの?」




 そうだ。




 頭を打って……。




 真実が見えるようになったのだ。


 本当におかしい事を言っているのは誰なのか……。


 僅かな味方だと思っていた人達は、間違った愛し方しか出来ない人達だった。

 私は疑う事もせずに、自分に心地よい言葉を吐いてくれる人を信じたのだ。


 でも、もう流されてはいけない。

 これは私の人生なのだ。

 自分が何を選び、何を行動するかは、すべて私が決める。

 そして、それがどういう結果を残そうとも、私が責任をとらなければならない。




 だから……。


「ごめんね、お母さん。離婚するのは私なの。

 私が自分で決めるわ」



 親に逆らうのは親不孝だと思っていた。


 でも親だって間違う事もある。

 人間なんだから、いつも正しいわけじゃない。


 親が間違ってると思うなら、正す事こそが親孝行なのだ。


 そこに軋轢あつれきがあるなら、戦うのが生きるという事なのだ。



次話タイトルは「紫奈、掃除の楽しみを知る」です。

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