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31、紫奈の決断

 那人は足早に紫奈と待ち合わせたホテルに向かっていた。


(こんな事があるなんて……)


 信じられない出来事があった。


 先日、夏目に紹介してもらった資産家の老人に午前中アポを取って会ってもらった。

 資産家というから、どんな偉そうな老人かと思った。


 確かに家は長い塀の続く和風建築の豪邸だったが、生活ぶりはいたって質素で、お手伝いさんを一人だけ置いているお婆さんだった。

 本当にこのお婆さんがそんな大金を自由に動かせる人なんだろうかと怪しむぐらい、普通の老人だった。

 那人がこれまでのいきさつを話している間も飼い猫の頭を撫ぜながら、聞いてるのか聞いてないのか分からない感じだったので、援助なんて無理だろうと思っていた。


 しかし、話し終わったと同時に「5000万でいいのか?」と聞いてきた。

 まさかと思いながら「はい」と答えると、その場で小切手を切って渡してくれた。


 逆に「本当にいいんですか?」と聞き返してしまった。

 「いらないのか?」と問われ、あわてて「いります」と答えた。


「一目見た瞬間に援助しようと思った。

 こういうのは直感で決める」

 と老夫人は答えた。


 直感だけでここまでの資産を築いた。

 それに置いておいても墓場まで持っていけるものでもないのだから……と。


 半信半疑で受け取った小切手は、銀行ですんなり受け取ってもらえた。

 現金化できるのは明後日だが、どうやら夢ではないようだ。


(倒産せずに済む。会社を立て直せる!)


 早く紫奈に会って伝えたかった。

 そして勇気を出して言ってみよう。


 もう一度俺との未来を考えてくれないか……。




 ホテルのカフェには、すでに紫奈が待っていた。

 那人に気付くと、立ち上がってここだと軽く手を上げた。


 その凛とした姿にドキリとした。

 色の白さも茶色の巻き毛も大きな目も全部が好みだが、最近は自分の意志でしっかり立っている強さのようなものを感じる。

 相変わらずドジで頼りない所もあるが、揺るぎない何かを心に宿しているように思う。

 その聡明さが那人を感動させる。


「ごめん、待たせたか?」

「ううん。早く来すぎちゃったの」


 コーヒーを注文して席についた。

 カフェのド真ん中の席だった。

 やけに目立つ席だ。


「ごめんね、こんな所に呼び出して」

「いや、出来れば由人のいない所で話したいしな」


「那人さんとこういう所で会うのも久しぶりね」

 紫奈は何かが吹っ切れたような鮮やかな笑顔で那人に微笑んだ。


 この所会社の事でバタバタしていて、外食する事もなかった。

 こんなに嬉しそうに笑うなら、もっと時間を作って連れてくればよかったと思った。


「紫奈、あのさ……」

 那人が嬉しい報告をするよりも早く、紫奈は鞄から出した紙切れをテーブルに置いた。


「最初にこれを返しておくわ」


 それは……。


 紫奈に渡しておいた離婚届けだった。


「これは……」

 開いてみると、紫奈の署名蘭は空白のままだった。


「返すという事は……じゃあ……」

 離婚したくないという意思表示なのか……。

 那人は期待を込めて紫奈を見つめた。


 しかし、紫奈は続けて、隣りの座席に置いていた紙袋をテーブルに乗せた。

「それからこれも……お返しします」


 ティッシュの箱が二つぐらい入ってそうな大きさだった。

「なに? これ?」

 紫奈に返してもらうようなものを渡してただろうか……。

 

 中を覗いて、はっとした。

「これは……」


「私名義の通帳に入っていた1000万。

 全額おろして現金にしたの。

 もう誰の名義でもないお金よ。

 会社のためでも由人のためでも、那人さんの自由に使って下さい」


「な、なんでそんな事を?」

 那人はぞわりと嫌な予感がよぎった。


「それから離婚届けの代わりにこれを……」

 紫奈はもう一枚鞄から書類を取り出した。


 それは……。




 那人が受取人の生命保険の証書だった。




「な!」


 紫奈が死んだら5000万の死亡保険金が入る契約になっていた。


「何をバカな事を……。

 まさか、自殺でもしようと思ってるんじゃないだろうな。

 紫奈、落ち着いて。俺はこんな事望んでない。

 自殺じゃ保険金はおりないんだよ。

 バカな事考えるのはやめてくれ」


「知ってるわ。これでもちゃんと調べたの。

 死んだら通帳も凍結されてしまうんでしょ?

 だから現金にしたの」


「お、落ち着いて、紫奈。

 俺が余計な心配をさせたから、変な事考えたんだな。

 もうその事は心配しなくていいから。

 俺は紫奈にこんな事をしてもらおうと思って話したんじゃない」


「うん、分かってる。

 那人さんはいつだって、私の事ばかり考えてくれてた。

 私がどんなにバカでダメでも、いつも受け止めてくれてた。

 結婚してから、ずっとずっと愛情を注ぎ続けてくれてた」


「紫奈……」


「私はそんな那人さんに釣り合いたくて背伸びばかりして、結局何もうまく出来なくて迷惑ばかりかけてきたわ」


「迷惑だなんて思ってないよ。

 だから紫奈、変な事考えないでくれ」


「心配しないで。那人さんは私がいなくなってもすぐにいい人に巡り会えるから。

 今度は幸せな家庭を築く未来が待ってるわ。

 その人ならきっと由人も大切にしてくれると思うの。

 だから私に遠慮なんてしないで、いい人が現れたら再婚してね」


「何を言ってるんだよ!

 俺は紫奈以外の人と再婚なんて考えてない!

 頼むから、頼むから落ち着いて、紫奈!」


「私ね……本当はあの事故で死んでたはずだったの」


「死んでたはずだった?」

 那人は怪訝な顔で聞き返した。


「うん。あまりに何も残さない人生だったから、地獄行きが決まったの。

 でもリベンジシステムの治験者になる事になって……」


「地獄行き? リベンジシステム?

 何言ってるんだよ、紫奈」


「リベンジのために少しだけ現世に戻る時間をもらえたの……っく」

 突然紫奈は苦しそうに心臓を押さえた。


「紫奈、大丈夫か? どこか苦しいのか?」


「だ、大丈夫……。あと少しだけ……」

 紫奈は最後の力を振り絞るようにして、那人を見つめた。


「現世で誰かに話せば強制的に終わりになるの。

 死因を怪しまれないように、大勢の前で会う必要があったの」


「終わりって? 死因って? なに言って……」


「私、那人さんの妻になれて本当に幸せだった。

 出会った時から大好きだったわ。

 好きだって言われた時は夢じゃないかと思った。

 わがままで何も上手に出来ない私だったけど、これだけは信じて。

 ずっとずっと……那人さんを愛してた」


「紫奈……」


「だから……。

 どうか、最後のわがままをきいて欲しいの……」


「最後の……わがまま……?」


 紫奈は涙を浮かべたまま、静かに微笑んだ。




「どうか……



 最後の瞬間まで……



 あなたの妻でいさせて下さい……」





 ぐらりと紫奈の体か傾いだ。


 意識が遠のいていく……。


「紫奈っ!! 紫奈っ!!」


 那人さんの叫ぶ声がする……。


「誰かっ!! 誰か、救急車を!!

 紫奈が!! 紫奈が……!!」


 そこで……。




 意識は途絶えた……。


次話タイトルは「紫奈、霊界裁判の判決が下る」です

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