表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/33

26、紫奈、那人さんに抱き締められる

「じゃあ行くわね、お父さん」


 翌朝、私は由人と共に玄関で別れを告げた。

 もしかしてこれが両親に会うのは最後かもしれない。

 でも、玄関先にお母さんの姿はなかった。


「母さんと康介くんの事は父さんが何とかする。

 どこまで出来るかは分からないが、父さんはいつも紫奈の味方だから」


「ありがとう、お父さん。

 私……お父さんの娘で良かった……」


 お父さんは目を丸くしてから、くしゃりと微笑んだ。

「今まで何も出来なかった私に、そんな風に言ってくれるのか……」


 ほとんど感情を見せないお父さんの目にうっすら涙が浮かんだように見えた。


 そして、感傷に浸る私達に、突然バタンとドアを開いてお母さんがバタバタと駆けてきた。


 そして大きな紙袋を私に押し付けた。

「こんなもの置いておいても、もういらないからっ!

 持って帰って!!」


 それだけ言って、また足早に自分の部屋に戻っていった。


「これは?」

 私は荷物を置いて、紙袋を開いてみた。



 そこには……。




 私は膝を落として、泣き崩れた。



 小さい頃から大好きだったチョコレート。

 これ使いやすいと前に言っていた台所のスポンジ。

 これが一番履きやすいと言った事があるストッキング。

 取り寄せないと手に入らない洗顔石鹸。


 私が会話の中でちょっと言ってみただけの数々の品で溢れていた。

 きっと街で見かけるたび、ふと思い出すたび、今度会う時にと買い揃えていたのだ。

 


 それから……。


 私名義の通帳が一通。


 開いてみると、私が結婚してから毎月1万ずつお母さんが自分で入金してきたらしい記帳がされていた。




 ああ……。


 お母さんは間違いなく私を愛してくれていた。




 たとえそれが少し歪んでしまったとしても……。


 間違いなくそこに愛はあった。


 時には上手に人を愛せない人だっている。


 歪んでいるから、下手な愛だから拾わないの?


 ううん……。


 そこに愛が落ちているなら……。


 それに気付く事が出来たなら……。


 私は大切に拾って、心から抱きしめよう……。

 そして落ちているすべての愛に気付ける私でありたい……。



「お母さん!! ずっとずっと、大好きだから!!」

 私はお母さんの部屋に向かって精一杯の声で叫んだ。






 ◆    ◆



「おかえりなさい、那人さん」


 今日は珍しく普通の時間に帰ってきた。

 ずっと深夜に帰っていたから、今日も遅くなるのかと思っていた。


「ただいま。実家はどうだった?」

 那人さんはネクタイを緩めてリビングに入りながら尋ねた。

 食卓では由人がちょうど夕食を食べている。


「うん。みんなと話が出来たわ。

 お母さんとは……あまりたくさんは話せなかったけど……」


「康介くんには会った?」

 那人さんは真っ先にその名を出した。


「康介?」

 そういえば実家に帰る前にも、康介の事を心配していた。


 もしかして……。


 那人さんは康介の思惑に全部気付いていた? 


 じゃあもしかして、康介の思惑に私も乗っているのだと?

 私が慰謝料を持って康介と再婚するつもりでいるのだと思ってる?


「僕がやっつけてやったよ!!」


 突然、ハンバーグを頬張っていた由人が声を上げた。


「やっつけた?」

 那人さんは由人を見てから、すぐに確認するように私を見た。


「あ、あの……、康介はなんかいろいろ勘違いしてたみたいで……。

 私がそんなつもりはないって言ったから……怒ってしまって……」


「怒って何をしたんだ?」

 那人さんが珍しく険しい顔になっている。


「べ、別に腕を掴まれただけで、でも由人が助けてくれたから……」

 私はあわてて弁解した。

 那人さんがこんなに怒ると思わなかった。


「僕、ちゃんとお母さんを守ったよ!」

 由人が鼻を膨らませて褒められるのを待っている。


「ひどい事をされなかったか? 

 大丈夫だったのか?」

 しかし那人さんはそれにも気付かず、私の両腕を掴んで問い詰めた。


「だ、大丈夫よ。

 ほら、どこも怪我してないでしょ?」


 びっくりした。

 こんな事で那人さんがこれほど動揺するとは思わなかった。


 でも今がチャンスなのかもしれない。

 出来れば由人のいない所で聞きたかったけれど……。


 那人さんが何を思って離婚を切り出したのか……。


「あの……那人さん……。

 那人さんはどうして……えっ?!!!」


 私が次の言葉を告げるよりも早く抱き締められていた。


 あまりに突然の事で何が起こったのか分からなかった。


 こんな風に抱き締められたのなんて、離婚の話が出てから……ううん、もっとずっと前から……もういつだか分からないぐらい前から無かった。


「く、くるし……」

 手加減を忘れるほどに強い力で、骨がきしむ音が聞こえそうなのに、そんな苦しさ以上に甘い幸福感が膨れ上がる。


「お父さん!! お母さんが死んじゃう!!」

 由人が飛んで来て、那人さんのお尻を拳でドンドン叩いた。

 

 それでようやく我に返ったように、那人さんは腕を解いた。

「ご、ごめん。つい安心して……」


 照れたように顔を背けて、私から離れた。


「もう! 何するんだよ! DV夫だよ!!」

 由人は最近聞きかじった言葉で那人さんを責め立てた。


「ひどい言われ方だな」

 那人さんは困ったように笑った。

「でも由人がお母さんを守ってくれたんだな。

 ありがとう」


 由人はようやく褒められて、すっかり機嫌を直した。

「僕は紳士だからね。女の人に優しくするんだ」


「あれ? でも女子高生が頭撫ぜたら触るなって怒るって聞いたけど」

「そ、それは、僕を子供扱いするからだ!」


「ははっ。由人は子供じゃなかったのか?」

「紳士だよ!」


「おっ。うまそうなハンバーグだな。

 ちょっともらってもいい?」

「ダメだよ! それは僕のだから!」

「ちょっとぐらいいいだろ? 紳士なんだから」

「ダメ!」

「ケチな紳士だなあ」


 二人が楽しそうに言い合っているのを、私はまだドキドキしながら見つめていた。



 鼓動が止まらない。


 温かな幸福感の中に溺れてしまいたくなる。



 どうしよう……。


 失いたくない……。


 このままずっとこうして……。


 自分の立場も忘れて……。


 那人さんと由人と一緒に生きていきたい……。



 ああ、神様……。


 どうか少しだけこの幸福の中にいる時間を下さい……。


次話タイトルは「忍び寄る終わりの足音」です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ