2、紫奈、霊界裁判で地獄行きが決まる
「では、これより裁判を始めます」
円卓のぐるりに人が座っている。
1、2……8,9……全部で10人だ。
二人を除いて、よぼよぼのおじいさんだった。
サンタクロースのような白髭をたくわえた者もいれば、粋にカールした口髭をつけた外人顔の老人もいる。黒人も白人も毛むくじゃらの猿人に近い老人もいる。
そして頭に色とりどりの三角帽子をかぶっていた。
黄昏た老人に、原色の色の帽子だけが浮き上がって見える。
「対象者の名は芥城紫奈。
年齢は25才。女性、日本人じゃ」
赤い帽子をかぶった一番シワの深い老人が口を開いた。
半分死んでるような老いぼれ顔で目を閉じて、瞼の裏を読み上げた。
「芥城紫奈は夫の運転する車で事故に遭い、フロントガラスから投げ出され電柱に後頭部を打ちつけ脳死状態となった」
司会役らしい赤帽老人の説明に、ざわざわと他の老人達が小声で話している。
「脳死状態という事は、まだ死んでないという事かね、赤翁殿」
「それはおかしい。ここは死者を裁く所じゃよ赤翁」
「やれやれ、死んでから召集してくれるかのう」
老人達はよろよろと立ち上がり、散会の雰囲気が漂う。
「待たれよ! 皆の衆。これには訳があるのじゃ。聞いてくれ」
赤翁の制する声で、老人達はしぶしぶ席に座り直した。
「あ――、皆の衆も聞き及んでいる通り、この所、霊界裁判によって地獄行きに決まる者が後を絶たない。
もはや地獄の人口が溢れ、輪廻転生者が足りず人間界では人口減少が深刻な問題となっておる」
赤翁が深刻さを表すように、眉間のシワを五本ばかり増やして寄せた。
「じゃから、寿命を延ばして反省の時間を多く与えるようにしてるではないか」
黄色の帽子をかぶったカール髭の老人が面倒そうに呟いた。
「そうじゃ、黄翁殿。それにより人口減少を食い止め、人間界で功徳を積み地獄行きを逃れた者も多くなった。じゃが、しかし、それ以上に地獄行きを下される若者が増えておるのじゃ」
「愚かなことじゃ」
黄翁はやれやれと頭を振った。
「そこでじゃ。
新たにリベンジシステムの導入を考えておるのじゃ」
赤翁は閉じていた目をカッと開いて皆を見回した。
「リベンジシステム?」
老人達は赤翁を見つめた。
「地獄行きの可能性が高い若者に限り、一旦脳死状態にして裁判を行い、深い反省をもって現世でもう一度生き直すシステムじゃ」
「なるほど、それはいい考えじゃ」
老人達はそれぞれに肯いている。
「あの……」
老人達は、円卓の真ん中から聞こえる若々しい声に視線を向ける。
「あの……ちょっとよろしいでしょうか?」
老人達は戸惑ったように顔を見合わせた。
しかし若い声は、返事を待たずに問いを続けた。
「さっきから聞いてましたが、もしかして地獄行きの可能性が高い若者とは私の事でしょうか?」
そう。
円卓の真ん中には穴が空いていて、私はそこの丸椅子に晒し者のように座らされていた。
老人達は突然発言した私に、(なんだこの常識知らずは!)という顔付きでコソコソ隣同士話をしている。
いや、こんな妙な世界の常識なんて知るわけないし……。
「なるほど脳死という事は、まだ死の洗礼を受けておらぬのじゃな。
じゃから我らに発言する無礼が出来るのじゃ」
「図々しい小娘じゃ」
「こんな低俗な生き物としゃべるのなど何千年ぶりかのう」
すごい悪口を言われてる。
だが怯んでいる場合ではない。
たぶん誰かと間違えられてる。
きちんと訂正しなければ。
だって……。
私が地獄行きのはずがないもの。
「まあまあ、皆の衆。新たなシステムの試験導入じゃ。
この治験者で成功すれば導入出来るのじゃ。
ここは大目に見て、発言を許そうではないか」
意外にも緑の帽子をかぶった猿人のような老人が一番賢者のようだった。
皆は彼の言葉に納得して受け入れた。
「芥城紫奈よ。話すがよい。許可を与える」
私は訂正すべく、立ち上がって当然の事を告げた。
「どうやら私が事故に遭い、脳死した事は理解出来ました。
でも、私が地獄行きの可能性が高いというのは何かの間違いです」
「ほう。どうしてそう思うのじゃ?」
白帽の老人が尋ねた。
「だって私は地獄へ行くほど悪い事など何もしてません。
そりゃあ確かに小さな嘘をついたり、虫ぐらいなら殺した事もありますが、基本的に争いは嫌いだし、なるべく円満に過ごせるように気遣って生きてきましたから」
「……」
私の発言に、老人達は一瞬呆けたような顔をした。
そして……。
「し」
え? 死?
「しし」
ええっ? 死、死?
「しししし……しし……」
死死死死? え? なに?
円卓の周囲から聞こえる奇妙な音声に、私はぞわりと背を縮めた。
「しししし、しし……。こりゃあ愉快だ。しししし」
わ、笑い声?
どうやら老人達の忍び笑いの声だったらしい。
気持ち悪い……。
「芥城紫奈。では聞くが、お前は生きている間に何をしたのだ?」
赤翁は笑いを堪えて司会者らしく問うた。
「な、何って言っても……」
取り立てて示すほどの事は何もしてない。
母親に言われるままに小学校受験をして、優華と比べたがる母親をなんとか満足させようと必死で取り繕って、そして最後に大敗北が明るみに出て恥をかく、の繰り返しだった。
でも……。
「お、お母さんのために……頑張ったわ。
親孝行をしようと勉強も運動も私なりに努力したわよ。
お母さんのために自分を犠牲にしてでも頑張ったのよ!」
そうだ。
私はいつも自分の薄幸を呪うお母さんのために精一杯頑張っていた。
これは素晴らしい美徳じゃないか。
「それで親孝行は出来たのかな?」
灰色帽子が尋ねる。
「い、いえ……、それは……。いつも力不足で……」
いやダメだ。
何か良い結果を残してなければ地獄行きになってしまう。
私は目まぐるしくお母さんを喜ばせた出来事を思い出そうとした。
そして……。
あったじゃない! 一つだけ!
「け、結婚しました! とっても素敵な人と!」
「結婚? それが親孝行?」
灰色帽子が首を傾げる。
「そ、そうです! だって彼はカッコよくてお金持ちで、仕事も出来て、まさに白馬の王子様、玉の輿だったんです! 自慢の夫だったんです!」
「それは彼が凄いだけであなたの努力ではないでしょう?」
理詰めな感じの紫帽子の中年男が口を挟む。
「で、ですが、そんな彼に見初められたのも私の努力があったからです!
私がお洒落に気遣い、可愛く見せる事を怠らなかったから……」
「赤翁殿、その事について報告がございます」
青い帽子の生真面目そうなメガネの中年男が私の言葉を遮った。
この青帽と紫帽だけ少し若い。
若いと言っても中年ぐらいだが、どうやら補佐官のような存在らしい。
「申してみよ、青翁」
「今話題にのぼっております芥城那人ですが、彼の宿命書きには、この芥城紫奈との結婚は人生の一番大きな過ち、試練となっております。
若気の至りでうっかり結婚してしまった疫病神のような女で苦労する、という課題を持って生まれ、彼は見事その課題を克服したようでございます」
え? そんな……。
私は那人さんにとって試練?
あの幸せな結婚は彼にとっては人生で一番大きな過ち?
「そ、そんなはずないわ! だって最初は那人さんが私に夢中で……」
「そう。魔がさしたのじゃ。課題の発生のために、時折、人はありえない行動をとるように仕組まれておる。他にいくらでも彼に相応しい女性はいたのに、そなたを選んでしまった」
「そんな……じゃあ好きだって言ってくれたあの言葉も……」
那人さんに告白された時、夢じゃないかと思った。
人生で一番幸せな瞬間だった。
それなのに……。
「結婚生活はどうじゃった? うまくいってたのか?」
「そ、それは……」
「ご報告します。結婚生活は1年で破綻。しかし芥城那人は子供が出来た責任感から、その後6年努力を続けたようでございます」
青翁がメガネの裏を読むようにして、非情な報告を続けた。
「しかし課題の終了と共に、新たな人生を歩むべく離婚届けを提出する朝、この芥城紫奈の運転妨害により事故を起こし、現在入院中との事でございます」
「ち、ちょっと待って! 運転妨害って、私そんなつもりじゃ……」
「芥城紫奈は離婚届けを奪い取ろうとしたようですが、その心の根底には、彼を他の女に奪われるぐらいなら、一緒に死にたいという願望があった模様です」
「そ! そんな事思ってないわよ! 勝手な事言わないで!」
「本当に思ってないと言えますか?
だって取られたくなかったんでしょう?
親友の如月優華さんに」
「そ、それは……」
そう断定されると、そんな気もしてきた。
じゃあ、私は殺人未遂……?
しかも一番大好きな人を……?
「し」
死? 死刑?
「しし」
死死? いや、もう死んでるようなもんじゃない。
「しししし……愚かな……ししし」
しで笑うなあああ~!! 紛らわしい!!!
「芥城紫奈、霊界裁判の結果、全員一致で地獄行きを命ずる」
次話タイトルは「紫奈、改心する」です