19、紫奈、康介に会う
「あれ? 紫奈じゃん」
康介は突然私の目の前に現れた。
部屋を片付けて、掃除機をかけていた。
掃除機の音で気付かなかった。
勝手に玄関を開け、勝手に上がりこんでいた。
もっとも、ほぼ家族同然に出入りしていた康介には当たり前の事だった。
「なんだ、もう離婚して戻ってきたのか?」
「あ、ううん。三日ほどいるだけよ」
「なんだよ、まだぐずぐずやってんのか?
さっさと離婚しちまえよ」
この間病院で会った時は、お母さんばかりを見ていて康介の印象はあまりなかったが、久しぶりに会った康介は、那人さんが言ってた通りなんだかひどく荒んだように思えた。
黄色に近い茶髪に、細く形を整えた眉。
耳に連なるピアスに、指には指輪が三つもついていた。
以前よりチャラ度を増して、眉間に一本、剣呑なシワが増えた。
それでもアイドルを思わせる整った容姿だが、少し不健康な痩せ方をしている。
(こんな人だっけ?)
子供の頃は本当に可愛くて、都会を歩けば毎回芸能事務所のスカウトを受けた。
中学生の頃は実際に結構名のある芸能事務所に所属もしたが、世の中には上には上がいるもので、顔がいいだけでは何者にもなれなかった。
でも当時は、マンションの前に女の子が毎日たむろするほどよくモテた。
学校は違ったのでよく知らないが、小学校から彼女はいたし、中学になってからは毎月彼女が変わっていた。
女の子二人がかち合う修羅場も見かけた事がある。
一緒にいて自慢できる男友達だったので、女子校の文化祭に呼んだ事もある。
友達がきゃあきゃあ騒いで、ちょっと気分が良かった。
あの後、私の友達とも二・三人付き合ったっけ……。
「お前が変な事言うから、あの後大変だったんだぜ?
おばさんは紫奈が変わってしまったって呆然とするし、メソメソ泣き出したかと思うとヒステリックにお前を詰るしで、慰めるの大変だったんだからな」
康介は言いながら、駅前のケーキ屋の箱を差し出した。
「毎日手みやげ持って寄ってたんだからな。感謝しろよ」
「そ、そうだったの? ありがとう康介」
見た目の荒み具合に比べて、意外に親切な所もあるらしい。
「冷蔵庫に入れておくわね。お母さんに会っていく?」
今はあまりいい状態ではないが、案外康介になら心を開くのかもしれない。
「いや、今日はいいや。せっかく紫奈がいることだし……」
「あ、コーヒーでも入れようか? ケーキ食べていく?」
「ふーん……」
キッチンに立ってお湯を沸かす私を、康介は探るように見つめていた。
「なに?」
「いや、なんか雰囲気変わったなと思ってさ。
アクがとれたというか、うん、なんか癒される感じになった」
「え? そ、そう? なによ、急に」
康介はにやにやしながら、どっかと二人掛けソファに腰掛けた。
「なあ、覚えてる? 高二のクリスマス」
「高二のクリスマス? なんだっけ?」
私は康介用に置いてあるマグカップにインスタントコーヒーを作って、ソファテーブルに置いた。
「あーあ、これだもんな紫奈は。
俺が世紀の告白をしたっていうのに、全然覚えてないのかよ」
「世紀の告白?」
首を傾げながら、横の一人掛けのソファに座った。
「あー、もう! ここまで言っても分かんないのかよ。
一緒にクリスマス会をしようって、ここで飾りつけしてただろ?」
「一緒に? お母さんもお父さんもいたでしょ?」
お父さんは確か仕事で、最後の食べ残しを静かに食べてただけだけど……。
「だからあ! おばさんがケーキ買って帰ってくるって言って、それまでに俺達で飾りつけをしてたじゃんか」
「ああ、そういえばそんな事もあったわね」
そういえば……。
一度、ドキリとする事を言われたような気がする。
なんだっけ……。
「紫奈、俺の彼女にならないか……?」
はっとして康介を見た。
あの時と同じ口調で言われて思い出した。
いつもふざけてばかりの康介が妙に固い表情で言ったのでドキリとした。
でも、そう……。
その時、康介には彼女がいた。
いや、ほとんど途切れる事なくいつも彼女がいた。
だから冗談だと思った。
いや、冗談にしようと思った。
康介との幼馴染の関係が気に入っていた。
その関係を崩したくなかった。
それに、その頃には私は那人さんに出会っていた。
まだ素敵な人だなと思っていたぐらいの時だったが……。
「バカな事言ってないで、ここの飾りつけ手伝って!」
それが私の答えだった。
康介は「ちぇっ……」とふて腐れた顔で言って、それっきりになった。
そういえば、その後しばらく康介はうちに来なくなった。
そして、ちょうど私は那人さんと付き合い始めた。
結婚が決まったと聞いた時に一度だけ、忠告なのか嫌みなのか分からない事を言いにきた事があった。
「そんなセレブな男と釣り合うと思ってるのか?
身の程を考えろよ!
きっと合わせるのに疲れて、すぐに出戻ってくるよ。
お前はバカで何やっても失敗ばっかりなんだからさ」
なんて嫌な事を言うのかと、その時は腹を立てたものだが、今思えば結構鋭い所を突いてたようだ。
その言葉は呪いのように、その後の私の心を大きく占めた。
そして康介の言うようになんかなるものかと、ムキになって背伸びして、罠に落ちるようにその通りになってしまった。
「俺はさ、いろんな女と付き合ったけどさ、結局ずっと紫奈が好きだったんだぜ?」
「え?」
「覚悟を決めた告白を冗談で受け流されて、どれほどショックだったか……」
「で、でも康介はいっつも彼女がいたじゃない」
どこまで本気の言葉なのか、いまいち疑わしい。
それにそんな事を今更言ってどうしようと言うのか……。
「紫奈の気を引きたくて、見せびらかしてただけだよ。
ぜーんぶ遊びだよ」
それはそれで最低な男のように思うが……。
「なあ、あいつとはもう別れるんだろ?
それなら俺と結婚してくれよ。
バツいちとか、俺全然気にしないからさ。
子供もあいつに渡すんだろ?
だったらちょうどいいじゃん。
俺と一からやり直そうぜ」
「な!」
那人さんの事はともかく、由人がいないのがちょうどいいという言葉に腹が立った。
「バカな事言わないでよ!
私はそんな事一度も考えた事もないわよっ!」
「じゃあ今から考えろよ。おばさんだって賛成してんだよ。
親孝行しようと思うなら、俺と再婚してここで仲良く暮らすのがベストだろ?」
「誰のベストよ! そんなの親孝行でも何でもないわ!」
お母さんと康介の間では、この筋書きで私の離婚を解決するつもりだったらしい。
二人が強く言えば、私は逆らわないと思っていたのだ。
「俺、いまは仕事を転々としてちゃらんぽらんだけどさ、お前と結婚したら心を入れ替えて頑張るよ。
ちゃんと将来の事も考えてあるんだよ。
俺はどうも人に使われるのがダメなんだよな。
だから自分の店を持とうと思ってるんだ。
いろいろプランを練ってる。
がっぽがっぽ儲けて、紫奈に贅沢させてやるよ。
だからさ……」
嫌な予感がする。
それってまさか……。
「ちょっと待って。その開店資金はどうするつもりなの?」
「それは……もちろん貯金とか……。
でもとりあえず慰謝料の1000万を貸してくれたら助かるけどさ……」
やっぱり……。
そのための1000万……。
私は愕然と1000万の数字が出て来たいきさつを思い出していた。
那人さんに離婚の話を切り出された時、私はあまりのショックに何の反論も問いただす事も出来ず、呆然と受け入れた。
そしてすぐにお母さんに泣きながら電話したのだ。
お母さんは、紫奈が不幸にならないようにしてあげるから、私に任せなさいと言った。
私は不安で怖くて、どうしていいか分からなくて、自分の問題をお母さんに丸投げしてしまった。
そしてしばらくして、お母さんは康介を連れてうちにやってきた。
優華と那人さんが密会してる写真と、慰謝料1000万を含む協議離婚の書類を持って。
私はその時まで那人さんが優華と浮気してるなんてまったく知らなかった。
何かの間違いだと思った。
でも……。
那人さんは写真を見て少し驚いた顔をしてから、すんなり認めたのだ。
その後はもう何も考えられなかった。
お母さんと康介、そして那人さんの間で話し合いは済んでしまった。
1000万という数字がよく分からなかったが、そんなものなのかと深く考えなかった。
でもきっと、その時にはお母さんと康介の間で私の再婚の筋書きが出来ていたのだ。
なんて愚かな……。
いや、以前の私なら、もうどうでも良くなって言われるままにしてたかもしれない。
「なあ、俺と一緒になってくれよ」
はっと気付くと、康介は立ち上がってすぐ目の前でソファに座る私を見下ろしていた。
思い詰めた目をしている。
怖い。
あわてて逃げるように僅かな隙間から、体をにじり出した。
「ち、近付かないでっ!!
それ以上近付いたら大声出すからっ!!」
康介はおかしそうに嗤った。
「大声出して、誰か駆けつけるのか?」
「お、お母さんがいるわ!!」
「おばさんは俺と紫奈が一緒になる事を望んでるんだぜ?」
「で、でも、私が助けを求めていたら……」
駆けつけるだろうか……。
さっきの様子からして、助けてくれるとは思えなかった。
じわりと額に汗が流れた。
ああ……。
迂闊だった……。
康介は二人きりで会ってはいけない相手だった……。
次話タイトルは「紫奈、康介の真実を知る」です




