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13、紫奈、陽だまりの時間を知る

「それは何をやってるの?」


 那人さんが朝食を食べている横で、由人が黙々と鉛筆を走らせていた。

 まだ由人は起きなくていい時間だというのに、自分で起きてきた。


「……」

 由人はちらりと私を見たが、再び視線を落として何か書いている。


「幼児塾の宿題らしいよ。

 実家で出来なかったんだって」

 代わりに那人さんが答えた。


「宿題……。そういえばそんなのがあったね」

 最初の頃こそ横についてみていた時期もあったが、由人はやりなさいと言われなくても自分でやる子だった。


 少し問題が難しくなってきた頃、分からなくて私が教えた事がある。

 その答えが間違っていて恥ずかしい思いをしたらしく、それ以来二度と私に聞かなくなった。

 勉強は全部嫌いだが、中でも数学は一番苦手だった。


「え? こんな難しい問題やってるの?」

 私は問題を覗き込んで驚いた。

 xとyの入った式が二つ並んでいる。


 由人は今頃何言ってんだという顔で私をちらりと見た。


「え? 分かるの?

 由人こんな難しい問題分かるの?」


「分かるに決まってるだろ!

 もっと難しい問題も出来る!」

 思わず答えてから、また(しまった!)という顔になった。


「す、凄いね由人。

 こんなのどうやって解くんだっけ?」

 すっかり感心している私を見て、由人は椅子の下に置いていた鞄をゴソゴソ探ってから、一枚のプリントをぐいっと差し出した。


「え?」


「やってみろ! 

 余りのプリントだからいらないヤツだ」

 由人は私の前にプリントを置いて、鉛筆までセッティングしてくれた。


「えーっと、で、出来るかな……。

 こんな計算久しぶりだしな……」

 高校卒業と同時に数学は私の人生から消え去っていた。


「えっと……どうやるんだっけ?」

 久しぶりの数式に頭が真っ白になってしまった。


「こんなのも出来ないのか? あったま悪い!」


「由人! そんな言い方するもんじゃないだろ?」

 那人さんは心配そうに私達のやりとりを横で見ていた。


「このxに②の式を代入すればいいんだよ!」

 由人は仕方なくヒントをくれた。


「えっと……だ、だいにゅう……って何だっけ?」


 私の言葉に由人ばかりか那人さんまで唖然としている。

 落ちこぼれとはいえ、一応有名女子校を出ているはずだった。


「このyの式をxに入れるんだよ!

 信じらんねえ。

 そんなのも分かんないのか!」


 由人はイライラしたように指でさしながら説明している。

 自分の母親が思った以上にバカで驚いているらしい。


「え、えっと……こう?」

「違うよ! 

 カッコつけないとプラスとマイナスがおかしくなるだろっ!!」

「プ、プラスとマイナス知ってるの?」

「当たり前だろっっ!!」


 逆に私は自分の息子が思った以上に賢くて驚いた。


「あ、思い出してきた。

 このカッコをはずして計算するのね。

 もう分かったわ。任せて」

 私はサラサラと計算してみせた。


「全然違うよ!

 移項する時はプラスとマイナスを逆にしないとダメだろっ!!」

 答えを見て由人が呆れたように言った。



「え、えへへ……。いこうって何だっけ?」



「……」


 言葉の出ない由人の隣りで、那人さんは肩を震わせて笑っている。


「ホントだめだな。

 優華はこんなの簡単に出来たのに……」

 ポロっと言ってしまってから、由人ははっとした顔になった。

 どうやらこれは意地悪するつもりでなく、思った事が出てしまったらしい。


 私が優華と比べられる事を嫌がるのを由人は気付いている。

 那人さんも笑いを止めた。


 二人は私がヒステリックに怒り出すんじゃないかと警戒している。


 でも不思議なほど腹が立たなかった。

 もう認めている。

 私が優華より何をやってもダメで、カッコいい母親じゃないことも。


「えへへ。じゃあ由人が教えてよ。

 これどうやるんだっけ?」


 由人は私が怒り出さなかった事に安堵して、素直に教えてくれた。

 

 そう。


 安堵するのだ。


 由人も那人さんも、突然機嫌が悪くなる私にピリピリしていた。

 以前の私は、子供にそんな心配をさせていた。


 本来、太陽のような存在であるべき母親が、いつも空気を凍らせていた。




 残りの僅かな時間、私は太陽になれるだろうか?


 ううん、背伸びしてはダメ。


 太陽にまでなれなくとも、せめて曇り空の合間の晴れ間のように……。




「分かった! もう解けるわ。

 じゃあ由人、競争しましょ。

 プリント一枚どっちが先に出来るか」


「そんなのずるいじゃん。一問先に解いてるから、僕の方が一問多いじゃんか」


「ハンデよ」


「大人にハンデがつくなんておかしいじゃんか」


「もう、細かい事言わないでよ。

 ほら、よういスタート!」


「あ、ずるいっ!!」

 由人は慌てて鉛筆を持って、問題を解き始めた。


………………


 結果は散々なものだった。

 ハンデをもらっても由人の方が先に終わって、しかも由人が全問正解なのに、私は三問も間違えた。


「へん! 全然ダメじゃん。僕の勝ちだよ」


 由人は得意げに胸を張った。

 少し高揚して、小鼻が膨らんでいる。



「かわいい……」

 つい言葉に出てしまう。

 それぐらい可愛い。


「!!」

 由人は得意げな顔から、一転、意表を突かれた顔になった。

 そして、みるみる真っ赤になった。


「な、何言ってんだ!! 

 子供に負けたんだぞ!!」


 ムキになって叫んだ。

 でも、そんな所も……。


「かわいい……」


 由人はゆでだこのように真っ赤になって口をパクパクさせている。


「か、かわいいとか言うの禁止だっ!! 

 二度と絶対言うなっっ!!」


 那人さんは隣りで爆笑していた。




 ああ、こんな陽だまりの時間を忘れていた。


 由人が生まれて5年の間に、いったい何回こんな温かな時間があっただろうか。

 私はこんな幸せなひとときを由人から奪っていた。



 ごめんね、由人。



 出来の悪い母親で本当にごめんね。


次話タイトルは「紫奈、霊界裁判に召集される」です

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