11、紫奈、由人を迎える準備をする
「おはよう、紫奈。早起きだね」
身支度をして、朝食の準備が整った頃、那人さんが起きてきた。
辛すぎる夢で目覚めたけれど、今日は昨日の反省で早起き出来た。
食卓には目玉焼きと付け合せのサラダ、それにトーストとオニオンスープ。
サラダは生野菜を洗って切っただけ。
オニオンスープは市販のコンソメを使って、今までの白湯のような薄味でなく、自分の好ましい味付けにしてある。
トーストも自然食品の店で買ったものではなく、スーパーに売ってる普通のものだ。
とても簡単でリーズナブルな朝食だ。
実家ではいつもこんな朝食だった。
いや、忙しい朝はトーストだけの日も多かった。
「朝ごはん……作ったんだけど……。
ありきたりのものだけど……」
那人さんは食卓の料理と私を交互に見た。
「ゆうべ遅くにカレーを食べたから朝は抜こうかと思ってたんだけど……」
そうだ。
朝起きてみたら、鍋のカレーが減っていて、ポテトサラダも無くなっていた。
食べてくれたのだと、それだけで涙が溢れた。
「そ、そうね。そんなすぐに食べられないわね」
少し考えれば分かりそうなものなのに、張り切って朝食を作った自分が恥ずかしかった。
かあっと、顔を赤くして皿を下げようとした。
しかし、その手を那人さんが優しく止めた。
驚いて見上げる。
「いや、やっぱり旨そうだから少しだけ食べて行くよ」
那人さんは微笑んで、食卓の席についた。
「うまっ! このスープ。塩加減がすごい好み」
驚いて突っ立ったままの私の前で、那人さんはスープを一口飲んで声を上げた。
「昨日のカレーも旨かった。ポテトサラダなんかボウルに一杯食べれそうだったよ」
「……」
私は嬉しくて声を出すと泣いてしまいそうで、黙って突っ立っていた。
本当に美味しい時は、こんな顔をするのだと初めて知った。
昨日のカレーとポテトサラダも、こんな顔で食べていてくれたのかと思うと、心の奥から温かいものが込み上がってくる。
「紫奈、少し目が赤いけど、泣いてた?
何かあった? 事故にあってから変わったよね」
「……」
霊界裁判の事は、まだ言ってはいけない。
言ったらそこで終わりだ。
もう少しだけ……。
もう少しだけ時間を下さい、那人さん。
「何か悩んでるんなら言ってよ。
俺に出来る事なら力になるから」
私は首を左右に振った。
「大丈夫……。もう背伸びする必要はないんだって……気付いただけだから」
「……」
那人さんは少し驚いたような顔をしてから、考え込んでしまった。
「コ、コーヒーを入れてくるわね」
私はこれ以上問い詰められないように、慌ててキッチン向かった。
………………
「じゃあ、夕方実家に由人を迎えに行ってくるから」
那人さんはそう言って仕事に出掛けた。
私は今朝の夢で、ますます由人に会うのが怖くなっていた。
私が引っぱたいた後、由人は完全に私を無視した。
目も合わせなければ、私の出す食事も一切食べなくなった。
幼稚園の弁当は開けた形跡もないまま持って帰ってきたし、自然食品の店の惣菜弁当すら食べなくなった。家に置いてあった無添加のお菓子や、ヨーグルトなんかは勝手に食べているようだったが、私が差し出す食べ物は完全に拒否した。
幼稚園帰りにカズくんの家で遊んで帰って、何か食べさせてもらっているようではあったが、とにかく私の前では一切食事をしなくなった。
話しかけてもぷいっとそっぽを向いて自室に閉じこもってしまう。
あれ以来、一言もしゃべってなかった。
「いい加減にしなさいっっ!!」
たまりかねて腕を掴んでこちらに向かせようとした。
振り払おうとするから、もっと強く掴んだ。
すると由人は、凍るような冷たい目で私を一瞥してきた。
私は恐ろしくなって、突き放した。
廊下に転がった由人は、蔑んだ目をして、ぷいっと行ってしまった。
そんな由人を見て、もうこれ以上はダメだと思った那人さんは、離婚のごたごたが済むまで実家に預ける事にしたのだ。
どうやれば償える?
どうすれば許してくれる?
ううん。違う。
そうじゃない。
償うのも許して欲しいのも私が願っている事だ。
由人が願っているのは?
私と顔を合わせないこと……?
一刻も早く私が出て行って、優華が母親になること……?
きっとそうなんだろう。
でも。
でも由人だって、実の母親とこんな別れ方は嫌なはずだ。
実母があんな最悪な印象のまま、一生を過ごすのは辛いはずだ。
だったら……。
だったら最悪なダメ母から、少し要領の悪いダメ母ぐらいにはなれるよう……。
母親に愛されなかったなんて悲しい過去を背負わせぬよう……。
私は……。
私は愛せるだろうか。
私はきっと人を愛する事すら不器用なのだ。
那人さんにも与えられる事ばかりを望んで自分が与える方法を知らなかった。
子供にすら私は与えられる事ばかりを望んでたのかもしれない。
ずいぶん長い間、由人を可愛いと思ってなかった気がする。
赤ちゃんの頃は泣かせないようにするのに必死だった。
少し大きくなってからは、自分がダメ母だと思われていないかとビクビクしていた。
更に大きくなってからは、優華と比べられてるんじゃないかとイライラした。
あまりに心に余裕がなくて、愛情が湧くヒマすらなかったのだ。
今も会うのが怖いという思いが先行して、愛する子供に会いたいという思慕が足りない。
私は愛の薄い人間なのかもしれない。
急に不安になってきた。
(私は本当に由人を可愛いと思えるんだろうか……)
取り繕った愛情で誤魔化せる相手ではない。
由人は聡い子だ。
「本心から可愛いと思えなくても、せめて部屋を綺麗にして、美味しい物を作って、由人が心地よく過ごせるようにしよう」
私は夕方までかけて、由人の部屋を綺麗に整頓して、グラタンとクリームコロッケを作って待った。
次話タイトルは「紫奈、由人が可愛くなる」です




