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10、紫奈、由人に懺悔する

「見て、由人ゆひと。今日はドラえもん弁当にしたのよ。凄いでしょ!」

 

 那人さんが仕事に出た後のリビングで、眠そうに目をこすりながら起きてきた由人を捕まえ、私は自信作のキャラ弁当をみせた。


「……」


 由人は言葉数の少ない子供だった。

 外見はどちらかというと私に似ている。

 色素の薄い茶髪と、白い肌はよく女の子に間違われた。


 顔だけ見るととても愛らしく、外を歩けばよく女子高生なんかが「かわいい~」と言って近寄ってきた。

 しかし誰に似たのか、僅かに発する言葉がいつも辛辣だった。


「触るな! 頭を撫ぜるな!」


 笑顔の女子高生達は、本当にこの可愛い子が言ったのかと驚きながら、すごすごと立ち去って行く。


 だから私のキャラ弁にもいつもと同じ言葉が返ってきた。


「まずそう」


 確かに青いふりかけで色をつけて、海苔で顔とヒゲを書き、梅干で鼻をつけている。

 四隅にきゅうりや人参で彩りを添えているが、おかずらしい物は見当たらない。


「カズの弁当みたいなグラタンやクリームコロッケが食べたい」

 カズというのは幼稚園のクラスで一番仲良しの友達だ。


「それは冷凍食品でしょ?

 そんな体に悪い物を入れるわけにはいかないわ」


 カズくんの母親は仕事を持っていて、細かい事にこだわらない大雑把な人だった。

 弁当は冷凍食品に頼りっぱなしよと笑いながら話していた。


「どんな添加物が入ってるか分からないし、味付けも子供には濃過ぎるわ」


 由人が生まれてからの私は、今度は自然食品信奉者になっていた。


 セレブママご用達の無農薬野菜専門店でしか野菜を買わなくなり、自然食品の店のものしか使わなくなった。


「農薬や添加物の入った食べ物を子供に食べさせるなんて信じられない!」と吹聴する幼稚園ママのボスに影響されたのだ。


 ドラえもんの青いふりかけも自然食品の店で買った、新発売の希少品だ。

 このふりかけを使ってみたくて、今日はドラえもんになった。


 よく夕食に買っているお惣菜弁当もこの店のものだった。

 無添加、無農薬にこだわると、食材も限られて、どんどん作れるレパートリーが減っていった。

 しかも濃い味付けは子供の寿命を縮めるとボスママに言われ、味気ない料理ばかりで自分で食べても美味しくなかった。


 不器用で完璧になど出来ないくせに、完璧にしようとするから空回りする。

 でも、そんな事に気付けなかった。

 それほど心に余裕がなかったのだと思う。


 

 由人は食べる事に興味を失い、唯一食べるのが自然食品店のお惣菜弁当だったのだ。


 こうして夕食は日替わりのお惣菜弁当、昼の弁当は自然食品の店で買った材料だけのマンネリで味気ないものとなった。


 由人はほとんど手つかずで残してくる事が多い。

 だから見た目だけでも楽しくしようと、最近キャラ弁にはまっていた。


「長生きしなくていいから美味しいもんが食べたい」


 5才の子供の言葉とも思えないが、由人は確かにそう言った。



 由人は頭のいい子供だった。

 どうやらそっちは那人さんに似たようだ。


 私と違って器用だし、要領も良かった。


 1才の頃にはすでに、私の事をダメ母だと見抜かれていたような気がする。


 字もいつの間にか自分で覚えたし、2才で幼児から算数や国語や英語を学習する塾に入ってからは、メキメキ頭角を表し、5才にして中学レベルの数学を解き、英語などは高校課程まで修了してしまった。


 そこで覚えた難しい言葉は私の知らないものも多かった。


 5才にして由人は、完全に私を超えてしまっていた。




「ねえ、早くしてよ。バスが出る時間だよ」


 すっかり自分で身支度を整えた由人は、あわてて髪を巻いている私に冷たく言う。

 身支度の遅い妻を急かす夫のような言葉だが、ドレッサーの鏡に映るのは幼稚園のスモックを着て、緑のベレー帽をかぶる5才児だ。


「分かってるわよ。由人、先に行ってて」


 由人は小さくため息をついてリュックを背負って出て行った。


 そのため息は、泣き落としのたびに那人さんがつくため息とそっくりだった。


(一番嫌な所が似てるんだから……)




 5才になってますます生意気になる由人に、私はイライラしていた。


 よその子達がバカな事をやって叱られたり、だだをこねて泣いてみたりする中、由人はどこか大人びていて、悪く言えば可愛げが無かった。


 なんでも上手に出来るし、家でも騒いだりせずに静かに本を読んでるような子供だった。


(5才ってあんな感じかしら?)


 自分の幼い頃を振り返ってみても、幼馴染の康介とイタズラをしてはお母さんに怒られていたような気がする。

(でも、そういえば優華はあんな感じだったかも……)


 私と康介がバカなイタズラをするたび、優華は泣きべそをかきながら「そんな事やったら怒られるからダメだって!」と注意していた。

 やがて優華は康介がいる時は、私と遊ばなくなった。


(同じタイプだから気が合うのね……)


 そう。


 由人は私の事はバカにしたような態度で辛辣な扱いのくせに、優華には尊敬のまなざしを向けて、時には笑顔も出たりするほど懐いていた。


 それがまた、私の気に触ったのだ。


 優華と私は、高校時代あまりに優等生と落ちこぼれの差が開き過ぎて、少し疎遠になっていた。


 優華は変わらない態度だったのだが、私が勝手に劣等感を持っていたのだ。


 でも結婚が決まってからは再び仲良くするようになっていた。


 それはセレブ婚を決めた私が、これで対等になれたように思い込んでいたからだ。


 優華は那人さんの事を褒めちぎっていたし、羨ましいと心から言ってくれた。

 初めての優越感が心地よかった。


 結婚してからもよく遊びに来ていたが、由人が生まれてからは特に頻繁に遊びに来るようになっていた。

 出産後の病院で由人を一目見た時から、優華は可愛い可愛いと言って、自分の子供のように可愛がっていた。

 私も私で、初めての育児に疲れ切っていて、優華が時々来てくれるのが本当に助かった。


 優華は育児においても、私よりもずっと要領がよくて上手だった。

 だから私は、由人を優華に預けて美容院に行ったりデパートに行ったりしていた。


 優華は嫌な顔一つせず引き受けてくれた。

「ぜんぜんいいよ。

 じゃあ今日は由人くんと公園行ってくるね」


 由人は私が公園に行こうと言うと、「つまんないから、いい」と言って断るくせに優華が誘うと、笑顔でそそくさと出掛けて行った。


 そういう所も嫌いだった。





 そう。


 

 私は由人が嫌いだったのだ。


 思い通りにならない子。

 可愛げがない子。

 母親の自分を小バカにした態度。

 親として偉そうぶる事もさせてくれない。

 叱るような失敗やイタズラもしない。

 優華と自分を比べる。

 やっぱりお前は優華に劣るのだと思い出させる。


 私の存在価値を根底から揺るがす子に思えた。



 離婚も決まったあの日……。


 私と那人さんは、自室で本を読んでいた由人をリビングに呼んで尋ねた。


「由人、父さんと母さんは離婚する事になったんだ。

 離婚の意味は分かってるよな」


 那人さんの問いに由人は静かに肯いた。

 利発な由人は、うすうす感づいていたらしい。


「近い内に別居する事になる。

 だから由人は父さんか母さん、どちらかと暮らす事になる。

 そこで、由人の意見を聞いてみたい。

 どっちと暮らしたいとかはあるか?」


 由人はしばらく黙っていたが、やがて静かに言い放った。


「僕に決めろって言うの?」


 その言葉はいつもの冷めた辛辣さと違って、熱い怒りがこもっていた。

 感情の起伏が薄い由人には珍しいほどの怒りを感じた。


「いや、無理に決める必要はない。

 ただ希望があるならと思って……」


「お前のせいだ……」


「え?」




「お前のせいだ!!」


 由人は那人さんを通り過ぎて、真っ直ぐ私を睨みつけていた。


 心臓を貫かれたような気がした。

 あやふやになっていた罪の所在を叩きつけられたような気がした。

 自分は悪くないのだと、必死に取り繕ってきたのに、すべて暴かれた気がした。


「ゆ、由人、お母さんに向かってお前なんて言うもんじゃない」

 那人さんが、慌ててたしなめた。


「お母さんらしい事なんて何も出来ないじゃないか!

 お前なんかより優華の方がよっぽどお母さんらしいよっ!!」


 優華の名前にかっと頭に血がのぼった。


「!!!」


 気付いた時には、由人を思い切り引っぱたいていた。


「紫奈!! 何するんだっっ!!」


 由人は衝撃で吹き飛び、リビングの床に転がった。




…………………


 最悪の夢から目覚めた私は、両手で顔を覆って懺悔の思いに打ちのめされていた。


 私はなんて事をしてしまったんだろう……。

 

 ごめんなさい……。


 ごめんなさい、由人……。


 こんなダメな母親でごめんなさい……。




次話タイトルは「紫奈、由人を迎える準備をする」です

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