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1、離婚届けを出す朝に……事故に遭った

 

 離婚届けを出す朝に……私、芥城あくたぎ紫奈しなは事故に遭った。



 ◆       ◆


 結婚7年目の記念日を迎える前に、私達は破局を迎えた。


 離婚の原因?

 そんなもの一口に言えるものではない。

 強いて言うなら、性格の不一致? 相性?

 

 でも結婚する時は運命の人だと思った。

 赤い糸で結ばれた人に私は出会えたのだと思った。

 この人となら幸せに暮らせると思った。


 いったいいつからおかしくなってしまったのか。

 どこから狂い始めたのか。

 何が悪かったのか。

 どちらが悪かったのか。


 そんなのは、私達にも分からない。


 気が付いた時にはダメになっていたのだ。



「出られる?」

「うん」


 朝、二人の愛の巣であるタワーマンションの最上階で交わす、夫婦として最後になるであろう言葉はそれだけだった。


 事前に離婚届にはサインしていた。

 話し合いも済んでいる。

 5才の一人息子、由人ゆひとの親権は夫が持つ事になった。

 離婚のごたごたが済むまで夫の両親が預かっている。


 引越しは来週だ。

 その前に届けだけでも先に出してしまいたかった。

 それほどまでに、私達は顔を見るのもお互い嫌になっていた。




 夫、芥城あくたぎ那人なひとは別に好きな人がいる。


 だから離婚を急いでいる。

 彼女を繋ぎとめておきたいから、離婚届けの提出を急いでいるのだ。

 彼女は、私が去った後この家に入り、那人さんの妻になり、由人の母になるようだ。


 しかもその相手は私の親友だった。


 親友というのをどうゆう人間に使うのかは人それぞれだが、私達のそれは腐れ縁、あるいはたまたま一緒にいる時間が長かった相手として使っているだけだ。


 だって私は彼女、如月きさらぎ優華ゆうかにいつも敗北感を感じていた。

 彼女のために何かをしてあげたいと思った事などない。


  ◆     ◆


 私と優華は生まれたマンションが同じだった。

 ……といっても、うちが1階の2LDK住まいに対して、優華は最上階メゾネットの5LDKの家だった。


 子供の誕生日が近かったせいか、仲良くなった母親同士は、小学受験をさせた。

 優華の家が生まれた時から決めていた、大学までエスカレーター式の女子校だ。

 うちは私学に通わせるほど家計に余裕はなかったが、仲良しのよしみでずるずると受験する事になってしまった。そしてなぜだか受かってしまったのだ。


 思えばこれがすべての間違いの始まりだった。

 この女子校に落ちていれば、私の人生はずいぶん違っていただろう。


 優華はすらりと背が高くストレートの黒髪が清楚な、どこに出しても恥ずかしくない美人だった。

 その上、頭も良くてスポーツ万能、気はきく上に偉ぶらない。

 非の打ち所がないとは彼女の事を言うのだと思う。


 対して私は、チビで、色素の薄い茶髪のくせ毛は毎回頭髪検査に引っかかり、悪い事など何もしてないのに、派手に見える外見のせいでいつも問題児扱いだった。

 そして勉強もスポーツも、優秀なお嬢様学校では落ちこぼれだった。


 不真面目だったわけではない。

 努力はしていたつもりだ。

 でも、優華よりも要領も悪いし不器用だった。


 その上、分不相応な私学に入ったため、母さんはパートを掛け持ちで働かねばならず、家事労働のいくつかが私の肩にのしかかったせいもあるのだと思う。


 そもそも先に敗北感を感じていたのは母さんだった。

 華やかで優雅に生活する優華のお母さんに負けないようにと、いつも無理していた。


 お金もないのにバレエを習わせようとしたり、バイオリンまで買おうとした事があった。

 そのたび父と喧嘩になって、夫婦仲はすこぶる悪かった。


 家庭円満を絵に描いたような優華の家とは大違いだった。


 どの角度から見ても勝ち目などないのに張り合おうとするから無理が出る。

 そのゆがみはいつも私が代わりに背負う事になった。


「今日の運動会、優華ちゃんと走るのよね。勝つのよ、絶対!」


 いや、無理だから。


「優華ちゃん、合唱コンのピアノ伴奏やるらしいじゃない。あなたも……」


 いや、ピアノ習ったことないし……。


「優華ちゃん学内模試1位だったらしいじゃない。あなたは?」


 最後から数えた方が早いです。



 思えば私のこの敗北感はお母さんに植え付けられたようなものだ。


 いつもいつも比べられて、勝ったためしなどなかった。

 そのたび落ち込むくせに、また新たな戦いに挑ませようとする。


 私は延々くり返されるこのルーティンから逃げたかった。


 そんな時に出会ったのが、夫となる芥城あくたぎ那人なひとだった。

 17才で初めて会った時、彼は25才だった。


 パートの掛け持ちがきつくなった母さんに代わって、学校に隠れてバイトをしていた。

 キャンペーンガールのバイトだ。

 彼は若くしてベンチャー企業を立ち上げていて、スポンサーの一人として出会った。

 

 8才年上の彼は、すべてがスマートで大人に見えた。

 王子様が現れたのだと思った。


 そして高校を卒業すると、大学には進まずに彼と結婚した。

 カッコよくてセレブな青年実業家の彼に、友達はみんな羨ましがった。

 もちろん優華も羨ましそうな顔をしていた。


 私は初めて優華に勝ったと思った。

 そしてお母さんも有頂天になった。



 それなのに……。



 7年が過ぎて、私はやっぱり優華に大敗北するのだ。




 優華に負けるのが悔しいの?


 ううん。


 私は運転席でハンドルを握る夫を見つめた。


 勝ち負けなんてどうでもいい。

 全部全部、いつもと同じように優華に譲ってもいい。


 でも……。


 でも那人さんだけは、とられたくなかった。


 だって、私は本当はまだ……。


 私はこの土壇場になって自分の気持ちに気付いた。


(私はまだ那人さんを愛している!)


 角を曲がれば区役所が見えてくる。

 離婚届けを出してしまったら、もう那人さんとは無関係の人間になってしまう。


(そんなの嫌だ!!!)


 唐突にその思いに囚われた。


(取り返さなきゃ!!)




「那人さん! やっぱり行かない! 離婚届けなんて出したくないっ!!」


「え? ち、ちょっと今更何言って……」

「嫌なの!! 離婚届けを返して! このかばんの中?」


 私は足元にあった那人さんの鞄を開いた。

「か、勝手に開けるなよ! そんな所に入ってないから!」


「じゃあポケットの中?」

 私は彼の着ている上着に手を突っ込んだ。


「わっ!! 危ない! やめろって!! 運転中だぞ!」


 私は反対側のポケットも探ろうとして、シートベルトを外して彼の体に覆いかぶさるようにしてポケットを探した。


「うわああっ!! よせっ!! うわあああ!!」


「え?」


 一瞬、青ざめた彼の顔が見えたと思ったら、激しい衝撃と共に彼が視界から消えた。


 いや、消えたのは私だ。


 シートベルトを外していた私の体はフロントガラスを突き破り、まるでその心の距離のように、彼から遠く遠く引き離され、何かに激突して、そこですべてが途絶えた。




 ああ……。



 思い返せばいつもこうだった。




 思いつきで無茶をして、いつも那人さんを困らせ、悩ませ、苦境に立たせ、ついには失望させた。

 もうずいぶん前に、彼の心は私から離れていた。

 今更どう足掻あがいた所で結果は決まっているのに……。


 でも、どうやら最悪の未来を経験する事なく、私の人生は終わったようだ。


 那人さんは、ようやく疫病神のような私から解放されてほっとしている事だろう。


 これで良かったのだ。


 こんなカッコ悪い人生なんて、終わりにしてリセットしたかった。


 迷惑ばかりかけてごめんね、那人さん……。


 生まれ変わったら……。


 生まれ変わったら、もう少しマシな人生を歩めるだろうか。


 今度は優華のような完璧な女性に生まれ変わって、那人さんともう一度出会いたい。


 どうか、神様……。


 ……お願いします……。


次話タイトルは「紫奈、地獄行きを命じられる」です

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