後編
窓から見える風景はいつもと同じで、代わり映えのしない退屈な日々。
「お前は尚更そう思うだろうな。」
ベッドに横たわっている時雨へとジークは話しかける。返事はもちろんない。なぜなら彼女の意識は未だ本の中へとあるのだから。
「安心しろ。お前の事はアイツに任せてあるからな。」
こんな時に自分が解読師だったら、といつも後悔する。自分は彼女に助けられてばかりで、けれど自分は彼女に何かしてやれたのか。
「…悪い癖だな。」
頭を振って考えを追い払う。今は彼に頼るしかない。
「頼んだぞ、詩恋。」
ジークはそう呟き、時雨の手をそっと握った。
◇
「えーと、つまりボクはここで君の帰りを待ってればいいのかい?」
「うん、そうだね。」
いつもの仕事場である第二書庫へと都を案内した詩恋。連れてこいと言われても都は解読師ではないため、本の中へは入れない。そうすると必然的に本のある部屋に置いていくしかない、という結論に至った。
「しかし、これまではボクに仕事の事は教えてくれなかったのに…随分とアレだね?」
「えーと、それはほら、さっき話したでしょ?」
都が今回の仕事に必要だということは、既に話してある。都はふんっとそっぽを向いて、
「君が疲れた顔をして書庫から上がってくる度にボクがどれだけ心配したと思うんだい?あ、君の仕事が危ないことくらいはボクも知ってるからね。」
「…」
無言で都の頭を撫でる。昔からやっていた都の機嫌回復の儀式だ。確かに自分のことばかりで、都の気持ちは考えたこともなかったかもしれない。
「館長は…すごいね。」
「ふん、今更なことを言うね。」
こちらには顔を向けず、腰に手を当てふんぞり返る。詩恋は微笑んで都の頭から手を離す。
「そろそろ、行かなきゃ。」
「…必ず、帰ってくるんだよ。」
「もちろん。」
なおも心配そうな都を安心させるが如く、本の前に立っていつもより力強く唱える。
「開門!」
詩恋の意識はそこで深い闇の中へと落ちた。
「お久し振りですね、詩恋。」
本の中へと入った詩恋を出迎えたのは、純白のローブに杖を持った一人の女性、時雨・アリアダストであった。
「はい、お久し振りです。」
ペコリとお辞儀をする。時雨はその様子を見て微笑み、
「いつ見ても可愛らしいですわね、詩恋。」
「えーと…一応男なんですけど?」
時雨は詩恋が解読師として過ごしている中で最も交流の長い解読師である。これくらいの軽口はいつものことである、と詩恋は思っているのだが時雨が本気でそう思っているのではないか、という疑念もまたある。
「えっと、それで時雨さんの方で何かココについて分かっていることはありますか?」
「そうね…」
時雨は少し考える様子を見せて、
「あなたも感じているとおり、この世界の核はあの番人に関係していると思うわ。」
「ということは、番人との戦闘は避けられないということですね。」
ハァ、とため息をつく。正直、あんなしんどい真似はあまりしたくはない。
「でも、それしか現状を打破する手段は無いわ。」
その通りであることは詩恋にも分かっている。詩恋は物憂げに体をほぐし始める。が、それが終わる前に遠くから地を踏み鳴らす音が聞こえてくる。
「どうやら、ご登場のようね。」
「みたいですね。」
『月脚』を展開し、腰を深く沈めて加速の構えに入る。だが、そんな詩恋を押し止めて前に出る者がいた。言うまでもなく、時雨だ。
「先手は私が頂いたわ。」
向こうの角からミノスが顔を出すと同時に、時雨の持っていた杖が無数の鎖へと分離する。
「縛れ、『神鎖』」
言うが速いか、分離した無数の鎖はミノスへと向かってその身に絡み付いていく。だが、前回の戦いから学んだのか振りほどこうと暴れる。だが、
「今回は、縛るのが目的ではありません。」
いつのまにか、彼女の背後には先が鋭く尖った穂先を持っている鎖が何本も現れている。時雨が腕を降り下ろす。
「全槍、射出!」
ヒュンッ ヒュンッ ヒュンッ
鋭い風切り音を上げて目標へと突き進む。その鋭い切っ先はミノスの厚い肉を貫き、その体を壁へと縫い止める。
ガアアアアアッ!
「逃がさないわ。」
暴れているミノスの動きを時雨は冷静に止めていく。その間、紫恋も黙って見ていたわけではない。陸上のクラウチングスタートの格好で月脚のブーストをチャージする。
「スロット6、アクセル…ゴー!」
バンッ!
彼の姿が消え、遅れて炸裂音がする。彼のいた場所に瓦礫が舞う。瞬きをする暇があったかどうかの時間、素早くミノスの正面に移動し縫い止められたその左腕に狙いを定める。
(イメージするのは、万物を切り裂く刃…)
魂装に意識を集中する。魂装とはいわばイメージの塊。装者のイメージ次第でその姿は多少の変化をもたらす。詩恋が頭の中でイメージすると、彼の月脚の踵から輝く光の刃が現れる。
「スロット2、ストライク…『嘴閃』!」
一度は防がれたこの技。だがアクセル6のスピードで、万物を切り裂く刃がある状態で放った場合、結果は異なるものとなる。回転を加えて、ミノスの肩へと振り下ろす。
ザクッ
ミノスの左腕を肩口からざっくりと切り落とす。ミノスは苦悶の声をあげながら身をよじる。が、時雨は拘束の手を緩めず、ミノスはそれ以上の動きができない。
(これで、決める!)
無言のうちに覚悟を決めて、ミノスの命を刈り取るべく詩恋はその首元へと狙いをさだめる。時雨もその意図を読み取り、鎖を操ってミノスの首を詩恋が狙いやすいようにする。光り輝く刃が首元へ吸い込まれる。だが、その瞬間。彼の刃はカァンと乾いた音を立ててはじかれてしまった。二人の顔が驚愕に染まる。ミノスはまるで勝ち誇ったかのように、ウオオオオオォ!と雄叫びをあげて、拘束の緩んだ鎖を引きちぎる。
「詩恋!一旦、戻って。」
「はいっ」
壁を蹴り、時雨の元へとすぐさま移動する。時雨は唇を噛んで「やられた…」と呟く。
「時雨さん、今のは…」
「予想でしかないけどこの世界の魔力によってミノスを強化したのよ。くそっ、その可能性もあったのに私は…!」
顔を悔しげにゆがませて、時雨は自分の鎖で捕えていたミノスを見上げる。ミノスはすでにその拘束を全て解いており、見ればいつの間にやらさっき切り落とした左腕も再生してしまっている。
「時雨さん、私が時間を稼ぎます。その間にもう一度やつを拘束してください!」
「ちょっと…!」
時雨の返答を待たず、さっきと同じスピードでミノスの側面へと移動する。だが側面へと移動している最中、詩恋は気づいた。
(こっちを見ている!?)
ミノスがその速さに翻弄されず、こちらにしっかりと視線を合わせている。詩恋の移動先へとその巨腕を振り上げた。
「そんなのありかよ…」
ドゴオォン
まるでハエを叩き落とすように、ミノスは詩恋を叩き落とす。轟音と共に地に伏した詩恋はピクリとも動かなかった。
「まったく、世話が焼けるわねっ!」
時雨は素早い動きで鎖を操作し、ミノスの意識を逸らす。その隙に詩恋の体を別の手で放った鎖で絡めとり、その場から全速力で走り出す。彼女の走り出す先は暗く、先が見えなかった。
「流石に暇だよ…」
都は机に散乱していた原稿用紙を纏める。傍らには詩恋の入っていった本、後ろのベッドには詩恋の体がある。原稿用紙は机の上の至るところにあった。その本の上にも。だから、彼女が本に手を触れたのはまったくの偶然だった。
(え…?)
ドクンと心臓が跳ねた。彼女は何かに呼ばれるように本を手に取った。本が勝手に開き目の前に浮き上がるのは二人の女性が走っているさま。場面が移り変わり、今度は牛頭の巨人が映し出される。
「これって…?」
困惑する都に構わず本は進んでいく。本から文字が浮かび上がり、都の周りを飛び回る。
『愚かな遭難者に番人は容赦なく襲いかかる』
『必死の抵抗むなしく彼らはただ逃げるしかなかった』
『やがて辿り着くのは行く先の見えない迷宮』
『彼らはここで終わ-』
「終わらせない」
都は浮かび上がる文字を睨み付け、強く告げる。
「終わりが約束された物語なんてやってられるか。先が見えない、展開が読めないからこそ物語は進んでいくんだ。」
彼女はペンを手に取る。彼らを、詩恋を助ける為に。彼が詩恋だと知っていたわけじゃない。だってどうみてもあの人たちは二人とも女性だから。けど都は間接的にだが、彼の「精神の器」を知っていた。だから、というわけでもなく本音はなんとなくだった。
(待ってて、今助けるから…!)
都はおもむろに本へと文字を綴っていく。
「ん…?」
最初に気づいたのは時雨に抱えられた詩恋だった。かすかだが上から光が差し込んでいる。と、瞬く間に天井が割れて鮮やかな空が顔を出す。
「え…え、なにこれ?」
「僕もわかんないですよ!」
二人は戸惑っている。一瞬この世界の仕業かと思ったが、この世界の申し子であるミノスも明らかに動揺していた。そして、
「あれ?」
「どうしたの詩恋君?」
時雨から離れ、体のあちこちを触る。気づけばさっきまであった体の傷がきれいに消えている。
「傷が治ってる?」
「見て、ミノスの様子が。」
時雨に言われるがまま顔をミノスの方に向けると、ミノスから発せられてた強大な魔力の気配がだんだん小さくなっていく。
「なんだかよくわからないけど…勝機かしら?」
「っぽいですね。」
各々の魂装を再展開し、攻撃の態勢に入る。体の奥底から暖かく、どこかなつかしい力を感じる。
「反撃開始だ!」
『空は割れ、光彩のある景色が顔をのぞかせる』
『番人は息絶え、旅人が力を取り戻す』
「ここまでは順調。」
この本は不思議なことに本に書いた文字は吸い込まれるように消えていき、次の瞬間には新たなページとして生まれ出てくるのである。都は二人を救うためにさらに書き込んでいく。
「さぁ、フィナーレにしよう。」
あまり長くもない一文を書き、ペンを止める。
『番人は旅人の手によってその命を散らした』
「はぁぁぁぁ!」
先程とは打って変わって、ミノスは戦う力が増した二人になすがままになっていた。
ガァァ…
弱々しい声がミノスから漏れる。
「さぁ、行って…私の鎖達!」
『連なる怒濤の協奏曲』と時雨が名付けたその技。数百、数千の鎖が織り成す鉄の奔流にミノスは必死に耐えている。だが耐えるのに集中しており、その背後はなんの防御も施されていない。それを見逃す程、詩恋は未熟ではなかった。
「この一撃で、決める。」
目を閉じて、浮かび上がるのは懐かしき情景。一人の女性が放った極大の一撃。それは天を穿ち、世果を砕いた。彼女は告げた。
『あなたにも使えるはず。信じて、放ちなさい。』
優しく、甘い声で囁く。代償を知っていて尚、彼女はその技を教えた。彼がこれを使う必要があるときが来ると予感していて。
「一から十、常世全てを粉砕し」
『一から十、常世全てを粉砕し』
「その責、全てを負って尚」
『その責、全てを負って尚』
「自らの指命を果たす為」
『自らの信念を貫く為』
彼女はそこだけ違った詔にした。なぜなら彼女は-
『信念なんて結局貫き通すことなんてできはしないよ。信念に従って行動したって、「守れなかった」と嘆くばかりだから。』
だから、彼女は変えた。指命を果たし、護るべき人の元へ変えるためという意味を込めて。静かに鳴動するこの世界を聞いて、放つ。
『「天 撃」』
刹那、世界が止まった。景色も、ミノスも時雨も、全て。蹴りを放った姿勢のまま止まった詩恋はゆっくりと姿勢を戻し、その長い髪を払う。最後に、止まっていた世界を解放する。
ゴッッ!
時雨は突然の衝撃に咄嗟に鎖で自らを繋ぎ止める。荒れ狂う衝撃の嵐に世界は原型を留めない。黒い壁は次から次へと吹き飛び、黒鉄の地面は上へ剥がれ落ちていく。またミノスも、
「ガァ…ァ…あぁ…」
その巨体が光の粒子となって空へと消えていく。驚くべきことに彼の姿は今や普通の人間のようになっている。詩恋がどういうことかと思案していると、時雨がゆっくりと近づいて来る。
「大迷宮の番人で有名な牛王ミノス。そのモデルとなったのはクレタ島に流された怪物アステリオス。雷光の名を冠した彼は英雄となる道を閉ざされ、やがて本物の怪物となってしまった。」
目を伏せ、同情ぎみに呟く。
「この世界の魔力が彼の憎しみを、怒りを取り込んでしまったのかもしれないわね。」
ミノス-アステリオスは両手を大きく空へと広げ、その姿を消していった。
「あら、どうやら時間のようね。」
アステリオスが消滅したあと、しばらくして時雨も光に包まれ始めた。世界が閉じようとしている。
「あっちに戻ったら改めて言うけど、ありがとね。」
「…お礼なら、私よりジークさんに言ってください。」
そう言うと時雨はため息をついて「だってアイツが寄越した仕事だし-」「アイツはそろそろ私のことを-」などと愚痴をこぼす。仲がよさそうでなによりだと思いつつ、自分も帰ろうとしたとき、
「あ、君の大事なお姫様にもよろしくね♪」
ニッコリと、いやニヤリと時雨は告げる。詩恋はびっくりするぐらい狼狽してしまう。
「お、お姫様…?」
「わかってるから何も言わなくていいわよ!大丈夫、お姉さんも年下好きだったから。」
皆まで言うなとばかりに詩恋の口を塞ぐ。それを最後に彼女は元の世界へと戻った。
「…姉さんのこと、聞きそびれちゃったな。」
詩恋は苦笑して、どこか遠くを見るような目をする。
(姉さんはなぜあの呪文の一節を変えて教えたのか…あの時、事態を好転させたのは館長だったのか…色々知りたいことはあるけど。)
ぐっと背伸びを一つ、
「今日もお仕事、お疲れさまでした。」
目が覚めるとそこは見慣れた天井。いつもと違うのは何かが自分の手を握っていること。
「館長?」
都はスピースピーと寝息を立てて寝ていた。その顔はいつものしっかりとした風とは違って天使のような可愛さだった。
「お姫様、か。」
時雨の言葉を思いだし、クスッと笑う。そしてそのまま都の額に唇を寄せる。
チュッ
「ありがとね、館長。大好きだよ。」
都をそっとどかし、台所へと向かう。今日は彼女の大好物を作ってあげようと思った詩恋であった。
お仕事お疲れ様でした!(自分に)
思えばかなり長くかかってしまいました…。最初は3話完結の簡単な話にしようと思っていたのですが、あれよあれよという内に中身が膨らんで完結がこんな時期になってしまいましたよ。
これの続きですが外伝と称してちょっとした間のお話でも作ろうかなと考えています。ですが、新しく始めてみたい作品や既存の作品の続きもあるのでまだ未定ですね(私は書きたいのですが…)
ここからは簡単な謝辞になります。
三、四ヶ月という期間の間でしたが書いている方はとても楽しかったです。これも見てくださっている皆様のお陰です。これからも日々研鑽を重ね、おもしろい作品を書いていきますのでどうぞよろしくお願いします!
では、また別のお話で会いましょう。