中編
『解読師』
主に旧世界の文献や文書を解読する事を生業としている者。人並み外れた読解力と文書に隠された物を見抜く「目」が必要。その力は自らの血筋に多く影響する為、解読師は親の世代から受け継がれた者が多い。現在は一番船から九番船までそれぞれ二人ずつ存在している。
◇
「・・・ふぅ。」
解読作業の基本は、旧言語を現代言語へと直すことから始まる。大概の古書はこれだけで解読完了となるのだが、
「・・・文章の構造がおかしい、誤字脱字多数、ページ数が合わない。ということは、隠門ありと判断しても良いのかな?」
手元にあるメモに目を落とす。そこにも同じような解読結果が書いてある。このメモは詩恋の前にこの本を解読した解読師が残したモノである。
「私だけの結果なら勘違いだけど、別の人も同じなら確定でいいかな・・・。」
本を机の上に置き、別紙の解読済文章と照らし合わせて読み進めていく。すると、
「ここ、かな?」
詩恋の目はその中の一節に止まった。
『~そしてその要塞は、立ち入った者を逃さず常にその力を試し続けた。』
傍目にはなにもおかしくない、ただの一文である。だが、このとき彼の目にはその文から違和感が感じられた。
「これだけ文章が乱れている中で、違和感がなくしっかりしている文とか・・・逆に違和感だよね。」
右手を本にかざし、唱える。
「開門」
途端に詩恋の体は脱力したようにその場に倒れ込む。そして、机の上の本が勝手に閉じる。そこにはこの本の題名が書いてあった。
曰く、『大迷宮』と。
古書には解読が容易であり、解読師なら誰でも請け負える物と、解読が容易でなく、一般的な解読師は接触不可となっている物がある。今回の例は後者であり、この本は旧世代の誰かによって魔術的な仕掛けを施されていた。その魔術的な仕掛けが存在している限り、この本は誰にも正しく読まれる事はなく、歴史の中に埋もれることとなる。
しかし、どんなものにも綻びというものがあり、この仕掛けにもたった一つの解除方法があった。それは本の中にある仕掛けの根源を直接叩き潰すことである。
普通に考えれば不可能である。しかし長年の解読師達の努力により、彼らは『自らの精神を肉体から剥離させ、魔術的回路の入り口から本の中へと侵入する』という荒唐無稽な荒業をやってのけた。その力は血脈によって後生に受け継がれ、上級解読師の9人はその荒業、「魂身解離」を扱うことができた。
「んっ・・・どうやら正解みたいだったね。」
詩恋は体を動かし、正常な状態であることを確認して顔を上げる。余談だが、精神と身体の姿は同一であるとは限らず、外側である身体と中身である精神は多少の誤差が生じる場合がある。詩恋は9人の中で最も誤差が大きく、
「いつになっても慣れないなぁ・・・この精神。」
自らの胸部にある、二つの膨らみを見て溜め息を漏らす。そう、詩恋の精神は身体とはまったく逆の女性型であった。最初にこの姿になったとき、一番船の同僚には苦笑され、九番船の同僚は爆笑していた。
(私だって笑いたいけどさ・・・いや、笑えないか。)
また溜め息をつく詩恋。その姿どこをとってもは完全に女性である。都に相談したこともあったが、
『そうか、君は精神が女性だから見た目もそんなに女性っぽくなってしまったのだね。』
とにべもないことを言われてしまった。
この世界に入るとき、一つ注意点がある。それはこの世界にとって自分達は「侵入」してきた、「侵入者」であること。この時代、自宅や会社には防犯装置がもれなくついている。それはこの世界にも同じことが言える。侵入者を撃退するための強烈な装置が作動し始めた。
ゴウンッ ゴウンッ
遠くから地響きのような足音が聞こえてくる。その音の主は段々と近付いて来ており、ついにその姿を詩恋の前に晒した。
『迷宮』の一節より
「その迷宮には屈強な守護者が住んでいる。人身牛頭で見上げるほどの巨体、その手には万物を両断する巨斧を抱えている。」
ブモオオオオオオォォォ!
「迷宮の番人、ミノス・・・!」
番人は侵入者を撃退しようと襲ってくる。ここで重要なのは解読師も黙ってやられる訳ではないということだ。詩恋は屈んで、靴に触れる。
「来て、『月脚』!」
彼の両足が光に包まれ、光が止んだ後には三日月の飾りが付いた膝まで覆う、脚甲が現れていた。これが彼らの抵抗手段であり、自らの心の顕現。名を「魂装」と言う。
「さーて、一発やりますか!」
詩恋はその場で力を溜め、一気に駆け出す。ミノスとは逆の方向へと。魂装は番人達に抵抗するための武器であるため、剣や槍などの形状を多くとる。これは歴代の解読師達も同じ傾向だった。だが詩恋の魂装はあまり戦闘に向いてない、防具の形状をとったのだ。
「スロット2、マーク・・・スタート!」
『月脚』の能力は「神速」。何者からも逃げ切るという意思を持った力。
ブォンッ!
強烈な衝撃波を撒き散らし、詩恋の姿がその場から消えたように見える。複雑な通路を目にも止まらぬ速さで駆け抜けていく。
ガインッ!ガインッ!
時には壁や床が意思を持っているかのように突き出して来る。その度に詩恋は壁を、天井を、はたまた虚空を走り抜ける。囚われることなく、全てを振り切って「逃げる」。
「・・・っと!」
行き着いた先は行き止まり。この迷宮は迷い込んだ者を試すと書いてあった。後ろには巨斧を抱えたミノス。ミノスは大きく、その巨斧を振り上げ、
「やばっ・・・!」
ゴオオォォォン!
凄まじい威力が床を抉る。詩恋は直撃はかわしたものの、風圧で背中から壁に打ち付けられる。
「ぁっ・・・!」
肺の空気を無理やり吐き出され、息が詰まる。詩恋は急いで呼吸を整え、その場から立ち上がる。だが、ミノスはそれより速く、再度斧を振り上げた。詩恋は逃げるのではなく、ミノスの方へと飛び出していった。
ブウンッ
頭のすぐ上を斧が通りすぎる。冷や汗を流しつつ、ミノスの股下を通り抜ける。そして無防備なミノスの背中へ向かって、
「スロット2、ストライク・・・『空穿』!」
ズバンッ
亜音速で繰り出された蹴りは衝撃波となって、ミノスの背へと突き刺さる。
「ガアアアアアアッ!?」
ミノスは堪えきれず、前につんのめる。その隙に詩恋は来た道を引き返し、この中から脱出しようとする。
(一応、中の構造は把握した。気掛かりなのは根源が見つからなかったことだけど・・・)
詩恋はそんなことを思いながら、駆け出していく。
約30分後
「出口どこなの・・・?」
ミノスを振り切って、迷宮の中を歩き続けたが、この世界から脱出するための門が見つからない。
「・・・『立ち入った者を逃がさず』か。」
それはこの本の門の一節。これこそがこの世界に働く制限。
「一回入れば、なんらかの条件でしか戻れないということか。」
彼が呟いたその時、壁を蹴破ってヤツがまた現れた。
ガアアアアアアッ!
「しつこいな・・・いい加減帰らせて、よっ!」
その場で跳躍し、迷宮の天井へ立つ。そしてそこを蹴って勢いをつけ、ミノスの頭頂へと
「スロット2、ストライク・・・『嘴閃!』」
一回転して、踵落としを叩き込む。だが、ミノスも二回目は簡単にくらってはくれなかった。斧を頭の上に掲げ、詩恋の脚と斧の柄が交差する。
「まあ、そうだよね!」
キインッ
甲高い音と共に後方へと撤退する詩恋。このときの詩恋にはひとつだけ帰還するための手段があった。それは腰のところに下げてあった薬水、名を『醒水』という。これは解読師に支給されているもので飲めば精神がこの世界から肉体へと瞬時に戻っていくものである。
「・・・飲ませてくれないよね?」
その呟きに呼応するようにミノスは雄叫びを上げて突撃して、こようとした。
ギャリリリリリィン
耳をつんざくような異音と共に虚空から金色の鎖が飛び出してくる。その鎖は器用に飛び回り、ミノスの腕や足に絡み付く。
「これって・・・!?」
詩恋はこの鎖に見覚えがあった。確かこれは、一番船の解読師が使う魂装、銘は「神鎖」だったか。そのうちの一本が詩恋の腕に触れる。
(今のうちにお逃げなさい。私も長く縛っていられる時間はありませんよ。)
鎖から、正しくは鎖を通した振動によって言葉が伝わる。ミノスを縛る鎖は数を増しているが、それに呼応してだんだんとミノスの抵抗する勢いも強くなってきている。
「ありがとうございます。」
(それと、少しアドバイスですわ。ここの攻略の鍵はあの番人と都さんです。)
「館長ですか?それは一体・・・」
(詳しいことはまた今度にでも。私も限界です。)
見ればミノスは絡み付いていた鎖をほとんど引きちぎっている。このままでは折角の好機がなくなってしまう。詩恋はそうなる前に懐から出した薬水を一気に飲み干した。
(願わくばまた出会える日まで、共に安寧あれ・・・)
意識が遠退く中で詩恋の耳にそんな言葉が聞こえた。
「・・・んー。」
覚醒はゆるやかだった。詩恋は椅子から体を起こすと、口のなかに広がる苦味に耐えかねて、顔をしかめる。
「うえっ・・・もう少し苦味を抑えることとかできないのかなぁ・・・」
薬水の仕組みは簡単で、中身はとんでもない苦味を持っている。その苦味を精神が受けることにより肉体が異常を感知し、強制的に意識を引き戻すというものである。
「うぅ・・・水でも飲んでこよ。」
書庫から抜け出し、台所へと向かう。途中、都の仕事場を見るが既に就寝しているのか姿はなかった。机の上には新しい原稿用紙が数十枚積み重なっている。
「まったく、倒れたらどうするのさ。」
ヨイショ、と何枚かに分けて机の下へと移動させる。
「館長が鍵・・・か。」
ふと、あの世界の出来事を思い出す。彼女は一体どういうつもりであれを口にしたのか。詩恋にはまったく見当がつかない。
「ぷはぁ・・・まあ、まずはジークに話を聞かなくちゃね。」
台所で水を飲み、彼は明日の予定を立て始める。
『珍しいな、お前から電話してくるとは。』
「私だって好きで電話してるわけじゃないよ。あなたの依頼は毎回ハードだからね。」
電話越しに相手が笑う。
『あんたにはそれくらいが丁度いいだろう?』
「違いない、とは言わないよ。」
再度相手がククッと笑う。
『相変わらずお前はおもしろいな。で、用件はなんだ?まさか俺を笑わせる為に電話してきたのか?』
「私がこの前依頼された本のことだけど、依頼者は君だったね。」
『あぁ、そうだ。前の担当解読師が続行不可能になったらしく、俺のとこへと舞い込んできた。』
電話の相手はジークリンデ・シュトルムベルクという。彼は解読師達への古書の解読依頼を仲介する組織、『アルハンブラ』の六番船専属仲介人であった。
「少し気になることがあってね。私の前に解読を担当したのは時雨さんではないか?」
暫く沈黙が返ってくる。時雨、とは一番船に住んでいる女性の解読師の時雨・アリアダストのことである。ジークは観念したかのように、
『なんで知ってんだよ・・・こっちの情報統制は完璧だったはずだが。』
「その口ぶりからすると、当たりだね?」
『あぁ、その通りだ。お前に渡した古書の解読の途中で原因不明の昏睡状態に陥った。医者が見るには魂が抜けたようだ、と。』
なるほど、と詩恋は納得した。それが恐らくあの古書に込められた魔術結界だろう。察するに、一度入ればあの世界の理を崩すまで出られないといったものか。
『んで?お前はそれをどこで知ったんだ。』
「あぁ、実は・・・」
番人と対峙したときの事をジークに話す。話終わるとジークはうなり、
『・・・なるほど、な。確かにその『神鎖』は奴の得物で間違いない。しかし、お前のとこの嬢ちゃんか・・・』
冷静に状況を見て、次に講じるべき一手を考える。間もなくジークは一つの結論を出した。
『ここは奴の言うことに従ったほうがいいかもな。一応、奴は一世代目の解読師だ。経験もかなり積んでるだろうしな。』
一世代目とはその血縁関係の中で最初に解読師としての力に目覚めた者の事である。詩恋は二世代目であり、その力は自分の姉から受け継いだ。
「・・・ジーク、一世代目のことで思い出したんだけど例の件はどうなってるの?」
『あ?・・・あぁ、悪い。それについては進展なしだ。』
「そっか・・・」
詩恋は肩を落とす。彼には普段の仕事とは別にジークに頼んでいたことがあった。たった一人の大切な家族を探すために。
「・・・わかった、館長には私から話しておくよ。」
『おう、よろしく頼んだ。』
ジークはそう言うと、静かに通話を終了した。
「それにしても館長か。あの人には何もないと思うけど・・・」
「何もなくて悪かったね。」
「うぉぅ!?」
背後からかけられた声に飛び上がる程に驚く。振り向いてみれば、そこには館長こと都の姿があった。
「寝てたんじゃないの?」
「いまさっき、喉が渇いたから何か飲みに来たのさ。そしたら光が見えたから。」
なるほど、と納得し先程までの会話は聞かれてないと知り安心する。自分の姉の話は都にもしたことがない。この事は誰にも知られたくないのだ。
「それより仕事から戻ったのかい?早かったね。」
「うん、まあね。」
時雨の事や仕事のことはまだ伏せておく。だが先送りにはしない。時雨の為にも、明日には話そうと詩恋は心に刻む。
「館長、明日は空いてる?」
「僕かい?もちろん、暇だよ。」
都は疑問を覚えながらも肯定を示す。詩恋は都を自分の仕事に巻き込んでいいのか、そんなことを思いながらも、彼は都に伝える。
「少し、話があるんだ。」