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某日。レイスが『ペスカトーレ』で働き始めて二週間ほど経った頃。レイス自身、仕事に喜びを感じていたからだろうか、時間が過ぎていくのは思ったよりも早かった。
昼はペスカトーレでミシェルが教えてくれた皿洗いや掃除をし、たまに料理を作らせて貰ったりした。仕事が終わり、夜になるとルインズと共に機械を弄くる毎日だ。
最近は専らシュタインの改造が主である。今のままでは少し操作に手間取ってしまうが、このまま改造を進めればレイスが旅立つ時に用心棒くらいにはなってくれるだろう。
「レイス、今日は休みなんですよね?」
「うん、そうだよ」
作業場であるアトリエの作業台にミルクとクロワッサンを置き、近くにあったブラウン管テレビに腰掛けながらレイスは応答する。
今日はペスカトーレの定休日だ。オーナーであるミケーレもウィルプト魔術学院の生徒である。この定休日に学院に行って、ミケーレは単位をぎりぎり取得しているようだ。
レイスは横目でルインズを見た。ミケーレと同じ生徒であるルインズは当たり前のように自宅で嬉しそうにシュタインを弄くっている。
単位は大丈夫なのだろうかという疑問が浮かび上がり、レイスは朝食であるクロワッサンを咀嚼した後に問いかけた。
「ルインズくんは学校行かなくていいのかよー」
「学校ですか? 大丈夫ですよ、あの学校はテストで点さえ取れば出席せずとも卒業はできます。かなりの高得点が必要になりますが、心配無用です」
魔術こそ扱えないルインズであるが、それ故に勉強面には力を入れていた。気になったことはとことん調べ尽くす性格の所為か、必然的に点数は高くなっていた。
ウィルプトはエリート魔術師を輩出する機関であるが、その過程は重視していない。学院に通って勉強するも、独学に励むも、結果としてテストで良い点を取ればいいのだ。
テストで良い点が取れるからと言って、実技ができないルインズは優等生と言えるはずがないのは事実であるが。
「で、レイス。詰まるところ、今日は一緒に朝から晩まで機械いじりが出来るわけですね!」
「いやいやー。今日は街を探検しようかなーと思ってたんだ。旅に必要な道具も揃えたいし」
ごめんね、と残念そうに肩を落としているルインズに謝った。ペスカトーレで働いた分の給料は毎日その日の終わりに支払われるタイプだったので、多くは無いがそれなりに物を買うことができる金額はある。
出来るだけ早く出発し、目的を遂行して元の世界に帰りたい。だから、休みである今日の内に準備をしておこうというわけだ。
「仕方ありませんね。なら、街の案内はぼくがしましょう」
「えへへー。鼻からそのつもりだよー」
ミルクを飲み終えたレイスはブラウン管テレビから腰を上げ、白衣の内側に手を突っ込む。じゃらじゃらと心地の良い袋に手が当り、自然と頬が緩んでしまった。
硬貨袋という財布のような袋の中には、給料である銀貨が合計一五枚も入っていた。未だこちらの世界の金銭感覚が掴めていないレイスであるが、上手くやりくりすれば必要な物は買えるだろう。そういう甘い考えの持ち主である。
「さて、行きましょうか」
黒いローブを羽織り、準備万端といった様子のルインズ。レイスはこくりと頷いて、玄関の扉を開いた。
相変わらず、アルトナの街は人通りが多い。絨毯を多く積んでいる毛が生えた牛のような生物を連れた商人や、色とりどりの果物をバスケットに入れて右往左往する町娘。
活き活きとした街だ。レイスはそう心の中で呟いた。
自分がいた世界では、このような光景は見られなかった。都市部に住んでいたということもあるが、物資の輸送は車だったし、出店などは無くてコンビニやデパートが大半であった。
噴水が吹き出す広場を抜けた所で、ルインズが口を開いた。
「とりあえず、魔術用品店にでも行きましょうか。携帯魔力の補充もしておきたいですし」
「おぉ、こりゃワクワクが止まりませんなぁ」
ウサギのようにぴょんぴょんと跳ね、レイスは嬉々とする。言わば、この世界の異能である魔術が内包された道具である魔道具を見る機会だ。彼女の心情を例えるならば、参考資料が沢山ある博物館に行く研究者と言ったところだろう。
広場の隣にあるカラフルな画材店と良い香りのするパン屋の間を通り、路地に入った。レイスはルインズを見失うまいとぴったり背中に張り付いて、無駄に窓が多い路地をキョロキョロと眺めている。
と、ルインズが歩みを止めた。突然のことにレイスは頭を彼の背中にぶつけ、あふぅと間抜けな声が漏れた。
「いてて、いきなり止まらないでよー」
おでこをさすりながらレイスは文句を口走る。
「おっと、すみません。……ここですね。一般的な魔道具なら揃ってると思います。あんまりぼくは入店したくありませんが、一番顔が利くので……」
青い顔で苦笑いするルインズの目の前にはアンティークな雰囲気を醸し出すお店が一件。古ぼけた木の看板には『魔術堂本舗』と彫り込まれている。
路地裏にポツンと一件だけ佇むその店は辺りの全てから切り離されたかのような情緒が漂っていた。日光が反射して虹色に輝く出には、目の部分に緑色の宝石がはめ込まれた猫の彫り物やくるみ割り人形が置かれている。
店内は清掃が行き届いているのであろう。レイスにはよく分からない分厚い本や、謎の生き物の破片が入った小瓶が所狭しと跋扈しているにも関わらず、埃の一つすら無かった。
「ささっと買い物を済ませましょう。彼女に見つかったら面倒です」
「彼女? 誰だよそれはー」
ルインズの様子がいつもと違う。妙にそわそわとしていて、視線がきょろきょろとランダムである。余裕が無いのか、いつものにこにこ顔ではないし、いつでも逃げられるように手は入り口の扉に添えられている。
「――ルインズ?」
店内の奥から鈴のような声が鳴り響いた。腰辺りまで伸びた緋色の髪が、虹色に輝く窓から差し込んだ日光によって美しく煌めいた。店内がその反射によって紅く染まる中、ルインズの顔は反比例するかのように青くなっていく。
「ここにルインズなんて人間はいませんよ。モニカ、気にせずに店番を続けてください」
学院にいる時のように黒いローブは羽織っていない。シンプルなワンピースを着ていて、髪の毛もサイドテールに結ぶことなく自由にさせていた。
「やっぱりルインズじゃない。何の用かしら? 学校にも行かずに喧嘩でも売りに来たの?」
モニカはにっこりと笑う。ただ、その笑みには殺意しか感じられない。恐らく、この前に体を半分埋められたことを根に持っているのだろう。
「君だって学院に赴きもせずに、この店で働いているではありませんか。文句を言われる筋合いはありませんよ」
「だから、あたしは別に学院に行かなくてもいいんだってば。あなたは家の顔に泥を塗らないように通う必要がある、それだけよ。……で、その子誰?」
「それはこっちの台詞だよー」
しまった、とルインズはぼそっと呟いた。モニカのことだ、本当の事を言えば猛反対をするだろう。
「あー……あぁ、この子ですか? 迷子ですよ。魔術用品のお使いを受けていたらしいのですが、道に迷ったらしくて教えてあげたんです」
「へぇー。ここらへんじゃ見ない顔だけど……変わった形のローブね」
ルインズは思いついた嘘を吐く。彼女もそれで納得したのか、興味はレイスの白衣にあるようだ。
「レイス。こちらはモニカ。僕の知人ですよ、仲良くしてあげてください」
「よろしくね、レイスちゃん」
ルインズに向けた笑顔とは全く別次元にある微笑みをモニカはレイスに向けた。完璧に子供に向けられたような笑みで、レイスは少しやるせない気持ちに捕らわれた
「なんだか、すごく子供扱いされている気がするんだけど。私は君たちと年齢変わらないと思うよ……」
「まぁ、商品を見せて頂いても構いませんか? 店員さん」
「えぇ、勝手にどうぞお客様!」
不機嫌そうにモニカはカウンターへと戻り、頬杖をついてむっすりとするのであった。
商品棚にある商品は値札しか貼られていない為、どのような効果があるのかレイスにはサッパリ分からなかった。しかし、確かに自分の世界で考えるとコンビニの商品にわざわざ説明が書かれていることもないなぁと一人納得する彼女である。
小瓶に入れられた黄金色の液体をまじまじと眺めつつ、これは何に使うんだろうと深い思考の海に潜っていた。
「おや? レイス、惚れ薬なんてマジマジと見つめてどうしたんですか。君にはまだ早いですよ」
「えっ! この世界には惚れ薬なんてヤバい精神操作薬剤があるの!? うわぁ……持って帰って医学薬学の発展に貢献させたい……」
と、息を荒くして惚れ薬が入った小瓶を見つめるレイス。彼女としては研究者の血が騒ぐだけなのだが、傍から見れば誤解を受けそうな絵柄だ。
「はぁ……。旅に出るなら『同期する地図』や『小箱型テント』を買った方がいいでしょう。『ランダムビスケット』も良いかもしれません」
「説明が欲しいかなー。名前だけじゃイメージはできても使い方とかがサッパリだよ」
「ふむ、分かりました」
嬉しそうにルインズは説明を始める。
『同期する地図』はその名の通り、地形を地図に反映させている。土砂崩れや工事などで地形が変形したとしても、それと同期して地図も変化するのだ。この地図が一つあれば、迷うことは無いだろう。魔力が共に織られた繊維の紙でできている為、携帯魔力は必要ない便利グッズだ。なかなか値は張る。
『小型テント』は手の平サイズの箱状の形をしている。サイコロの一の目のようなスイッチがあり、それを押す。すると、箱の半径三メートル以内にいる生き物が魔術によって小型化され、その箱の中に送られる。内部はなかなか住みやすい形状になっている他、ステルス機能もあるため一般的なテントよりも扱いやすい。値は張る。
「で、これが『ランダムビスケット』です。先程、携帯魔力と一緒に購入しておきました」
ルインズが持った袋の中にはコインのような物がぎっしりと詰まっている。その金属質な輝きからしてビスケットには到底見えない。
「こ、これはビスケット……? 歯が折れそうだね」
「ははは、このまま食べるのではありませんよ。これは今日の晩ご飯に使ってみましょうか。さて、買う物が決まったら言ってくださいね」
「うーん、分からないからルインズくんが選んでくれたヤツでいいかな」
レイスは地図と小さな箱を手にとってカウンターへと持って行く。カウンターにはもちろんモニカが眼鏡をかけて分厚い本を読んで――寝ていた。ルインズが先程勘定を済ました際には起きていたはずなのに、寝ていた。
「モニカ、起きてください。勘定をお願いしたいです」
「はへ……」
いつもの彼女からは考えられないような可愛らしい声が漏れた。寝ている時だけは害は無い、ルインズは死んでも言えないことを心の中で呟く。
目が覚めた彼女は慌てて乱れた髪の毛を元に戻し、眼鏡を外して本の上に置いた。
ほんの少し頬が赤いのは、寝ていたからだろう。
「ご、ごめんなさい。最近、良く寝れてなくて。誰かさんが学校行ってくれないからストレスが溜まってるのよ、絶対に」
「分かりましたよ。また今度学校に行きますからちゃんと睡眠は取ってください。不健康になられても困ります」
そう言ってルインズはにこりと微笑んだ。学校にいきます、という言葉に反応してモニカの表情がパァッと明るくなる。
「本当? ……やった。っと、レイスちゃんこれでいいの?」
「うん、勘定よろしくかな」
「えーと、銀貨が十三枚ね。でも、お使いにしては変わった物を買っていくのね……」
レイスは硬貨袋から十三枚の銀貨を取り出し、すっかりやせ細った袋を見て白衣の中に戻した。
「毎度ありー」
「じゃあぼくたちは帰る……ではなく、レイスを送り届けてきますね」
「はいはい、さっさと帰りなさい。あ、学校来るの約束だからね!」
無言でルインズは扉を開ける。破る約束はしない主義のルインズであった。