【前日談→Talk about Divorce】
都心のオフィスビルの数階を丸々借りて作られた研究所。十数年前に突如として現れ始めた技術と呼ばれる異能力を研究するために多くの資本を投入されて作られた国家施設である。
技術が初めて発見された時は、世界中が震撼したものである。
科学だけでは成すことのできない現象を引き起こし、構造などは全くもって不明だが、ただ世界初の異能力という結果だけを残した。
最初に一人、技術を持つ技術者が発見されてから、極稀ではあるが世界中で技術者が見つかるようになった。ただ、十数年経ったというのに未だに発見されているのはたったの十名だけである。
技術者の技術が世界にもたらしたのは、驚きだけではない。現代の科学だけでは開発できなかったであろう新製品を技術を用いて開発し、新たな可能性を人類にもたらしたのだ。
例えば、翻訳技術を用いた瞬間的翻訳装置。機械だけでは実現することのできなかったであろう、本当に同じ人種間で喋っているような感覚を実現。
変わり者では省略技術。無駄だと認識したものを丸ごとこの世から削り取ってしまうという恐ろしい技術は、廃棄物問題を解決する大技術でもある。この技術を応用して、二点間の距離を省略するワープ装置も開発研究中だとも聞く。
このように新技術として人々に恵みを与える技術だが、それ故の難点もある。
基本的に技術者は狙われやすい。全員が防衛にまわることのできる技術を所持している訳ではない為に、その絶大な異能を手にしようとする裏組織も存在するほどだ。
そんな組織から技術者を防衛するのと技術者の研究を同時に行なっているのが、この国家技術研究所だというわけだ。
最初に技術者が見つかったのが日本だったので、その技術者を研究する機関も日本に作られたわけである。
そんな研究所のとある一室。それほど広くないわりに、一面が真っ白な壁で構成されているために視覚的に広く見える。
その部屋には一人の男性と、人が一人入ることができるほどの大きさの卵型カプセル。
白銀に輝くカプセルに向かって、白衣の男性は話しかけ始めた。
「麗州、座り心地はどうだ? お尻が痛くなったりしていないか? お兄ちゃんが恋しくて堪らなかったりしていないか?」
麗州と呼ばれた少女はそのカプセルの中、兄の質問に対してゆっくりと微笑んだ。
初雪のように染み一つ無い白い髪。その腰までにも及ぶ白い長髪はカプセルの中に積っている。その髪に少々埋もれるようにして麗州は座席部に寝転んでいた。
白磁の肌に大きくつぶらな黒い瞳、筋の通った鼻、小さくも柔らかそうな唇。その完璧とも言えるパーツが繊細に並べられ、一流の職人が作った西洋人形を彷彿とさせる。
「大丈夫だよお兄ちゃん。お兄ちゃんこそ、私がいなくても毎朝起きれる?」
まるで苺のように頬をほんのりと赤く染め、これから起こる事実に対し麗州はドキドキと高鳴る鼓動を全身で感じていた。
その言葉にお兄ちゃん――襟州は丸めた紙のように顔をくしゃくしゃにして、白衣の袖で顔をごしごしと擦る。
そして赤く目を腫らし、ショーケースごしに二人を見ている八人の技術者たちに襟州は講義の声をあげた。
「いくら麗州がこの『世界軸干渉転移装置』に唯一適合率が100%の技術者だと言っても、まだこの子は高校生だ! こんなに小さな女の子が行く必要は無い。俺が行くから再調整を開始する!」
襟州の叫びに、他の技術者たちは全員申し訳なさそうに俯いていた。そして、小さな女の子という単語に、子ども扱いされることが何よりも嫌いな麗州は少々むっとした。
「お兄ちゃんの技術、身を守れるような技術じゃないでしょ? それに適合率が100%の技術者は私ただ一人っていうのは事実なんだから、私が行かないとね」
「ぐすっ。麗州、分かっているのか? 失敗したら命を失うかもしれないんだぞ、それどころか世界と世界の狭間で永遠に一人ぼっちになってしまうこともあるかもしれない」
麗州が乗っている『世界軸干渉転移装置』はその名の通り、乗員を別世界に飛ばす装置である。現存全ての技術を用いて開発された、何よりもハイエンドな最終兵器。
「大丈夫だよ、お兄ちゃんや皆ががんばって作ってくれた装置なんだもん。失敗なんてことはありえないよ」
「……麗州、お前は誰に似てそんなに頑固に育ってしまったんだ。お兄ちゃんは悲しいぞ」
「お兄ちゃんだよ!」
即答である。
「……では今回の計画内容を再確認する。これは完璧に成し遂げなければならない任務だ」
再び涙を拭い、襟州はバインダーに留められた一枚の紙に視線を落とした。
何故、別の世界へと行かなければならないのかと言うと、もちろん理由がある。
この世界には技術という異能力があるわけだが、それでも技術者はたったの十人しか居らず、つまりは十種類の技術しかない状況である。
言わば技術は全人類の希望だ。新製品を作ったり、環境問題を解決したりと様々な分野で重宝され、活躍している。
そんな希望を研究し、解明するのが襟州など研究所に勤めている技術者の仕事である。
だが、研究を行なうにはたった十種類の技術だけでは足りなかった。
そこで数年の間、考えを練りこんでやっと出た結果がこれである。
「聞くだけならば計画は簡単だ。今から『世界軸干渉転移装置』を稼動し、世界と世界の狭間にむりやり捻じ込む」
襟州はバインダーから乱暴に計画用紙を引きちぎり、ぐしゃりと潰す。
「麗州、お前には異世界で技術のような異能力を採取してきて欲しい。何度も言う、失敗すれば死ぬだろう」
重い言葉が襟州の口から吐き出された。
しかし、そんな言葉は気にしないといった様子で麗州はふふっと微笑む。
「もう何度も聞いたよお兄ちゃん。私、技術とか異能力の構造を解明して叶えたい夢があるんだ! それに、別世界に行く経験なんて滅多に出来ないよ」
別世界に行き、技術に代わる研究サンプルとなる異能力を持ってくる。それが麗州に課された使命。
「そうか、叶うといいな。夢」
そう言い、襟州はデスクに腰掛けている女性技術者に向かって一回だけ頷いた。
カタカタとキーボードが打たれ、転送カプセルに空間的座標やら次元的座標を超えた別世界の座標やらが入力される。
適合率100%の数値が出た麗州であったが、研究者でもある襟州たちにとって100%よりも信用のならない数値は無い。
絶対など、この世には存在しないからだ。
「絶対に叶えてみせるよ、見ててねお兄ちゃん」
もしかすると、最期の言葉にもなるかもしれない麗州の言葉。
それはしっかりと襟州の胸に届いた。
「絶対なんて、言うなよ……!」
データ入力が終了し、カプセルの蓋がゆっくりと閉じられる。襟州の心境を表すように複雑に絡み合ったコードへと技術者の技術力が流れ込み、息を吹き返したかのようにカプセルの隅々に広がっている灰色のラインが青白く脈動。
排気口からは強烈な蒸気が噴出し、部屋は猛烈な騒音で満ち溢れる。
『行ってきま――』
麗州がいつも家を出るときに決まって言う言葉は、蒸気の騒音によって掻き消される。それでも、確実に襟州の耳には届いたはずだ。
しかし襟州は、
「いってらっしゃい」
とは言わない。麗州が乗っているカプセルから目を背け、背中を向け続けている。
部屋が毒々しいほどに青い光に包まれ、その背中が青く染まる――――
全く、泣き虫なんだから。そう麗州は弱弱しく心の中で呟いて、
――――意識が途切れた。