私は初めて村を出た
村が見えてくると同時に、何人かの男衆がそれぞれ武器を携えて集まっているのが目に入った。
この村は少々特殊な出自の人間が多いせいか、各家庭に普通に武器の類が備えられている。
中には売り払えば一生遊んで暮らせる値になるような魔剣の類もある。
もちろんただの村人がそんなものを持っていても宝の持ち腐れにしかならない。しかしこの村の人間は神父様に剣術や魔術を学んでいる人間が多いので、いざという時には立派に使いこなすことができるのだ。
小さな村だけれど、多分総戦力はそこらの軍隊に匹敵する。
さすが神父様が暮らしている村だとでも言うべきだろうか。
「メイヤー! 何があったの?」
「シルヴィア。戻ってきたのか」
その筆頭である顎髭をたくわえた中年男のメイヤーが、こちらに気付くと険しい顔を向けてきた。
「さっき行商人が来てな。北の国境からドラゴンが来てるってんだ」
「ドラゴン? どっから拾って来たのよそんな大法螺」
私が言うのもなんだけれど、竜種なんてものはお伽噺の中の存在だ。
四百と数年前に凪の時代と呼ばれた歴史は終わり、魔物や魔獣の類が人間の領域に姿を現すようになった。とはいえ精霊のような薄い存在や、神すらも脅かしかねない高位の存在は人間界には存在しないとされている。
他でもない、凪の時代の生まれであり、歴史の生き証人である神父様がそう言っていたのだ。
そうでなければ人間がこれほどの栄華を誇るのは無理だったと。
「俺たちだって半信半疑だ。しかし商売に命かけてる商人が、モノも売らずに逃げて行ったんだぞ」
「それなら信憑性が出てくるわね」
小さな村とはいえ、その特殊性ゆえにこの村の人間は小金持ちだし好奇心も旺盛だ。商人にとっては上客と言っていい。
なのに商売を諦めて逃げたということは、命が危ないと本気で判断したということだろう。
ドラゴンはなくても、それに近い怪物が出た可能性はある。
「何だってこんな時に」
どんな魔物が相手でも、それこそドラゴンが相手でも神父様なら鼻歌混じりに倒してしまうだろう。
しかしその神父様は数年に一度あるかないかの外出中だ。
知らせさえ届けば文字通り飛んでくるだろうけれど、今から馬を走らせても三日はかかる。
「王都のほうにあの商人が付けば話は通るだろうが、軍を出してくれるまでには時間がかかるだろう。間に合わないなら俺たちで何とかするしかない」
「そうね。戦えない人は教会に集めて。神父様が結界をはってるから、魔のものの類は近寄れないし。そもそも見ることすらできないはずよ」
「おお。前にオーク共が来たときも素通りしてたな」
私の言葉を聞いて、この場に居なくても頼りになる神父様の力を思い出して男たちにも余裕が戻る。
最悪倒せないようなら、家や畑は諦めて教会に立てこもれば命は拾える。
その保証があるだけでも十分だろう。
「ならあとは村のほうに来たら俺たちで……」
「どうしたの?」
「いや。あれライアルじゃないか?」
メイヤーに言われて視線を向ければ、地面を踏み固めただけの街道を馬に乗った騎士と馬車が駆けていた。
そこらじゃ見かけない大きな栗毛の馬を駆るのは、確かに義弟のライアルだった。
ドラゴンの話を聞いてきたにしては早すぎる。
一体どうしたのだろうか。
「ありゃ王家の紋章じゃないか?」
「え? あの後ろの馬車?」
「ああ。ライアルが一緒にいるってことは、もしかして女王陛下か?」
そんなまさかと言いたいところだけれど、神父様の存在を考えればありえない話ではない。
そう思いその場に集まっていた男衆に緊張が走ったけれど、やっぱりというか馬車が止まれば出てきたのはディートフリート様だった。
「なんだディートフリート様か」
「脅かさないでくれよ」
「不敬だな貴様ら!?」
気が抜けたように言う男たちに文句を言うディートフリート様。
確かに不敬だけれど、今までさんざんこの村に入り浸っていたせいでこの人の威厳とか地に落ちてる。
みんなもこの程度なら本気で怒らないと知っていての発言だ。
「どうしたのライアル? ディートフリート様を止めに来るならともかく連れてくるなんて」
「勝手に付いてきたんですよ。馬車だって私の家のものを使うつもりだったのに……」
「ハッハッハッ! 何。せっかくのシルヴィアに会う機会だからな」
胡乱な目を向けるライアルと、それを気にせずむしろしてやったとばかりに笑うディートフリート様。
結局何しに来たこの男共。
「北から魔物が来ているという情報がありましたので、それの迎撃です」
「ああ。ドラゴンが来てるっていう」
「それはデマですが……ある意味ドラゴンよりも厄介です」
やはりドラゴンではなかったらしい。けれどそれより厄介とは。一体何が来ているのか。
「詳しい説明は省きますが、相手は魔力を吸収する魔力食いとも言える魔物です。障壁や結界の類も食べてしまいますから、自然物理的な手段でしか対抗できません」
「何よその魔術師の天敵みたいな魔物は」
それに性質が生物としてありえない。
妖精や精霊に近い、肉体を持たないそれこそ高位の魔物なのだろうか。
「その性質上魔力を多く持つ生物を好んで食べます。なので姉さんには一刻も早くこの場を離れてもらいたいのです」
「え? 私だってたたか……」
戦うと言いかけて、相手が魔力を食べるのでは足手まといにしかならないと気付く。
そして人間より多くの魔力を持つエルフである私は、その魔物の大好物だとも。
「でもみんなを置いて逃げるなんて」
「姉さんが居なくなれば、この付近で最も魔力が高いのは私です。援軍が来るまでは私が囮になるので大丈夫です」
つまりはライアルが囮になるのに邪魔だからさっさと離れろということだろう。
道理は分かるけれど心情的には納得いかない。でもここで我儘なんて言えるはずもない。
「……大丈夫なの?」
「姉さん。私はこれでもロイヤルガードですよ? この国一番の騎士の一人です」
それを言われると何も言えない。
何より女王陛下の専属騎士であるライアルを使い潰すような作戦がとられるはずがない。
「王都にある私の屋敷へ。彼が案内します」
「ザシャと申します。ライアル様には劣りますが、剣の腕には覚えがありますのでご安心を」
そう言って頭を下げる御者の男性。
少し頼りないようにも見えるけれど誠実そうな人だ。
「フッ。道中の護衛は私に任せておけ」
そして自信満々に言い放つ誠実さの欠片もなさそうなディートフリート様。
この人ちゃんとライアルについて来ることを上に報告したのだろうか。
「さあこちらへ」
「お世話になります。ライアル。ちゃんと帰って来てね」
「ええ。もちろんです」
そう言ってライアルは、今までのどこかよそよそしい顔ではなく、懐かしい笑顔で私を安心させるように言った。
こうして私は生まれて百年以上も経ってから、初めて故郷の村を離れることになった。
正直に言えば不安もある。けれどライアルの家なら、弟の庇護下なら大丈夫だろうと自分を勇気づけた。
けれどどういうわけか、王都に付き私が連れ込まれたのは、ライアルの屋敷ではなくディートフリート様の屋敷だった。