神父様はでかけられた
私や神父様、それと居候のヴィルマの暮らす家は、教会の隣に隣接して建っている。
長い期間をかけて増改築されたそれは、既に教会と一体化していると言ってよく、外から見ると少し不格好だ。
そんな家のリビングで、お偉い坊様が土下座している。
もちろん神父様ではなく、年をくって剃髪の必要が無いくらい頭が寂しくなっている老人だ。
しかしその老人は神父様にとっては息子同然であり、私にとっても親しい友人だったりする。
「……教皇聖下がお隠れになり、大司教以上の位階にある神官は全て聖都へ召喚されております。クライン神父。此度ばかりはご参席をいただきたく、このジャンバッティスタ皺腹かき切る覚悟で……」
「切るならここでも神前でもなく森でお願いします。片付けるのも面倒なので」
「神父ー!?」
朗らかな笑顔でえげつない発言をする神父様に、ジャンが半泣きで叫ぶ。
昔から神父様はジャンに優しくない。いや、子供の頃は優しかったのだけど、ジャンが神官になってからはこの調子だ。
本人曰く愛の鞭らしいけれど、老い先短くなってもこれでは少し可哀想になってくる。
「シルヴィアのことが心配ならば、セニア様にお任せすればよろしいでしょう!?」
「この村からなるべく離したくは無いのです。そして何より中央の政治闘争が面倒です」
「神父も立場的な責任があるのですから、面倒で片付けないでください!?」
確かに。
神父様の教会内部での立場は修道枢機卿。位階で言えば最高位であり、本人が望めば教皇にだってなれるだろう。
神官の役職には「修道」と「教区」があり、修道は神聖魔術の使い手たる実務担当で、教区は信者や教会の管理を行う事務担当。
教区神官に比べれば仕事の少ない修道神官だけど、実力主義故に大司教クラスは引く手数多。枢機卿ともなれば言わずもがな。
本来ならこんな片田舎でのほほんと暮らしていていい人では無いのだ。この神父様は。
「今教会の中央は腐りきっています。横領は当たり前。孤児院とは名ばかりの奴隷商人御用達の施設がまかり通り、神官の中には孤児を慰みものにする者まで居る始末」
「平常営業ではありませんか」
「だから、これが平常になるほど何故放置したのですか!?」
そろそろジャンの血管が切れそうだ。治癒魔術の準備をしておいた方が良いかもしれない。
「貴方も強情ですね。私に教皇になれとでも?」
「そうです!」
ジャンの答えに、神父様は大きく息をついた。
仕方ないなあジャンも。
「ジャン。どうして神父様に頼らずに、自分でやろうとしないの?」
「私一人でできることなど、たかが知れています」
「枢機卿なのに?」
「枢機卿でも」
「神父様も枢機卿でしょう?」
私の言葉を聞いてジャンが言葉につまる。
しかしその顔は納得には程遠い。「神父と自分は違う」と顔に書いてある。
「神父様なら何ができるの。悪人を追い出しても、手あきの蜜を吸いに来るのは別の悪人。この馬鹿げた輪は中々断ち切れないわよ。組織改革でもするつもり?」
「はい。クライン神父ならば多少強引にでも」
「やらなかったと思いますか? 四百年も枢機卿をやっているのに」
ジャンの言葉を遮って神父様は言った。
「いくら不正を正しても、カビのように次がわいてくる。監視のための部門を立ち上げれば、十年と経たず本来の役目を忘れ暴走を始める。
自分でも笑ってしまうほど、上手くいきませんでした。私には人を使う才能が無かったのでしょう」
寂しげに言う神父様に、ジャンも何も言えなかった。
ジャン自身分かっていたのだろう。神父様なら何とかできるなんて、甘えた妄想でしかないと。
それでもすがりたくなるほど、現状を打破する未来が見えなかったのかもしれない。
「……申し訳ありません。しかしクライン神父、此度のコンクラーベには……」
「出ますよ。貴方を教皇にと推しておきます」
「……本当に申し訳ありません」
どうやらジャンも諦めがついたらしい。いろんな意味で。
少し毒の抜けた顔になると、苦笑しながらこちらへ振り向いた。
「シルヴィアも申し訳ありません。十数年ぶりだというのに、情けない姿を見せてしまった」
「お互い様でしょう。長い付き合いなんだから」
「ハハハ、言うようになりましたな。そういえば以前より大人びましたね。背ものびたのでは?」
さすが年の功。義弟と違ってよく見ている。
「ジャンが死ぬ前には、一目で成人だって思われる程度には成長したいわね」
「それは冥土への土産に丁度いい」
そう言うと、ジャンは先程までの影をはらうように笑った。
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「そういうわけで、私はしばらく教会をあけます」
ジャンが帰った後、茶器を片付けながら神父様が言った。
「もう貴女も成人に近いので、あまり心配はしていませんが、もしも困った事になったらライアルを頼りなさい」
「ライアルを?」
「今のライアルならば、物理的にも政治的にも貴女を守るにはうってつけでしょう。ディートフリート殿下を頼る手もありますが」
「お断りです」
あんな人に仮を作ったりしたらどうなることか。
代わりに結婚しろはさすがに身分的に難しいだろうけど、妾ならありえそうでやだ。
「ライエルが無理なら、ヴィルマの実家を頼ると良いでしょう。今の当主はセニアですから、貴女も面識がありますし」
セニアというのは、ヴィルマの来る四十年ほど前に修行に来た少女。
いや、もう少女ではないか。なんといってもヴィルマの祖母なのだし。
「……ヴィルマたちの実家って何をやってるんですか」
高名な魔術師の家系だとは聞いている。しかしロイヤルガードであるライエル並みの政治力があるなら、ただ魔術師として優秀なだけではない。
「教えていませんでしたか? 彼女たちは魔法ギルドの党首を代々務めている一族ですよ」
魔法ギルド。世界中の魔術師を管理する、教会に比肩する唯一の国際組織。
その本部はジレント共和国にあり、共和国の議会のほとんどは魔法ギルドの党員たちが占めている。
つまりジレント共和国と魔法ギルドは実質同じ組織であり、その魔法ギルドの党首の娘というのは他国で言えば姫君にあたる。
「……似合わない」
「本人には言わないように。気にしていますから、四百年以上代々と」
長。
神父様の件といい、進歩のない一族だなあ。
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「へー珍しいね、神父様が村から離れるなんて」
村近くの森の中。野イチゴを摘みながらリリーは本当に意外そうに言った。
実際神父様が村を離れることは滅多に無い。何せ王族すら自分から会いに来るような人だし。
例外は今回のような宗教絡みか、なんかものすっごい化け物が現れた時。
極稀に現れる巫女を除けば、女神と直接対話できる存在は加護を受けた神父様だけ。神父様が「女神が白と言っている」と言えば、黒も白になる。
そのため教義等の対立や宗教裁判があれば、規模によっては駆り出される。というかたまに呼ばれてないのに駆け出す。
百五十年ほど前には、過激派の魔女狩りを察知して、魔女を助け出すついでに魔女狩り部隊を壊滅させていた。
それは本当に女神の意思なのかと疑問に思ったけど、救出された魔女さんが普通にいい人だったので気にしないことにした。
ちなみにその魔女さんは、リリーの母方の先祖だったりする。
他にもこの村には、神父様に救われたり惹かれて集まった特殊な人間……というか家系が多い。
エルフな私が馴染めるのは、その辺りにも理由があるのかもしれない。
「教皇が死んだ後のコンクラーベは長引くから、しばらく帰ってこないでしょうね。教会の中央には狸が多いらしいし」
「もう神父様が教皇になれば良いのにね」
「……色んな理由でダメでしょう」
不老不死の神父様が教皇になったら、いつまでたっても教皇が変わらず組織が腐る。
あと多分神父様も腐る。不正をするとかじゃなくて「こんなことやってられるか!?」的な意味で。
神父様曰く、不老不死になった人間の最大の敵は、退屈とストレスらしい。
元から長命なエルフと違って、不老になった人間の精神は百年も生きられない人間のまま。
長い時を経て生きるのに飽きるか、心がすりきれるか。要するに体の前に心が死ぬらしい。
私が寿命を迎える頃には、神父様も心の寿命を迎えているかもしれない。
今の様子からはまったく想像できないけど。
「……ねえシル姉。なんだか村の方が騒がしくない?」
「え……?」
言われて耳をたてれば、確かに風にのって人の声が聞こえてきた。
しかしそれは喧騒というより怒号に近く、何か物騒な事態が引き起こされている可能性が高い。
「神父様が居ないときに……。リリー、ルッツを呼んできて。今なら狩りに出てるはずだから」
「分かった。無茶しないでねシル姉」
頷いて森の奥へ消えていくリリーを見送り、私は野イチゴの入った籠を置いて駆け出した。
この時まだ私は自分の甘さを知らなかった。
二百年以上も生きていながら、私はまだ庇護を必要としている子供だと、神父様という絶対的な守護者が居ないこの時に初めて気づかされたのだ。