百年の恋は冷めた
八十年前、私は恋をした。
七十年前、私は愛を知った。
十年前、私は失恋した。
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「その……なんだ、久しぶりだなシルヴィア」
「……」
ライアルが王都へと戻り、落ち着いたもののやはりどこか寂しさを感じていた春の日より。
いつものように村の中を歩いていたら、居ないはずの、というか立場的に居たら駄目な人に出会った。
赤い髪が印象的な王子様。何故か柵にもたれかかり、メリーさん(牛)に向かって草を差し出していた。
「……なにをしているのですか?」
「いや、そのだな。馬には慣れているのだが、牛にはあまり触れたことがなくてだ。草を与えたら食うだろうかと思いついた」
そこじゃない。そして思いついたのは分かったけれど何故実行している。
しばし無言が続いたが、不意に草を反芻していたメリーさん(牛)がげっぷをし、驚いたディートフリート様が横っ飛びで距離をとる。
うん、神父様の言っていた「馬鹿」の意味が分かってきた。
きっとこの国の王族は愛すべき馬鹿に違いない。
「あー……、その、この間はすまなかった」
「はい?」
突然の謝罪に首を傾げる。
何について謝っているのだろう。そもそも性格変わってませんか?
「口説くにしてもやり方があった。おまえを見ていたら、どうにも抑えがきかなくてな。許せ」
謝っているようでいて、そこはかとなく偉そうだった。
うん。やっぱ変わってないやこの人。
「だがおまえを愛おしく思う心は嘘ではない」
「そうですか。貴方の心は、私の心になど興味はないのですね」
どうせ外見につられたのだろうと、冷たい声で言う。
「いいや、俺はおまえの心を知りたい」
しかしディートフリート様は怯んだ様子もなく、むしろズイと身を乗り出してきた。
「あれからずっと考えていた。おまえは何を好むだろう。何を送れば喜ぶだろう。どうすれば振り向いてくれるだろうか、どうすれば笑ってくれるだろうかとずっと考えていた」
熱い語り口は、間違いなくディートフリート様の本心だった。
熱に浮かされたように、熱を吐き出すように、愛という熱で私を侵食する。
「……は、離して下さい」
いつの間にか握られていた両手は、火箸にでも挟まれたように熱かった。
ふりほどこうとしても離れない。離れることは許さないと、ディートフリート様は両の手に力を込めてくる。
「俺はおまえを知りたい。おまえの全てを受け入れて、おまえという存在全てを愛したい」
「ディートフリート様……」
熱に溶かされそうになる。
長い時を生きて凝り固まった、自分に恋などできるはずがないという諦観を覆されそうになる。
「……私はエルフです。人間との間に、愛情が成立するはずがない」
「やってみなければ分からない」
ハッキリと、力強く、ディートフリート様は言った。
ああ、その一言に救われた。
「この人は私を理解できない」と理解した。
その胸の中にくすぶる火も、私を包む温かな熱も、私を傷つけるものでしかないと思い出した。
「……離して下さい。例え貴方がその生涯をかけても、私は貴方のものになりはしない」
だから私は、冷酷にこの人を拒絶できる。
憎しみすら抱くほどに、この人を嫌うことができる。
「何故だ? シルヴィア!?」
振り払った手を取ろうと腕を伸ばすディートフリート様。
恋人に裏切られた娘のように、親に捨てられた幼子のように、私の手に縋ろうと追ってくる。
それを振り切るように私は身を引き――
「おーっと足が滑ったー(棒)」
「グホゥァッ!?」
「はい!?」
――いつかと同じように吹っ飛んでいくディートフリート様を見送った。
「まったく探しましたよディートフリート殿下。御身は既に将軍の地位にあるのです。いつまでも奔放に振る舞われては困ります」
やれやれと肩をすくめるのは、予想通りに義弟ライアルだった。
仮にも王族である相手の横っ面に、見事な跳び蹴りをかましておきながら、相変わらずの棒読みで忠言……多分忠言を述べている。
「聞いているのですか殿下」
「……聞いてないと思う」
蹴り飛ばされたディートフリート様は、メリーさん(牛)の背中にだらりと仰向けに倒れたまま身動きしない。
「モー」という鳴き声が、「もー仕方ないわね」と言っている気がした。
「仕方ないですね。姉さん。できれば色々お話したい所ではありますが、火急の案件があるため失礼します」
「え……あ、うん。またねライアル」
どうやら本気で急ぐらしく、挨拶もそこそこに立ち去っていくライアル。
「モー」と鳴きながらディートフリート様を乗せたまま後を追うメリーさん(牛)。
「……」
つっこみ所が多すぎてつっこめなかった。
とりあえずディートフリート様は生きているのか気になった。
でも生きてたら間違いなくまた来るだろうから、いっそ死なないだろうかとちょっと非道な事を考える私だった。