私は自分を知らなかった
落ち着かない。
今の私の心境はその一言に尽きる。
「……」
「……?」
背後を振り返れば、私の頭二つ分は高い背の騎士が一人。
無言で振り返った私に不思議そうな顔をするので、何でもないと首を振って前を見る。
……落ち着かない。
今私は村人の家……特に老人の家を回っている。理由は定期検診の真似事をするためだ。
都市部ならともかく、田舎には医者など居ないのが当たり前だ。そしてそういった田舎では、神官が医者の代わりを務める場合が多い。
神父様も例に漏れず、この村の人たちの健康管理を一手に引き受けているのだけど、三十年ほど前からは私も手伝いをする事が増えてきた。
ライアルが幼いときは、彼を引き連れたまま検診をしていたけれど、まさか私より大きくなった彼を連れていくことになるとは。
「姉さんの仕事ぶりを見せてくれませんか?」
ディートフリート様が居ないせいか、姉上ではなく姉さんと呼んできたライアル。
それに少し懐かしさを覚えたけれど、実際の彼は見上げるほどの大男なわけで。
何だろう、人懐っこい狼がついてきてるみたいな。
襲うわけがないと分かっていても、見た目からどうしても警戒してしまう。
まあ要するに……落ち着かない。こんな態度、ライアルに失礼だと分かってるんだけどなあ。
「それにしても、姉さん少し縮みましたか?」
人が罪悪感に苛まれているというのに、義弟はある意味お約束な喧嘩を売ってくれました。
「伸びてます! 指の間接一つ分くらい伸びてます! むしろ貴方が伸びすぎなの!」
「十年かかって間接一つ分ですか。凄いペースですね」
おのれ。調子に乗るなよ人間。
「待ってなさい、五十年後くらいには貴方の背を追い抜いぬくから」
「その頃には私の腰が曲がってますよ」
いきり立つ私に、両手を降参するように上げて苦笑するライアル。その仕種の一つ一つが妙に洗練されていて、本当にこの青年はあの少年なのかと不思議になってくる。
というか外見も、妙に垢抜けているというか、なんかキラキラしてる。
ロイヤルガードなんて名誉な職に就いているのだし、その手の努力もしているのだろうか。
ちなみに丁寧な話し方は元からだったりする。
神父様を見て育ったのだから、当然といえば当然なのだけど、これがまた騎士然とした今の外見に凄くハマってる。
「ああ、でも五十年経って大人になった姉さんは是非見てみたいですね」
「私も。五十年経って素敵なお爺さんになったライアルを見てみたいわ」
私がそう返すと、ライアルは「素敵な老後のために努力します」と微笑みながら言った。
・
・
・
『――女神よ。憐れんでください。私たちの嘆きと悲しみを聞いてください』
ゆっくりと、謡うように、私は祈りの言葉を紡ぎ出す。
治癒魔術を初めとした神聖魔術は、神への祈り、信仰心を源にして奇跡を起こす。
神聖魔術に限らず、魔術というものは神や精霊、悪魔といった超常の存在の力を借りなければ成り立たない。
そしてエルフは人間より霊的な存在であるため、そういった超常的な存在とのリンクを開きやすいのだとか。
『――その御手で傷を包んで下さい。打ちのめされた彼らを癒して下さい』
祈りが終わり、白いふわふわとした光がかざした私の手から解き放たれる。
「お……おやおや、本当に治っちまったよ」
何度か足を動かして痛みが無いのを確認すると、老婆……リリーの曾祖母であるゲルダは、きちんと揃った歯を見せながら快活に笑ってみせた。
「何を今更。私の治癒魔術なんて、いくらでも見る機会はあったでしょう」
「自分にやってもらうのは初めてだからねぇ。まったく、屋根から落ちたくらいで足を折るなんて、私も歳かねぇ」
そう言ってカカと笑うゲルダは、しわだらけなのに何だか若く見える。
もう九十歳を越えているのだけど、この様子だと百以上まで余裕で生きてそうだ。
「もう若くないんだから、力仕事は孫にでも任せなさい」
「あの子はどうにも鈍くさいからねぇ。私の方がまだ動けるさ」
駄目だこりゃ。
ゲルダとは子供の頃からかれこれ九十年の付き合いだけど、女なのに男前というか頼りになりすぎる。
村の長老会議でも、最年長(私と神父様除く)のフーゴ爺を差し置いて仕切ってるし、その細い体のどこにエネルギーが余ってるんだろう。
「やっぱり姉さんの治癒は凄いですね。骨折を一瞬で治すなんて、王都の神官の中でも中々居ませんよ」
「エルフだもの」
正直な話、私はそれほど敬虔な信徒ではない。そんな私の治癒魔術が何故優秀かと聞かれれば、本当にエルフだからだとしか言えないのだ。
生まれついての力を褒められても、あまり嬉しくない。
私がそんな事を内心で考えていると、何故かライアルは私の顔を眺めて微笑んでいた。
「照れ隠しに耳を動かす癖は直ってないんですね」
「……はい?」
「ああ、言うんじゃないよライアル! 自覚してやらなくなっちまったらどうすんだい!」
何を言われたか分からず首を傾げる私。しかし続いて放たれたゲルダの言葉に、まさかと思い耳に手を伸ばす。
……別に動いてない。今は動いてないけれどもしかして。
「気にしなくても、可愛いですよ姉さん」
突然笑顔でそんな事を言うライアル。思わず視線を反らす私。
そして気づいてしまった、手の中の無駄に長い耳が、ピコピコと上下に揺れているのを。
「……ッ!? いつの間に!? いつからこんな癖がついてたの私!?」
「少なくとも私が物心ついたときには動いてましたよ」
「私もだね」
九十年前から!?
「怒ったときは上がりますし、落ち込んでるときは下がりますから、癖というよりは本能的なものではありませんか?」
「それなら意識しても直せないね。良かったよ」
「何が!?」
何やら通じ合ってる義弟と婆さんに向かって叫ぶ。
後から聞いた話には、私の耳が感情に合わせて動くのは村人全員が知っていて、微笑ましく見守っていたとか何とか。
この村は耳フェチしか居ないのか!?