この暮らしがずっと続くと思っていた
私には弟がいた。
私を育ててくれた神父様が、どこからか連れてきた血の繋がらない弟。
村の託児所と化していた教会に赤ん坊は珍しくも無かった。しかし夜になっても親の迎えが来ないその子は、私にとって初めて全面的に面倒を見てあげなければならない子で、いろいろと手を焼かされた。
顔に似合わず子供の扱いの得意な神父様が、手馴れた様子で差し出してきた赤ん坊。私はその白い包みに包まれた赤ん坊を、おっかなびっくり受け取った。
両手で抱いた赤ん坊は、小さくてもろそうで温かかった。
赤ん坊は小さな目で私を見上げると、垂れていた私の銀色の髪を一房握り締めて、天使のように笑った。 そのしぐさに、胸が温かくなったのを今でも覚えている。
この子の立派な姉になろうと、それまで以上に神父様の教えを真剣に学ぼうと決意したのを覚えている。
弟の名はライアル。
冒険者として名を上げ、国の騎士として取り立てられた自慢の弟。
どんなに変わっても、私を姉と慕う可愛い弟。
そんな弟が、逆らってはいけない人に現在進行形で逆らっている。
「……」
「……」
片や国の誉れ。最高位の騎士ロイヤルガード。
片や国王の子。最強の騎士団の長蒼槍将軍。
国のため、手を取り合うべき二人の騎士が、今にも抜刀せん勢いでにらみ合っている。
主に私のせいで。
「そこを退けライアル。俺が会いに来たのは貴様ではなくシルヴィアだ」
「お断りします」
助けてください神父様。このままでは私のせいで弟が無職に。
「……ロイヤルガードでありながら、俺の命に逆らうか」
「国に忠は尽くします。ですが国が姉を害するというのなら、私は国と戦います」
ヘルプミー神父様。このままでは弟が反逆者に。
ついに剣を抜き、人外の私から見ても人外な戦いを始める二人。
これはもう本気で国を出るしかないかもしれない。そんな絶望感に包まれながら、私はどうしてこうなったのかと頭を抱えた。
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春です。
小鳥は囀り牛は草を反芻しつつモーと鳴き、私は昼寝に勤しむのどかな春です。
ここブルグ村は、環境に恵まれすぎているためか、この時期はのんびりとできる時間が多い。
雪解け水による川の増水には注意が必要だけど、危なっかしい子供たちは今年で成人を迎えてしまい、そこまで心配する必要も無い。
あまり大きくない村だから、子供の数も当然少なく、一番年下の子も今年で十五になる。
見た目だけならみんな私と同い年。いや、一部の発育の良い子などは私よりも年上に見える。
もっとも、私より年上の人間なんて、この村には一人しか居ないのだけど。
「あ、シル姉」
「その呼び方はやめなさい」
不意に妙な呼び方をされ、私は足を振り子のように揺らして立ち上がる。
振り返れば、そこには栗色の髪を三つ編みにした少女が一人。私の動きを見て「わー」と感嘆の声をあげながら手を叩いている。
「リリー。シル姉はやめなさい」
「何で? シル姉はシル姉でしょう?」
私より少しだけ背の高い少女の主張にため息が漏れる。
そんな私を見てリリーは朗らかに笑って見せた。
「シル姉また耳が下がってる。触って良い?」
「やめなさい」
私の長い耳めがけて伸びてきた手をペシンと叩き落とす。
まったくどうしてこの村の人たちは、私の耳を触りたがるのか。
長いだけで、感触が違うわけじゃないのに。
私はエルフだ。人間の数倍の寿命を持ち、精霊と高い親和性を持つ、人に近しく異なる存在。
我ながら珍しいにも程がある存在なのだけど、この村の人たちは生まれた頃から私に世話をされているので、完全に慣れてしまっている。
しかし納得がいかないのは、皆二十歳を過ぎた辺りから私を子供扱いし始める事だ。
数年前まで「お姉ちゃんお姉ちゃん」とじゃれついてきていた子が、いつの間にか「シルヴィア」と私の名を呼び捨てにする。
いや、仕方ないのは分かってる。
何せ私は人間の数倍の寿命を持つエルフだ。成長も遅く、竹ノ子のようにすくすく育つ村の子供たちに、あっという間に追い抜かされてしまう。
今は私を姉と慕っているリリーも、結婚して子供が生まれる頃には私を妹のように扱いだすだろう。
そして猫可愛がりして悦に入るのだ。今までの経験から言って間違いない。
「それで、何か用なのリリー?」
「うん。神父様がね、今お客さんが来てるから教会には近づかないようにって」
「……そう」
神父様の下に客人が来るのは珍しくないけれど、こうして人払いをする事は滅多にない。
こういったときは、私の存在をあまり見せたくない相手。国のお偉いさんか教会のお偉いさんかのどちらかだろう。
エルフが珍しいというのもあるけど、厄介なのは冗談抜きで国を傾けかねない私の容姿らしい。
実際五十年ほど前にうっかりどこぞの伯爵様に姿を見られたときは「息子の嫁に」としつこく迫られた。
私が成人する頃には息子さん死んでますと言ったら、「では曾孫の」と即座に切り替えたのは流石だと思う。
その頃にはアンタも死んでるだろという言葉も華麗にスルーだ。
しつこく食い下がった伯爵様は、最後は神父様に馬車に蹴り込まれて帰られた。
伯爵を蹴り倒して何の罰も受けない神父様は素敵に無敵すぎると思う。
「分かった。私は森の見回りにでも行ってくる」
「うん。」
笑顔で見送るリリーを背に、私は村を囲う森へと向かう。
そしてその判断をとても後悔するのだけど、神父様に言わせればこれも運命だったのかもしれない。
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エルフは森の守護者であり、森と共に生きそして死ぬ。それが当たり前であり、私もそうあるように努めている。
私を育ててくれた神父様は、私を育てるにあたり、どうすればエルフとして育てられるか大いに悩んだらしい。
何せエルフは千年以上も前に姿を消し、人間びっくり箱な神父様も流石にエルフの知り合いは居ない。
しかし何かの拍子に仲間の下へ戻れたとき、人間として育てたのでは価値観の相違から疎外されてしまうかもしれない。
そう考えた神父様は、私を村に受け入れられるよう育てつつ、少ない資料からエルフのあり方と生き方を私に教えてくれた。
その過程で、狩りや動植物の知識を当たり前のように教育できる神父様はパーフェクトすぎると思う。
「よし。今日も異常は無し」
一通り森の見回りを済ませ、最近お気に入りな切り株に腰かける。
実際のところ、この森には悪しきものは入れないよう結界をはっているので、見回りをする意味はあまりない。
では何故そんな面倒なことをするかといえば、単に私のエルフとしてのアイデンティティ確立のためだ。
それに腐ってもエルフ。森に長期間入らないと落ち着かない。
そうして日課を終わらせそろそろ帰ろうかと思った所に、それは現れた。
「……ほう」
「!?」
背後から聞こえてきた声。それに私は護身用の短剣に手をかけながら振り返る。
「……」
赤い。それが最初の印象だった。
振り返ったそこに居たのは、樫の木にもたれるように佇む長身の男。
見覚えのない顔。しかし見覚えのある色を確認し、私はすぐに短剣から手を離し頭を垂れた。
「……無礼をお許しください。高貴なお方」
「む? 俺を知っているのか?」
「いいえ。ですが貴方の血に連なる方々を、私は幾人も知っています」
私の言葉を聞き、ニヤリと笑う男。
炎のような赤い髪と、興味深そうにこちらを見つめる紫紺の瞳。
それはこの国の王家の血筋の者のみが持つ王族の証しだった。