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レモンの砂糖づけ  作者: 麦子
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9.あまいしんぞう

「好きになっちゃった?」



まるでラムネの炭酸が喉の奥でパチパチはじけるみたいな感覚。

カラフルなベンチに座る彼が好戦的な瞳で笑いかける。ポケットからいくつかビー玉がこぼれ落ちた。ちがう、溢れだしたんだ。瞬発的にそう思った。「正解です」と隣の彼がくすくすと笑ってわたしの項に唇を寄せる。びっくりして振り返ると数センチで唇同士がくっついてしまう距離に彼の顔があった。



「目が合ったら、もう手遅れってワケ。…意味、わかるよね?」



まったく意味が分かりません、坂田くん!!

挙手して叫んだのはどうやら夢の中のわたしだったようで。現実のわたしは只今飲み会へ向かう電車の中でうたた寝しそうになっていた。ふと、手に触れたポケットの膨らみにギクリとする。まさか、ラムネのビー玉なの!?



「…栗饅頭…」



潰れてかたちのくずれた栗饅頭が入っていた…何故に?勿体ないのでその場でいただくことにする。やさしい甘さにとろけそうになっていたら携帯電話が鳴った。電車はマナーモードが基本なのに!

タイミングよく止まった電車のドアから転びそうになりながら降りる。『もしもーし』さっき見た夢と同じ声が耳元でクリアに響くものだから、急いで飲み込もうとしていた栗饅頭が喉に詰まった。



『春ちゃーん?おーい?あれっ、電波わりーのか?』

「は、はい!春野です!」

『お、どーもォ。春ちゃん今どのあたり?』

「今?えーと、駅を降りて……あ。」

『どした?』

「…降りる駅…間違えた」



振り向いたときにはもう遅かった。ゆっくりと動き出してしまった電車の窓から、知らない子どもが無邪気な笑顔を見せてわたしに手を振っている。

坂田くんに呆れられてしまう!そう覚悟していたのに、返ってきた言葉はとてもやさしいものだった。



『まじでか。…んー、俺今から迎え行こうか?』

「へぇっ!?う、ううん大丈夫!ひとつ早めに降りちゃっただけだし、歩いていけるよ!」

『そー?じゃあさー、春ちゃんがこっち着くまで電話しててもいいー?』

「ほんとに?なんか心強いかも」

『だって、春ちゃん居ないとつまんねーんだもん』



電話の向こう側。居酒屋さん独特の楽しい騒がしさと、かすかに聞こえてくる聴いたことのない不思議な音楽。それらに負けないくらい直接聞こえる坂田くんの声のせいで耳がこそばゆくなる。なんだかまるで心臓が浮遊しているみたい。ふわふわした気分のまま歩き始める。

坂田くんの声がいつもよりとろんとしていて、男の子にこんなこと思ったら失礼なのかもしれないけれど、かわいいなあと笑ってしまった。



「坂田くん、飲んでるの?」

『んー?ちょっとだけ。今から焼き鳥食べんのー』

「そうなんだ、いいなー」

『春ちゃんの声、電話だと少し高めじゃねー?』

「そうかな?」

『うん、なんかかわいい〜〜』

「…!…え!?」



頭のてっぺんから、甘いシロップをぶっかけられたみたい。耳元から届くはちみつボイスは、さっきの電車のこどもよりも無邪気に笑っている。…不意打ちは、やめてほしいのに。



『へへ〜春ちゃん照れてる〜?』

「坂田くん、酔ってる?」

『酔ってない酔ってな〜い!さっきからずっと飲んでるけど酔ってねーよォ?』

「(酔ってる…)」

『坂田のやつ意外に酒弱いんすよ』

「あれ?慧くん?」



不意打ちの連続、心臓がシロップのせいで溶けてきそうだったのを食い止めたのは、甘い毒を含んだ王子様の声だった。

目を丸くするわたしに容赦なく、いじめっ子発言をしてくるのは相変わらずだ。なんだか慧くんとは話した分だけ第一印象とかけ離れていっている気がする。



『よぉ。駅、間違えたんだって?どんだけドジっ子発揮すれば気が済むのかなー?』

「ちょ、ちょっとうっかりしてただけだもん」

『はいはい。のろまはのろまなりに早く歩いて来てくださーい』

「(い、いじめっ子リターンズ…!)」

『早く来ないと坂田が他の女にテイクアウトされちまうぜ?』

「へ?テイク…?」

『あ、ごっめーん。テイクアウトされんのはもしかしたら春ちゃんのほうかも、』

『ちょっ、おまっ、なーに余計なこと言ってんだよ!ばーかっ!野上のばーーかっ!』

『…まあ、坂田がすでにこんな感じなんでお早めに。』

「うんうん、頑張って歩くね?」

『えー?春ちゃんなんで笑ってんのー?』

「ん?なんでもないよ」



いつもと雰囲気が違う坂田くんの声、ずっと聞いていたい。締まりのない顔で、さっきからずっと笑っていることに気が付いた。

声だけでこんな状態なのに、目を合わせて話したらどうなってしまうんだろう。



「あっ、看板見えてきたよ」

『んー?着いた?』

「うん!…坂田くんたちもしかして窓際の座敷に座ってたりする?」

『そうそう。すっげーなんでわかんの?春ちゃん天才?』

「あはは、だってここから見えるだ…もん…」

『春ちゃん?』



窓越しに見えたキャラメル色がゆっくりと顔を上げて携帯を手に持ったまま突っ立っているわたしのほうを見た。『春ちゃん、見っけ〜』へらっと笑いながら手を振ってくれているのに、なぜか動けない。…目が離せなくなる。心臓がトロリと溶けだした。夢の中の彼の声が、視線が、もうずっと絡まって解けなくなっているの。どうして?



“目が合ったら、もう手遅れってワケ。”



それは、吸い込まれたらおしまいということ?夢と現実は、こんなにも違う。逸らしたいとも思うのに、その気持ちよりずっと強い想いがある。



“…意味、わかるよね?”



反芻される、夢の中の坂田くんの声がわたしを突き動かした。…ぱちんとラムネの炭酸が弾けた。ビー玉が転がる、足が動く、甘い心臓が合図をくれた。



“好きになっちゃった?”



そう、つまりはそういうことなのだ。

甘い心臓にフォークがぶすりと刺さったような気がした。




気付いたときにはすでに“手遅れ”なのよって、誰かが言っていた。

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