3.たべられたい
今日のお昼ごはんメニュー…牛乳、あんぱん。
「…あんたはどこぞの張り込み中の刑事か」
訂正。今日のお昼ごはんメニュー…牛乳、たまごサンド。大好物のあんぱんは、ツッコミ上手なともだちの手でパンコーナーの棚に戻されました。
「春野さん?」
今日はあいにくの大雨でまだまだ梅雨明けの足音は聞こえてきそうにない。…お昼時の食堂でひときわ目立つ集団、その中にいたキャラメル色の髪の男の子と目が合った。坂田くんだ。赤色のボンボンで結んだ前髪をぴょこんと揺らして手を振ってくれる。慌ててぺこりと頭を下げたら、膝小僧に貼ってあった絆創膏が見えて少し恥ずかしくなった。
「春野さんも食堂で食べんの?」
「ううん。購買で買ってきたの」
「へー……って、昼飯それだけ?」
「うん」
「そんだけで足りるの?少食だなー」
実はさっき、ケーキバイキングに行ってきたからお腹いっぱいなんです…なんて、言えなくてとりあえず笑って誤魔化しておく。
「あ、もしかしてケーキ食ってきた?」
「え!!バレた!!」
「やっぱりー。春野さんから甘いにおいすんだもん」
「どんだけ嗅覚するどいんだよ、犬かお前は」
ケーキの甘いにおいを見事言い当てた坂田くんの周りにゾロゾロと男の子たちが集まってきた。ハッとなって周りを見渡すと、甘くてあつーい女の子たちの視線がこちらに集中している。その視線を軽々と背中で跳ね返していく坂田くんたちに圧倒されるばかり。一歩二歩、距離を置いて坂田くんたちの会話を拾う。…あんなキラキラ空間に土足で入り込むわけにはいきませんから!
「黙れ早乙女。俺と春野さんのトークに割り込んでくんな」
「おーおー。餅を焼いちゃってる感じですか?意外と坂田はウブだねぇ」
「野上、お前も黙れ。そして春野さんに近づくな」
「まぁまぁ、立ち話もアレですから座って仲良く密着して話をしましょうか」
「佐々木いいい!おめーはどさくさに紛れてなにやってんだ!春野さんの隣に座るのは俺だ!誰にも譲らねえ!」
その何とも言えない微笑ましい雰囲気に思わずクスリと笑ってしまった。「ほら!笑われたじゃん!」坂田くんが動くたびにちょんまげされた前髪もぴょんぴょん跳ねる。
「あ、日替わり食べてるんだ?」
「そうそう。今日はハンバーグだった!」
「おいしそうだねえ」
「…一口食べる?」
「えっ」
よみがえるチーズバーガーの歯形。お箸で器用につままれたハンバーグのひとかけらに慌てて首を横に振った。そんなに物欲しそうな顔してたのだろうか!確かに色気より食い気を選ぶ女のかけらもないわたしですけれども!
小さく、「お腹いっぱいです」と断るのが精一杯だった。
「あれ、春野さん」
ハンバーグをぺろりと平らげた坂田くんが急にわたしをじっと見つめてくるから、慌てて口元を両手で押さえた。ケーキの食べかす、ついていませんように!
「足、どしたの?」
「あし?」
「こらっ!坂田、はしたないですよ!女子の生足を舐め回すように見るんじゃありません!」
「お前にだけは言われたくねーよ!このむっつりが!」
「ああ、だから佐々木は髪切ってもすぐ伸びるんだ?納得ー」
「何言ってるんですか。俺より坂田の方が、前髪伸びるスピード早いですよ?」
「じゃあ、むっつりなのは坂田ってことで」
「賛成」
「なんでだよ!反対!断固反対!」
坂田くんが何を言おうとしているのかなんとなく分かって、咄嗟に両手で膝を隠した。こんなよれよれのかっこ悪い絆創膏なんて誰も気にもとめないと思っていたのに。坂田くんはきっと他人の些細な変化にも気付くことができるひとなんだろう。
坂田くんたちの話題はいつの間にか目玉焼きには何をかけるのかというグルメな議題に切り替わっていた。少しまざりたいと思う、お腹はいつでも八分目を目指しているわたし。ちなみにわたしはしょうゆ派です。
「んで春野さん、結局のところどうなの?」
てっきり忘れられていたと思っていたのにいきなり耳元で尋ねられて一瞬足が宙に浮いた。「気になる」とそのきれいな茶色の瞳が訴えてくるから、緊張しながらも坂田くんの耳元に顔を近付ける。
「た、たいしたことじゃ…ないんだけど…」
「うんうん」
「朝ね、ぶつかったの」
「え、なにと!?」
「しょ、小学生と…」
「へ?」
「わたしも携帯でメール打ちながら歩いてたのが悪かったんだけどね」
「それで転んだんだ?」
「お、お恥ずかしい限りです」
「怪我したの膝だけ?」
「あとは手のひらの皮がめくれたくらい」
「見せて」
「…!」
「うへー…痛そ…平気?」
「へ、平気」
単純に心配してわたしの手を触ってきただけの坂田くんの行動に、食堂が一気にざわめきたつ。主に、先ほどから視線をぎらつかせていた女の子たちが中心。坂田くん人気がこんなところで発揮されるとは!天気予報と同じくらいにコロコロ変わる複雑な乙女たちの思考なんてつゆ知らず、坂田くんはわたしの青紫になっている手のひらをそっと撫でた。
「痛いの痛いの飛んでけー、なんてな!」
「あ、ありがとう…治った気がする」
「まじか。すげえな俺」
トゲトゲな視線をすべてやわらかいはなびらに変えてしまうような坂田くんのやさしい笑顔を知ったどしゃ降りのお昼時。
別れる間際に、「ちゃんと前見て歩かないとだめだよー」とお母さんみたいなことを言ってくれた坂田くんの忠告もむなしく、食堂の出口が雨でつるつるになっていたことに気付くのは尻餅をついたその後。