村でもなく街でもなく
やって来た、いきなり。
着きましたよ。
そう言って響く声に、市生は微睡みの中から浮き上がった。
舗装された道を歩いていたわけでもないのに、やけに揺れが少ない腕の中は揺り篭のようで、眠らないのがむしろ変に思えた。
だから私は悪くない。
移動を他人に任せといて自分は寝こけていても全く悪くない。
抱えられている人物越しに背後を見れば、やたらと仰々しい石で出来ていると思われる門。
関所のように、中世ヨーロッパ色ぷんっぷんの兵士が通行人に目を光らせ、時には呼び止めている。
どうやら、自分とこの変態は一応通過できたようで。
どうせ、旅の兄妹とか色々言い訳はあったんだろう。ぬけぬけと、ありもしない旅のこととか苦笑込みで説明するシェヴァの様子が脳裏にありありと浮かぶ。
『じゃ、降ろして』
『このまま行っても構いませんよ?』
『この世界で、黒髪黒目ってどうなの』
『少なくはありますが、いないわけではないです。珍しいには珍しいでしょうね』
『目立つ?』
『それなりには』
周囲の人を避け、建物の脇に移動して降ろされながら質問を重ねる。
どうやら、人の数からしてそこらの村に来たわけではなさそうだ。少なくとも街、それ以上の規模がある。
歩いている人の身なりはそこそこいいし、旅装まがいのものを着ているものも多い。
おまけに、移動用なのか・・・見た目がでかいトカゲのようなものに乗っている人間もいる。
馬車もあった。
『どこ、ここ』
『リトリシェル皇国皇都です』
『何でそんな大層なところにいるの』
『ここが一番近くて、都合が良かったですから』
『都合・・・?』
一番近かったというなら話はわかるが、都合がいいとはどういう事だ。
首を傾げると、視線をふっ、と遮られた。
目の前に、シェヴァの大きな掌が来てまたすぐにどかされた。
『見てください』
そして、促されるようにして周囲を見回すとそこには・・・。
『何、これ・・・気持ち悪い』
『魔力光です。この時期にここを訪れている者の多くは、皆少なからず魔力を持っているのですよ』
目の前に広がるのは道行く一人ひとりを取り巻く靄のようなもの。それぞれが違った色味で、それらが際限なく混ざり合って視界に入ってくるものだからどうにも気持ちが悪い。
彩度の強すぎるものを見て目が疲れるのと一緒で、当然の反応だ。
口元を押さえていると、再び視界を掌がよぎって、溢れ返る色たちは見えなくなった。
背後に立つシェヴァの胸に寄りかかりながら、少し息を吐いた。まだ、溺れた時の体力が戻っていない。地面に足をつけていた時間は皆無とも言っていいのに、一人で立つことすら儘ならない。
疲れた。
呟くと、背後から腹のあたりに腕が回されて固定される。もたれたまま安定した姿勢を得て、今度は別の意味で息を吐いた。
『何か、募集があるのか』
『皇都にある“学院”の試験日が近いんですよ』
『受けろ、と?』
『学院を卒業すると、魔術師あるいは召喚士としての証明証が与えられ。それがあればどの国でも自由に出入り可能です』
『そういうこと』
『はい』
シェヴァはつくづく有能だ。
影を伝って得たという情報を最大限に生かし、市生に応えてみせる。
全てをもって尽くすというのは、虚言ではなかったらしい。
どうやら、その学院というものの試験は身分に関係なく受けられるらしい。奨学金、ついでに在学中に就労すると自前で学費を払っていける程度の金額らしいが。
『私はどうするの』
『俺と主は、一括で納めますよ。就労の手段は小遣い稼ぎにでもすれば便利ですから』
『その金はどこから』
『悪徳商人から失敬しました』
それは窃盗というのではないだろうか。
まあ、捕まらないんだろうな。どうせ、影の支配とやらで取ってきたのだろうし。それなら証拠も残らないだろう。
『そもそも、魔力はあるの?』
シェヴァが当然のように言っているが、魔法のまの字も関わったことのない人間にそう易々と、魔力やらなにやらがあるものだろうか。
『俺は力の塊、そして我が君は元々俺と同じ場所に溶け込もうとしていたでしょう?大丈夫ですよ』
それよりも、疲れてらっしゃるなら宿に行きましょうか。
そう言ったと思ったら、市生が頷く前にごく自然に抱き上げられた。そのまま、重さなど感じていないかのような足取りでどこかへ向かうらしい。
忌々しいことに、シェヴァと市生の身長差はかなりある。それこそ、市生の頭頂部が彼の胸にある程度であるから・・・最低でも五十センチはあるかもしれない。
市生の体型は日本人の極々一般的なもの。スタイルは整っているが、見た目西洋人のシェヴァとでは造りが違う。
シェヴァは長身痩躯、顔は厭に造りがよろしく、先程からちらちらと女性の視線を浴びている。
彼自身の視線は主に市生に向けられているが、時たま周囲に視線を散らしてはいるようだが。
是非とも、前を見て歩いてほしいものだ。
ともかくも、シェヴァの右腕に腰掛けているといつもよりも視線が高い。
間違っても落とすことはないだろうから、常には無い視界の広さを味わえるというものだ。
人の多い混雑した道を、するすると掻い潜りながら進む足取りは無駄がない。
視界ががころころと変わるのもまた面白かった。
この辺りは、市場のようにはなっていないが、しっかりとした建物はどれも何かの商品を扱っているようだ。
看板や、垂れ布の文字、それらが読めることに少し驚きながら周囲を見回す。
『どこかに寄りますか?』
『ううん、いい。まずは飯が食べたい』
『そうですか。では、食べ終わったら物を買い揃えましょう』
『いや、今日は疲れた』
実のところ、先程立っていただけで体力の大半を使い果たしたようだった。今の姿勢も、周囲を見回すために背筋を伸ばすことすら辛い。
だが、それでも物珍しい物を見たい自分に負けたのだ。
姿勢を安定させるため、シェヴァの肩に突いている腕も疲労から少し震えているし、結構なものだろう。
『わかりました。急ぎましょう』
その震えに気づいたのか、市生を抱える男の歩みはより一層早さを増した。
やわらかく降ろされたのは、宿の寝台の上だった。
その振動で目が覚める。
どうやら、また移動中に寝てしまっていたらしい。
『食事を持ってきましょう、寝ていてください』
『シェヴァ』
『はい?』
『あたしの体、疲れやすすぎる』
何故だろうか、溺れて目覚めてから、自分の体力に異常を感じる。
少し立っていただけで眠り込んでしまうほどの疲労が溜まるほど、柔な体ではなかったはずだ。それこそ、自
分で家事と学業を切り盛りする程度のものはあった。
シェヴァは、部屋から出ていこうとしていたのを止め、一旦市生の側へ戻ってきた。ベッドに横たわる体を抱き起こして、くたりとした背の下に上掛けを丸めて押しこむ。
『・・・そうですね』
『理由わかる?』
『俺と同化したせいかと。馴染む前に切り離されたせいで、不安定な部分が体力にでたんです。魔力は無尽蔵ですから、ある程度の強化は出来るでしょうが』
『それをしてどれくらいになれる』
体を起こしても、力なく丸めた上掛けにもたれるしかない。そんな移動すら怪しい体力は御免だ。
シェヴァの答えは残酷だった。
『せいぜいが、一般人にギリギリ届く程度でしょうね。問題ありませんよ、俺がいますから』
問題ありだ、大有りだ。大丈夫だなどとどの口がほざく、この阿呆め。
にこやかに微笑みながら、するりと頬を撫でる手が鬱陶しい。
叩き落としたいが、それをする体力すらない。目の前の変態はそれを承知でやっているに違いないのだ。
どうせ、こちらが貧相な体力をしているのもこいつにとっては都合のいい事ばかりなのだろう。
その証拠に、だ。
『俺の手が貴女の手であり、俺の脚は貴女の脚です。どこまでだってお運びしますし、何だって持って差し上げます』
体について説明するこいつの顔はきらっきら輝いている。
それはもう、白内障の患者にとっては致死レベルに。
『強化って、明日までに出来るもの?』
『ああ、それなら大丈夫ですよ。後で教えます』
すぐに出来るようになりますよ。
後でではなく、今教えろ。直ぐ様!
立ち上がって、こんどこそ食事を取りに行く背中を睨みつけながら。
しばらく何を言ってきても無視してやろう、とそう決めた市生だった。
今日はこれで終わりかもしれない。