朝が来れば目覚めもあるさ
やっほう四つめ。
引き続き変態。ずーっと変態。
なあなあにしてしまっていた事実を、今自覚した。
正確には、あまりに体が弱っていて考える気力もなかったのだが。
私はいま、裸なのだ。
『おはようございます、主』
『・・・おはよう』
そして目の前の男も素っ裸だ。
寝る前まではそのはずだった。そうだ、間違いないはず。
なのに何故だ。
何故お前だけ服を着ている。
『一応、布をかけておきましたよ?』
『布は布、服じゃない』
そして、対する私は何故か外套?のような物を体の上にかけられているだけで、依然として裸のまま男の腕の中にいる。
『私も服、着るから』
『はい、こちらに』
何の事もないように取り出された服を凝視する。
組成の甘い布、鮮やかさのない染色。これはまるで・・・。
そう、あれだ。ファンタジー世界へのトリップのようではないか。
あのような変てこな場所に入れられて、無事に元の場所に戻れるとは思っていなかったが、これはまた面倒なことになった。
あのまま、そこに居られたならこのような憂慮もいらなかったのだろうに。
『そういえば、仔細』
『ああ、はい』
どうして溺死寸前まで言ったのか、目の前の男が何故ここに居るのか。
『あ、まだ体が重いでしょう。着せて差し上げますよ』
『・・・仕方ない』
取り敢えずは、服を着てからだ。
それにしたって、自分の体は思うように動かなかったけれども。
羞恥心を抑えこみ、半ば自分に羞恥心を感じる素養があったのかと驚きつつも男の説明を聞いた。
あの瞬間にあったこと、男の身に何が起こったのか。
そこまでは良かった。しかし、それ以降の、男がそれに対してどう感じているのかの件から何かがおかしくなり始めた。
『何だその、闇やらを支配下とか、権限をあたしにとか』
『俺の全ては、我が君のものですから』
『要らない』
当然のように言ってみせる男の言葉を、三文字で切り捨てた。
権限とか、全てとか心底いらない。熨斗を付けて返したい。アワビを探さなければ・・・。
ああ、混乱した。
こいつに会ってから、良くも悪くも私は混乱してばかりだ。
『ですが、貴女は好きにしろと言いましたから』
・・・言質を取られていた。
しかもそれは、全く違う意味合いで言ったはずだ。死ぬなら死ぬで好きにしろ、という意味で全てを好きにしろと容認したつもりは全く無い。
しかしまあ、あれだ。
状況によってはそれも致し方ないことだろう。
『ここ、どこ』
『異界です』
『文化の程度は』
『貴女の居た世界よりは劣りますね、確実に』
『治安』
『国によって違います』
『何か、特徴』
『召喚士と、魔術師がいるようです』
『詳しいね、あんた』
『影を伝えば、情報を手に入れるのは容易いことですから』
市生の問に、淀みなく男は答えていく。それはどうやら、先程言った彼の特性に端を発するものらしく、服もその方法で失敬してきたそうだ。
『最後に、あんたの名前は』
そういえばまだ訊いていなかったのだ。十分会話は成り立っていたから必要無く思えていたが、まあ自分にだってあるし、あったほうが何かと便利だろう。
『名前・・・名前・・・』
何だったか・・・。
『何、忘れたの』
『結構永い間、あそこに居ましたからね。それに、混ざり合ってからは別のモノに近いですし』
『じゃあ、適当に決めなよ』
不便だからさ。
市生は決めろと言いながらも、男の様子を思い浮かべて思い当たる名前があった。とても似合うような気もするし、逆に合わないかもしれない名。
『・・・シェヴァ』
『何です?』
『名前、シェヴァにすればいい』
気づいたら言ってしまっていた。
口に出した途端、男に吸いつくようにその名は馴染んだ。だから、構わないだろう。
決めろと言って、自分で決められないのが名前かもしれない。それは、他者のためにあるものだから。
独りなら、要らないものだから。
『シェヴァ、ですか』
『破壊と創造、どっちつかずな神の名だよ』
世界史でヒンドゥー教の話しを延々聞かす、雑学好きの担当教員がいた。あの無駄話は生徒側からは結構人気があったはずだ。
『シェヴァ』
『――はい』
『取り敢えず、人のいる所に行きたい』
早速つけた名前を呼ぶと、いくらか馴染んだらしい男――シェヴァが応える。
どこかの村、街でもいい。とにかく人の作る飯が食べたい。
野宿を続けるわけにもいくまい。
『わかりました』
シェヴァも了承すると、私を抱いたまま立ち上がった。
そして無造作にその場を立ち去る。
市生はシェヴァごしにその背後を見て、驚いた。
恐らくは、火を焚いていたのだろう場所。そこが、黒く波打つものに飲み込まれたのだ。跡には何も残らない、その淀んだ色に覚えがあった。
無言で自分を抱いて歩く男の顔を見る。
『言いましたよ、俺は』
全ての影、闇、夜。黒と藍に属するものは俺の支配下です。
――そして貴女の。
こちらを覗き込むシェヴァの微笑が、心底忌々しいと思えた朝だった。
引き続き、いってみようと思う。