異世界イベント再び
だだだだーんっ、という感じ。
学院の一般授業が始まって少し経った頃。
朝、連絡事項を伝えるために来た教師に、視線が集中していた。
リアとシェヴァおまけにギリムの在籍する、魔術専攻では一番優秀だとされる学級の担任。
何を隠そう、初日からシェヴァに無詠唱で魔術を掻き消されあわや自信喪失の憂き目となりかけた御仁である。
以前も言ったとおりに、学院の歴史では五指に入るほどに優秀な魔術師であり、いわゆる天才である。
無詠唱で魔術を打ち消されても、相手が悪かっただけのこと。
何はともあれ、今教室中の一部を除く視線がその教師へと集中していた。
理由は、彼の先程の発言。
「今日から、リトリシェル皇帝陛下の弟君であるトライド・ベネル・レトラード殿下が学院に通学される」
因みに、殿下は魔術専攻であられるので、この教室に席を並べられる事となった。皆、無礼のないように態度を云々、身なりを云々。
もちろんリアは聞き流し、シェヴァの方は情報は入手済であるため興味なし。ギリムは、一応は貴族として皇族と同学になることに気を傾けているらしい。
「では、殿下。どうぞ」
やたらと畏まる教師を横目でうんざりと見るリア。シェヴァはそんな主をニコニコと微笑んで見つめ、ギリムは面倒なことだと溜息を吐いた。
両開きのドアが開かれ、床を叩くブーツの音がする。
規則正しく続くその音が移動し、最後にかつん、と区切りのように響いて消えた。
教室中の一部を除く――以下省略が、学院のローブを着込んだ人物へと釘付けになる。
目映ゆい金糸の影に、鋭い蒼の双眼。端正と言って憚りない容姿に、鍛え上げられていると人目でわかる長身痩躯。簡易ではあるが、正装をぴっちり着こなしたその姿はまさしく。
皇族、王族に連なる者としての様相だった。
そこで、面倒な者が来たものだ、と眉を顰めたのはリア。
異世界トリップのお約束、皇子様の奇抜な登場シーンである。厄介ごとの匂いがプンプンすること極まりない。
そもそも、学院に入った目的自体が「この世界での身分を得るため」であるならば、ただ学院を卒業して証書を頂いてとんずらこけばいい。何もわざわざ、余計なイベントが発生する必要は全く絶対無いのである。
嗚呼疎ましきは異世界トリップ補正。
飛ばされて早々に変態にへばりつかれ、魔術学院の入学、パーティー結成イベントを済ませたと思えばお次は皇子登場イベントと来たか。
「殿下、何かお言葉を頂けますか?」
「・・・私も、通うことになった以上は学の道を同じくする者。遠慮は要らない」
通りの良い、張りのある低音が隅々にまで行き渡る。
ただし、と付け足す声はさらに低かった。
「私と接しようとするならば、それ相応の意志と目的を持つように」
結局、「志の低い愚民は近付くな」と言うことらしい。
誰が好き好んで近付くものか、というところだが。そうは行かなかった。
リアの隣に座る変態馬鹿が、余計なことをし腐っていてくれたお陰様でだ。
「それで、この部屋の中で最も優れたものは誰だ?まあ、師は除くべきだろうが」
皇子がそのようなことを宣った瞬間だった。
教室内の空気が一瞬硬直。そして凍結。
一斉に意識がリアの隣へ向けられ、かくいう教師がその視線をそこへ向けたものだから・・・。
視線に敏いらしい皇子さまは、教師の恐々とした視線を正確に辿り。
「テライダの者か?」
「ええ」
シェヴァへと辿り着いた。
飄々と肯定を返すが、その経歴は全て偽物である。
こちらも、全てを幻惑するかのような低音。全くこれだから美形補正というやつは・・・。
リアはその横で、心中舌打ち百連発くらいの心地だった。つくづくこの変態は余計なことをしてくれる。
彼女がどんなに目立ちたくない、波風を立てまいと心がけても、シェヴァが全てを引き連れてへばりついていては全くもって意味のない事。
「どの程度の事が出来る?師に優れていると認められるとは、栄誉なことだろう」
「何が出来るかは、やってみなければわかりませんね」
「兄妹で入学とは、優秀だな」
「優秀なのは確かですよ、兄妹じゃありませんが」
「シェ、シェヴァ君っ・・・殿下に対してその発言は・・・」
「同じ学徒同士、遠慮は要らぬと言ったのはその殿下ですよ」
「それは、そうだが・・・」
位も何も、主の前に皆等しいシェヴァは一応敬語キャラとしての対面は保っているが、その態度は正に慇懃無礼。
対して殿下とやらも、それに興味をそそられたのかつつくつつく。
教師はシェヴァに口を噤まされて、あえなく敗者観戦ゾーンへ。
教師、何故そこで引き下がる。この腰抜けめ、たかが一回無効化されたくらいで苦手意識を持つな。
何度やっても無効化されるだろうが、それはまた別の話。
もう教室の誰も彼もを放り出して――変態の腕だけはガッシリとリアを抱えているが――、言い合いは続く。
続きすぎて、リアが欠伸をしてしまうほどに。
「リア、眠いですか?」
「あんたは言い合いしてれば」
こっちはこっちで勝手に昼まで寝る。
それまでに終わってなかったら最終手段、離脱である。
誰が好き好んで皇子などと絡みたいものか、忌々しいイベントだ。
こいつから離れるにはどうすればいいんだか。
まずはそれが問題である。影がこの男の支配下である以上、どうしたって影の出来るリアの位置は丸見えモロバレ。影を無くせばいいと暗いところへ逃げても、闇も夜もリアに味方しないのだから。
いや、待て。
リアは、一度あの空間と混ざり合ったのだ。ならば・・・シェヴァと同じかその程度の権限は与えられて然りではないだろうか。
自分の影だけ、シェヴァの支配下から外すとか。それだけならばいけそうな気がする。
あくまで、「気がする」程度だが。
失敗したら二度と機会は与えられないだろう危険な賭けだが、この変態から少しでも離れたい心境としては試す価値はあった。
結果的に言えば、試すべきではなかったとだけ、言っておく。
*****
案の定、皇子サマは昼食の時間になってまでこちらにやって来たと思えば、そのまま他はそっちのけでシェヴァとのトーキングを始めた。
うん、離脱しよう。
『シェヴァ、面倒だから先行ってる』
『致し方ありませんね、どうぞ』
致し方ない、ということで。リアはギリムと連れ立ってテアドアの教室へと移動、そして――。
「おお?・・・テア、リア知らねえか?」
「いや、先程までそこに・・・・・・」
リアが居ない、と二人は認識した。
そして、その直ぐ後には焦り始める。
「まずいぞ、シェヴァが怖え」
「迷っていたら大変だ、探そう」
ギリムはリアに対するシェヴァの執着度を知るが故に、テアは「迷子」なのではないかと思うが故に。
まずもって確信犯なため、テアの考えはあり得ない。
「どうしました?」
慌てる両者の丁度背後、その場所から声が届く。
ぎくり、とギリムの方が跳ねる。テアは、やっと来たかとでも言うように勢い良く振り向いた。
双方違った反応だが、ともかくも三人は向かい合った。
「リアは、どうしました?」
「ああ、いや・・・どっか行ってるみたいだな」
「私の不注意だ、いつから居なかったか掴めないが迷子かも知れない」
汗をかきながらと、真剣な表情でと、それぞれの報告にシェヴァは眉を顰めた。
「いつから居なかったか掴めない・・・?」
その部分が引っかかる。
ギリムは、一般人よりも余程動く気配に敏いはず。それが、居なくなった時も掴めないとは明らかにおかしい。リアを愛でるテアドアが、その動向を見逃すとも思えない。
シェヴァは試しに感覚を研ぎ澄ませ、求める気配を探る。己に近い気配、しかし個としてあるもの。
感覚を広げ、広げ、広げ――
ギリムはその瞬間ぴきり、と空間が割れる音を聞いたような気がした。硬直、凍結、そんな表現が生温く感じる。
「――やりましたね・・・・・・リア」
笑む口元が艶やかに、歪に歪められたまま。低く、シェヴァは哂った。
それは己への誹り。
「俺の影を切り離して、独自の支配下に置くとは考えたものですが」
貴女はつくづく甘いですよ、我が君、愛しい女。
優雅に掌を地へ示し、その下には淀む影。
「力で言えば、俺の方が上ですよ・・・?」
それは唐突にリアを襲う、抗うことの出来ぬ拘束だった。
影の支配権をシェヴァから自分へと切り離し、のんびりと一人を満喫していたリアは、切り離したはずの影によって裏切られ縛られ、呑み込まれる。
ごぽりとどこかで波打つ影が少女の体を覆い隠した一瞬後には、シェヴァの影が波打ち、目を見張るギリムとテアドアを置き去りに、それの主であり根源であるモノへと抱えていたものを差上げた。
当然のように差し出されたものを受け取る男は笑んだまま、自分の腕の中へと戻ってきた少女を抱き締める。
リアは影に飲み込まれた瞬間意識を失っていたため、抵抗することはない。いつも呼びかける小さな唇も、今は苦痛にでも遭っているかのように引き締められていた。
力の抜けた肢体を締め付ける腕は強く、万力は憎しみの顕れのように。
「俺から隠れようなんて、許すわけがないでしょう・・・?」
貴女は俺の主なんですから。
その後、ギリムとテアドアが正気付く頃。珍しい黒髪の主従はまるで、始めから存在しなかったかのように
忽然と、姿を消していた。
哀れリアと、相手にされない皇子。
皇子とリアが絡む余地はあるのか、それは誰にもわからない。