好意なのか、恋なのか。
私の会社には、すごく目立つ人がいる。私はいつも、意識せずその人のことを目で追ってしまう。
『その人』とは、経理の犬山武史さんだ。私よりも二年先輩、中肉中背でスーツの良く似合う、いかにも会社員って感じの男性。細い銀のフレームの眼鏡が、ちょっとおしゃれ。
そんな彼がどうして目を引くのかというと……頭部が、犬だから。正確に言うと、ビーグル犬。それ以外はすごく普通、でも当たり前だけど、それだけでものすごく目立ってしまう。
新入社員として入ってきたばかりの頃は、本当にびっくりした。自分の見ているものが、信じられなかった。
「え、この会社に犬頭の人がいるって噂、ほんとだったんだ。ウケる」
同期の子たちはそんな風に言って、彼に気付かれないようにクスクス笑っていたけれど、私はそんな風に笑うこともできなかった。ただ硬直して口を半開きにして、彼の姿を目で追っていた。
固まっていたのは、でも『びっくりした』だけが理由じゃない。
――――あの頃の私は、少しだけ彼のことが、怖かった。
* * *
子どもの頃、近所に大きな犬を飼っている家があった。セントバーナードというのだろう、ハイジのアニメに出てくるヨーゼフみたいな犬。でもヨーゼフとは違い、めちゃめちゃよく吠える犬だった。
その家は通学路の途中にあって、登下校の際にはどうしても前を通らなくちゃいけない。私は子どもの頃からちびで臆病で、大きなものと大きな音がすごく苦手だった。入学してから、犬を飼っている家族が引っ越すまでの三年間、私は登下校が苦痛で仕方がなかった。
(でもそんなのは昔の話。私はもう立派な社会人だし、犬が怖いとか子どもっぽいこと言っていられないんだから)
入社して、早くも半年が過ぎようとしていた。だいたい犬山さんは犬じゃないし、同じ会社の先輩なのに、いつまでもびくびくしていたら失礼だ。私は小さくため息をつくと、ランチ用の小さなトートバックからスマホを取り出した。
昼休みは、社員食堂でランチを食べるのが日課になりつつあった。例の犬山さんも良く社員食堂を利用しているので、鉢合わせることも多いのだが……まぁ、顔を合わせるうちに慣れてくるだろう、きっと。
昼休みはスマホをいじっていることが多いけれど、今日は私の担当する研修が午後にあるので、あまりのんびりできない。私は総務課所属なので、研修に関わる仕事も多いのだ。担当と言っても出欠を取ったり資料を配ったりするくらいだけど、新入社員の私にとってはそれも大事な仕事の一つ。さくっと食べて早めに会場に入ろうと思いつつ、何気なくスマホの画面に目を走らせて、私は思わず息を呑んだ。
(うそ。なんで今頃)
学生時代の元カレから、メッセージが届いていた。うっかり指が触れ、そのままアプリを開いてしまう。『久しぶり!』という爽やか系アニメキャラのスタンプの下に、文字が並んでいる。
『就職したんだって?おめでとう!よかったら今度飲みに行かない?』
(どうしてそういう発想になるの……)
行きません、とはっきり返せたらいいのだろうけど、つい柔らかい表現を探してしまう。自分はこういうところが良くないのだ、と分かりつつも、仮にも付き合ったことのある人に対してあまり強く出られない。眉根を寄せてスマホを睨みながら少しの間悩んでいたが、諦めて一度アプリを閉じることにした。すると、それを待っていたかのようにスマホが手の中で震え始めた。通話の着信だ。発信先は、やはり元カレ。
「わっ……」
声を上げ、思わず拒否のボタンをタップしてしまった。ホッと息をつく間もなく、また着信。慌てたが、ここはもう思い切って電源を切ってしまうことにした。午後の仕事が控えているのに、こんなことで心を煩わせていられない。
わたわたとスマホの電源を切り、はーっと大きく息をついていると、不意に上の方から声を掛けられた。
「なんだよ佐伯ちゃん、ボッチ飯?寂しいねぇー」
私は顔を上げ、急いで笑顔を作った。
「根尾さん、今日は外に食べに行かなかったんですか?珍しいですね」
食堂のトレイを手に立っていたのは、総務課の先輩の根尾さんだった。私は、実はこの人があまり得意じゃない。仕事中にも他人のうわさ話を平気でするし、踏み込んで欲しくないプライバシーにずかずか入ってこようとする。見た目は悪くないのだが、軽薄さを際立たせるようで余計に好ましくない。
彼はそんな私の気持ちにはお構いなく、隣の席に当たり前のように腰を下ろした。
「たまにはね。社食はあんまり美味くないけど、栄養バランスみたいのは取れてるし」
私は曖昧に頷きながら、自分の空の紙コップを手に取って立ち上がった。
「すみません、私ちょっとお水もらってきます」
冷水機の方へ移動しながら、背後に何となく視線を感じた。露骨に避けているように思われただろうか……いや、むしろ思って欲しい。あなたが苦手です、と口に出して言える訳はないのだから、できれば相手に察して欲しい。
(でも、案外何とも思わないかもなぁ、ああいう人は……)
そんなことより、昼休みの残り時間が気になる。コップに水を注ぎ、席に戻ろうと歩きながら、横を向いて食堂の時計を確認した。多分、前方不注意だったのだと思う。前から来た誰かとぶつかって、少しだけコップの水がこぼれた。
「おっと」「わっ、すみません!」
慌てて体勢を立て直すと、目の前に立っていたのは犬山さんだった。トレイを持ったまま、驚いたように少し目を丸くしている。少し離れた位置からは何度も見かけたことがあるけれど、こんなに近くで彼を見るのは初めてだ。私は思わず身体を固くし、一歩後ろに下がった。
「ご、ごめんなさい。水、かかりませんでしたか」
「大丈夫ですよ。こちらもぼんやりしていてすみません、大丈夫ですか」
初めてちゃんと声を聞いた。低くて、イメージよりもずっと穏やかな声だった。
大丈夫です、と言って、逃げるようにそそくさと席に戻った。椅子に座ると、根尾さんが意味ありげなにやにや笑いをしながら話しかけてきた。
「災難だねぇ佐伯ちゃん。犬野郎にぶつかっちゃって」
「……いえ、私が前を見てなかったので」
「そういうことじゃなくてさ」
根尾さんはそこで言葉を切り、私の方へ向かってぐっと身体を乗り出してきた。内緒話をするように声をひそめて、
「気持ち悪いじゃん、あいつ。あんな見た目で、よく平気で会社員とかやってられるよなぁ。佐伯ちゃんも、そう思うっしょ」
咄嗟に何も言葉を返せず、私は硬直したまま、残っていたサンドイッチに手を伸ばした。
……根尾さんのことを、あれこれ言えない。口に出さないだけで、私だって犬山さんのことを「怖い」とか「気持ち悪い」とか心の底で思ってる。根尾さんはそれが分かってるから、こうやって同意を求めてくるんだ。
中途半端な、どちらとも言えない相槌を打ちながら、私は機械的にサンドイッチを咀嚼した。ただただ、この昼休みが早く終わって欲しかった。
* * *
午後の研修は、おおむね順調に終了した。途中マイクが入らなくなるハプニングがあったが、予備のマイクを用意してあったので問題ない。講師の先生を見送り、アンケートを回収した後、自分の席に戻ってホッと一息。
(アンケートの集計しないと……でもそれは、明日でいいか。とりあえず、今日は会議室だけ片付けよう。あぁ、その前に、何か甘いもの飲みたいなぁ)
研修が終わった後もバタバタとしていて、すでに定時は過ぎていた。今回の研修担当ではなかった総務課の社員は、ほとんど帰ってしまっている。研修会場となった会議室の片付けだけなら、残業は短時間で済みそうだ。一休みしようと、バッグからお財布を取り出そうとして、ふと違和感に気付いた。
(あれ?そう言えば、スマホどこ?)
ランチ用のバッグを探ったが、そこにもない。だが、社員食堂でスマホを見た記憶はハッキリ残っている。元カレから連絡が来て、スマホの電源を切って……その後、隣りの席に根尾さんが来て、犬山さんとぶつかって。あれ、スマホは?
だんだんと焦りが募ってきた。少なくとも、昼休みの後にスマホを見た記憶が全くない。食堂に忘れてきたのだろうか。だとしたら、誰かが忘れ物として届けてくれているのでは。もしくは、無意識にどこかに入れて忘れている、とか。
私は、あまり整理整頓が得意な方じゃない。バッグの中身を全部出していると、不意に前方から声を掛けられた。
「お疲れ様、佐伯君。時間外に悪いけど、今日中に研修会場だけ片付けてもらえるかな?明日、朝イチで会議が入ってるからね」
阿川課長だ。いつもおしゃれな総務課長は、定時を回ったこの時間帯でもスーツ姿がぴしっと決まっている。どうして他の男性職員みたいにくたびれた感じにならないのか、不思議で仕方がない。いや、それはともかく。
「あ、はい!すみません、今やります!」
慌ててバッグの中身を戻していると、不思議そうな顔で課長が近付いてきた。
「もしかして、何か立て込んでる?探し物?」
「ちょっと、スマホが見つからなくて。でも大丈夫です、あとで探します」
「え!一大事だよ、それは。あ、じゃあちょっと鳴らしてみようか?近くにあれば音で分かるし」
緊急連絡先として、課長には番号を教えている。「お願いします」と言いそうになって、私はあることに思い至り、慌てて首を横に振った。
「すみません、ダメです。私、ちょうど電源切ってたので、鳴りません」
軽く唇を噛んだ。タイミングが悪い。滅多にないことなのに、こんな時にたまたま電源を切っているなんて。課長は気遣わしそうに、瞬きをして私を見た。
「そうかぁー、残念。でも、気になるでしょう?片付けはボクがやっておこうか?」
「いえいえいえ大丈夫です、お気になさらず!すぐに戻りますので!」
とりあえずそれだけ言い置いて、私はダッシュで会議室へ向かった。
* * *
研修用に並べてあった机を、ざっと拭いて元あった場所に移動する。マイクなどの機材を片づけて戻す。急いだつもりだけれど、それでも二十分くらいかかってしまった。
ぱたぱたと総務課に戻ってくると、私の席の前に二人の人影があった。阿川課長……と、なぜか隣に犬山さんがいる。二人は何か難しい顔で声を落として話していたが、私の姿を見ると犬山さんはふと表情を和らげ、軽く課長に会釈をしてその場を立ち去った。
「……?どうか、しましたか?」
犬山さんの去った方向を見ながら課長に話しかけると、阿川課長は一瞬言い淀むように「いや」と呟き、私に向かって手に持ったものを差し出した。
「もしかしてこれかな?佐伯君のスマホ」
私は驚いて「そうです!」と叫んでそれを受け取った。水色のカバーの付いた、私のスマホ。良かった、見つからなかったらどうしようと思っていた。
「本当にありがとうございます!ボックスにありましたか?」
私は勢い込んで課長に尋ねた。多分、忘れ物ボックスじゃないかと思った。総務課には、会社内の落とし物や忘れ物をひとまとめにした箱が設置されている。本当は『財布やスマホなどの貴重品はボックスに入れない』ルールがあるけれど、ルールを知らない社員が入れてしまう可能性はある。
でも、阿川課長は物憂げに首を振った。
「それなら良かったんだけどね。佐伯君、あまりショックを受けないでね」
そう前置きをしたうえで、戸惑う私をまっすぐに見て、課長はこう告げた。
「これは、根尾君の机の中にあったんだよ」
――――すぐには意味が分からず、返答もできずにそのまま課長を見つめ返した。そして、とっくに帰ってしまった根尾さんの机に、ぼんやりと視線を移した。
確かに、昼休みは根尾さんと一緒にいた。そして、昼休み以降はスマホを見ていなかった。だからってそんなこと。
「最大限に好意的に考えれば、後で渡すつもりで忘れていただけかもしれない。でも……そうじゃない可能性の方が高いかな、これは」
課長の苦い声に、ハッとして手元のスマホを見た。電源が入っている。あの時、私は元カレからの連絡に辟易して、確かに電源を落としたはずだ。
誰かが……根尾さんが、意図して電源を入れた?もしかして、ロックも解除しようとしていた……?
知らず知らずのうちに、スマホを握りしめる手に力が入った。そんな私に対し、課長はわざと軽い口調で声をかけてきた。
「まぁ、今のところは何とも言えないよ。でも佐伯君は根尾君を問い詰めたりしないでね。どうして佐伯君のスマホが根尾君の机にあったのか、ちゃんと理由を聞くのはボクの役割だよ」
「え……」
「佐伯君は、何もしなくて大丈夫。とりあえず知らんぷりしていて、何か彼の方から絡んでくるようならボクに助けを求めて。ボクはね、頼りないかもしれないけど、こう見えてもちゃんと管理職だから」
いたずらっぽくそう言って、課長はウインクをしてみせた。
私は少しだけホッとして、彼に向かって「よろしくお願いします」と頭を下げた。肩の力が抜けるのが分かる。今の出来事で、どれだけ自分の身体が固くなっていたか実感できた。
「……でも課長、どうして根尾さんの机にあるかもって思ったんですか」
不思議に思って、そう尋ねた。今の話だけだと、そこの部分がよく分からない。すると課長は「あぁそれは」と簡単に頷いた。
「犬山君がね」
そう言った後、いかにもうっかり口を滑らせたかのように、口元を手で押さえた。私は彼の意図することが分からず、眉をひそめてその言葉を繰り返した。
「犬山さんが、どうかしたんですか?」
「いやーしまった。黙っているように言われたんだけどなぁ、失敗失敗」
彼はわざとらしく(やや棒読みで)そう言うと、私に向かって、小さく笑って見せた。
「犬山君、たまたまうちの課に来たんだけどね。佐伯さんのスマホがないらしいって言ったら、一緒に探してくれたんだよ。わざわざ食堂の方まで行ってくれてね」
しかも課長の説明によると、彼は女性職員に声をかけて、女子トイレまで探してくれたらしい。ありがたいけれど、驚いた。だって、別に知り合いというほどの間柄でもないのに。
「今日の昼休み、佐伯君は根尾君と一緒だったんでしょう。犬山君がそう言ってた。その話を私にした後で、急に犬山君が険しい顔になってね。『もしかしたら』って、根尾君の引き出しを開けたんだよ」
* * *
帰り道、私はちょっとだけ寄り道をすることにした。いろいろあって疲れたし、結局甘いものも飲みそびれた。疲れた時には、糖分摂取に限る。
ぼんやり歩きながら、駅ビルの書店に足を向けた。ここには有名なコーヒーショップが併設されていて、寄り道にはちょうどいい。
せっかくだし、コーヒーショップに入る前に文庫本でも買おうか。そう思った私は、新しく出たばかりのレーベル『水色文庫』の棚の前で足を止めた。ちょうどキャンペーン中らしく、カラフルな文庫の隣には、イメージキャラクターのグッズまで並んでいる。
水色文庫のキャラクターは、犬だった。ビーグル犬……かどうかは分からないけど、犬山さんによく似た垂れ耳の犬。しかも眼鏡まで掛けている。
『本が大好き!本田イヌスケ』
そんなキャッチコピーがついていて、私は思わず少し笑ってしまった。キミのネーミングは、本当にそれでいいのか。水色のポロシャツを着たイヌスケのキーホルダーを、何気なく一つ手に取ってみる。
――――ずっと、先ほど課長から聞いた話が頭の中を回り続けていた。
犬山さんが根尾さんに向けた疑いは、ほとんどカンみたいなものだったけど、結果的にそれは当たっていた。根尾さんに関する良くない噂を耳にしていた、ということも疑いを強くしたようだ。
課長の許可を得た上で、真っ先に開けた一番上の引き出しにスマホを見つけ、二人はしばらく固まったらしい。
そして、どうやらそれが私のもので間違いないという結論に達して、犬山さんは課長にそれを託したのだそうだ。
『これは、課長が見つけたことにしてもらえませんか』
どうして、と尋ねる課長に、犬山さんは困ったように言葉を探し、そして。
『佐伯さんは多分、私のことが怖いんじゃないかと思うんです。私がスマホ探しに協力したことが分かれば、お礼を言わないと、と思うかもしれない。それは、彼女の負担になるでしょう』
課長からこの話を聞いて、私はすぐに言葉が出なかった。
犬山さんは、私が彼を怖がっていることに、気付いていた。もしかしたら傷ついていたかもしれない。今日だって食堂でぶつかったとき、私は彼に対して、明らかにおびえたような態度を取ってしまった。
『気持ち悪いよなぁ、あいつ』昼休みに聞いた先輩の声が、ざらりと耳に蘇る。あんなことを言われて、反論もできなくて。あの人は、これまでに一体何回、こんな思いをしてきたのだろう。当たり前のように、自分の親切なんて『なかったこと』にして。
今までずっと、犬が怖かった。だけど。
犬山さんは、怖くない。気持ち悪くなんかない。
お礼くらい、言わせて欲しいのに。
きゅっとキーホルダーを握りしめていた手を開き、もう一度ゆっくりとイヌスケを眺めた。ニッコリ笑ったイヌスケは、とてもかわいい。眼鏡も知的でチャーミング。
私はそれを大切に手の中に包み込むと、書店のレジに向かった。
* * *
次の日、私はバッグにイヌスケのキーホルダーを付けて出勤した。根尾さんと顔を合わせることを思うとちょっと気が重いけれど、阿川課長もついているし、大丈夫。イヌスケも、私を見守ってくれている。
そして、会社に入ってすぐの自販機の前に、知っている人を見かけた。犬山さんだ。改めて見ると、彼は本当に目立つ。
迷ったのは、ほんの一瞬だけだった。私は肩にかけたバッグを持ち直して気合を入れ、自販機に向かった。
「おはようございます、犬山さん!」
彼の背中に声をかける。ちゃんと、大きな明るい声が出た。犬山さんは驚いたように振り返り、私の姿を見て更に目を丸くしたけれど、すぐに挨拶を返してくれた。
「おはようございます、佐伯さん」
そして彼は、すぐに私のバッグに目を留め、嬉しそうに目を細めた。
「おっ、本田イヌスケですね。今、本屋さんでキャンペーンやってますよね」
「え、犬山さんこのキャラ知ってるんですか?」
私が尋ねると、彼は「もちろん!」となぜか得意そうに言って、自分のリュックを開き、ごそごそ中身を探り出した。そして取り出したペンポーチには、しっかりとイヌスケのチャームが付けられていた。
「あ、かわいい!」
「でしょう。実は私、この他にもいろいろ持ってるんですよ。グッズを集める趣味はないんですけど、イヌスケは……なんだか他人と思えなくて」
イヌスケもかわいいけれど、そんなことを恥ずかしそうに言う犬山さんもかわいく見えた。犬山さんは、ペンケースのチャームと私のキーホルダーを見比べ、ふわっと目元をほころばせた。
「おそろい、ですね」「え」
思わずドキリとして、彼を見つめた。
初めてちゃんと見た眼鏡の奥の瞳は、思っていたよりもずっと、優しい色をしていた。
* * *
その後、なぜか私はイヌスケにとどまらず、犬っぽいグッズを見かけると衝動買いに走るようになった。SNSののおすすめにも、かわいい犬画像ばかりが延々と流れてくる。特にビーグル犬。いったいどうしてこうなってしまったのか。
そして今日も、視線の先に彼がいる。目立つ頭部を持ったその人を、私はもう怖いとは思わない。今では当たり前のように挨拶を交わし、用事がなくても姿を見かければ声をかけるようになった。彼は紳士的で、ユーモアがあって優しい。
もう怖がってはいないのだから、こんなに彼のことを気にしなくてもいいはずだ。それなのに、いつでも目で追ってしまうのは、姿を探してしまうのは、なぜなのだろう。
私はまだ、その気持ちに名前を付けられないでいる。
end




