『銀貨三枚が、国を救っていた。でも誰も大げさに言わなかった話』 ~何かあったのか、何もない、という会話で全部終わった~ ep-19
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本作は【異世界定食】〜とんかつ屋「揚太郎」に集う、ワケありな人々〜シリーズ読み切りです
誰も頼んでいなかった。それでも全員が、同じ方向に動き始めていた。
「今年の麦の収穫量、例年比四割減の見込み」
シルヴィア・ヴェルナーはその報告書を、領地のオフィスで受け取った。
一読した。
万年筆を取った。
「マリア、馬車の準備を」
「どちらへ」
「王都です。日帰りで」
「お休みなのでは」
「休暇は明日に変更します」
マリアが「かしこまりました……」と言いながら下がった。
シルヴィアは手帳を開いた。
四割減。
王都の人口と備蓄量。輸送経路と所要日数。隣国との既存取引ルート。
全部、頭の中にある。
六年間、王宮の財務を回していた記憶は、まだ完全に活きている。
問題は、今の王宮に動ける人間がいるかどうかだ。
アルフレッドが失脚した後の政治的空白は、シルヴィアが予測していたより深刻だった。
(……ルーカスに連絡する)
万年筆を走らせながら、シルヴィアは既に動き始めていた。
◇
同じ頃、王宮魔術師局では。
エルザ・フォン・ヴァイゼンベルクが、北部の気象魔法陣のデータを睨んでいた。
「……予想より早い」
乾燥した北風が、例年より三週間早く南下している。
このまま進めば、残存する麦畑の収穫にも影響が出る。
エルザは魔法陣を展開した。
王都を中心に半径五十キロの湿度調整結界。
一人では維持できない規模だ。
だが今週だけでいい。麦の収穫が終わるまでの七日間だけ、この結界を張り続ければ被害を最小限に抑えられる。
エルザは術式の計算を始めた。
七日間の魔力消費量。睡眠時間の最低限。弁当箱に詰めた七日分のとんかつ。
弁当箱の魔法回路を確認した。
全て正常だった。
(……七日、やれる)
エルザは結界の展開を開始した。
誰にも言わなかった。
言う必要がなかった。
◇
同じ頃、王都の南門では。
カトリーヌ・フォン・シュタインベルクが、荷馬車の列を確認していた。
名誉回復後、カトリーヌは独立した輸送警護隊を立ち上げていた。
今日の荷は、南部の港から届いた輸入穀物だ。
グスタフ・メルヒオールの商会ルートで緊急手配した分だ。
三日前、グスタフから短い手紙が届いた。
「北部の麦が不作らしい。うちのルートで穀物を手配する。王都への輸送警護を頼めるか」
カトリーヌは即座に返事を書いた。
「わかった」
それだけだった。
荷馬車が門をくぐっていく。
カトリーヌは騎乗したまま、列の先頭を確認した。
全部で二十台。
これだけあれば、王都の備蓄が二ヶ月分伸びる。
それで十分だ。
◇
同じ頃、王都の孤児院では。
リーネが革袋を抱えて、シスター・マルガレーテと向き合っていた。
「子供たちの食料が、来月から足りなくなるかもしれない」とシスターが言った。
「わかりました」とリーネが言った。
革袋に触れた。
念じた。
ズザザザザァァッッ。
米が溢れ出した。
大豆が溢れ出した。
麦が溢れ出した。
「……リーネ、これは」
「袋の気まぐれです。でも今日はちゃんと出ました」
リーネは溢れ出た食材を丁寧にかき集めながら、笑った。
「子供たちに、今夜は白いご飯を食べさせてあげてください」
シスターが目を潤ませた。
「……ありがとう、リーネ」
「ありがとうはハンスに言ってください。あの子が毎朝皿を洗いに来るから、私がここに繋がっていられるんです」
◇
同じ頃、隣国の商館では。
グスタフ・メルヒオールが、大陸各地の商会への連絡書類に次々と署名していた。
非常時の穀物融通ネットワーク。
平時には使わない緊急ルートだ。
三日前、シルヴィアから手紙が届いた。
「王国北部の麦が不作です。輸送ルートの確保をお願いできますか」
グスタフは即座に動いた。
この女の計算が外れたことは、一度もない。
彼女が動くということは、本当に必要な時だということだ。
署名を終えて、グスタフは窓の外を見た。
路地裏の方角だ。
(……来週、定食を食べに行こう)
銀貨三枚を、財布から確認した。
ある。
◇
七日後。
誰も大げさに言わなかった。
誰も表彰されなかった。
ただ、王都は普通に動き続けた。
◇
その夜。
暖簾をくぐる人間が、いつもより多かった。
シルヴィアが書類を持たずに来た。
エルザが七日ぶりに弁当箱を開けずに来た。
カトリーヌが埃だらけの軍服のまま来た。
リーネはいつも通り厨房にいた。
グスタフが一人で銀貨三枚を握りしめて来た。
オスカーが端の席で手帳を開かずにいた。
アル爺が蒸籠を磨いていた。
ハンスが皿を洗っていた。
ルーカスが仕事帰りに寄った。
揚太郎は黙って、全員分を揚げた。
ドォン、ドォン。
重低音が路地裏に響いた。
皿が、一枚ずつ出てきた。
全員が黙って食べた。
しばらくして、揚太郎が振り向いた。
「何かあったのか」
全員が顔を見合わせた。
シルヴィアが言った。
「何もありません」
エルザが言った。
「何もない」
カトリーヌが言った。
「特に何も」
グスタフが言った。
「普通の一週間だった」
リーネが言った。
「今日の味噌汁、いつもより深いですよ」
揚太郎は鍋に向き直った。
「そうか」
それだけだった。
ハンスが皿を洗いながら、小声でルーカスに言った。
「なんか今日、すごくない?」
ルーカスが小声で返した。
「すごいけど、誰も言わないんだ」
「なんで」
「……言わなくても、わかるから」
ハンスはしばらく考えてから、また皿を洗い始めた。
ジュワァァァ……バチバチバチッ。
今日も、銀貨三枚の革命が続いている。
路地裏の奥から、揚げ物の音が響いた。
この音が聞こえる限り、大丈夫だ。
全員が、そう思っていた。
(完)
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