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『銀貨三枚が、国を救っていた。でも誰も大げさに言わなかった話』 ~何かあったのか、何もない、という会話で全部終わった~ ep-19

掲載日:2026/06/03

数ある作品の中から見つけてくださりありがとうございます!

本作は【異世界定食】〜とんかつ屋「揚太郎」に集う、ワケありな人々〜シリーズ読み切りです

 誰も頼んでいなかった。それでも全員が、同じ方向に動き始めていた。


「今年の麦の収穫量、例年比四割減の見込み」

 シルヴィア・ヴェルナーはその報告書を、領地のオフィスで受け取った。

 一読した。

 万年筆を取った。


「マリア、馬車の準備を」


「どちらへ」


「王都です。日帰りで」


「お休みなのでは」


「休暇は明日に変更します」


 マリアが「かしこまりました……」と言いながら下がった。

 シルヴィアは手帳を開いた。

 四割減。

 王都の人口と備蓄量。輸送経路と所要日数。隣国との既存取引ルート。

 全部、頭の中にある。

 六年間、王宮の財務を回していた記憶は、まだ完全に活きている。

 問題は、今の王宮に動ける人間がいるかどうかだ。

 アルフレッドが失脚した後の政治的空白は、シルヴィアが予測していたより深刻だった。

(……ルーカスに連絡する)

 万年筆を走らせながら、シルヴィアは既に動き始めていた。


 ◇


 同じ頃、王宮魔術師局では。

 エルザ・フォン・ヴァイゼンベルクが、北部の気象魔法陣のデータを睨んでいた。


「……予想より早い」


 乾燥した北風が、例年より三週間早く南下している。

 このまま進めば、残存する麦畑の収穫にも影響が出る。

 エルザは魔法陣を展開した。

 王都を中心に半径五十キロの湿度調整結界。

 一人では維持できない規模だ。

 だが今週だけでいい。麦の収穫が終わるまでの七日間だけ、この結界を張り続ければ被害を最小限に抑えられる。

 エルザは術式の計算を始めた。

 七日間の魔力消費量。睡眠時間の最低限。弁当箱に詰めた七日分のとんかつ。

 弁当箱の魔法回路を確認した。

 全て正常だった。

(……七日、やれる)

 エルザは結界の展開を開始した。

 誰にも言わなかった。

 言う必要がなかった。


 ◇


 同じ頃、王都の南門では。

 カトリーヌ・フォン・シュタインベルクが、荷馬車の列を確認していた。

 名誉回復後、カトリーヌは独立した輸送警護隊を立ち上げていた。

 今日の荷は、南部の港から届いた輸入穀物だ。

 グスタフ・メルヒオールの商会ルートで緊急手配した分だ。

 三日前、グスタフから短い手紙が届いた。


「北部の麦が不作らしい。うちのルートで穀物を手配する。王都への輸送警護を頼めるか」


 カトリーヌは即座に返事を書いた。

「わかった」


 それだけだった。

 荷馬車が門をくぐっていく。

 カトリーヌは騎乗したまま、列の先頭を確認した。

 全部で二十台。

 これだけあれば、王都の備蓄が二ヶ月分伸びる。

 それで十分だ。


 ◇


 同じ頃、王都の孤児院では。

 リーネが革袋を抱えて、シスター・マルガレーテと向き合っていた。

「子供たちの食料が、来月から足りなくなるかもしれない」とシスターが言った。

「わかりました」とリーネが言った。

 革袋に触れた。

 念じた。


 ズザザザザァァッッ。

 米が溢れ出した。

 大豆が溢れ出した。

 麦が溢れ出した。


「……リーネ、これは」


「袋の気まぐれです。でも今日はちゃんと出ました」

 リーネは溢れ出た食材を丁寧にかき集めながら、笑った。


「子供たちに、今夜は白いご飯を食べさせてあげてください」


 シスターが目を潤ませた。

「……ありがとう、リーネ」


「ありがとうはハンスに言ってください。あの子が毎朝皿を洗いに来るから、私がここに繋がっていられるんです」


 ◇


 同じ頃、隣国の商館では。

 グスタフ・メルヒオールが、大陸各地の商会への連絡書類に次々と署名していた。

 非常時の穀物融通ネットワーク。

 平時には使わない緊急ルートだ。

 三日前、シルヴィアから手紙が届いた。


「王国北部の麦が不作です。輸送ルートの確保をお願いできますか」


 グスタフは即座に動いた。

 この女の計算が外れたことは、一度もない。

 彼女が動くということは、本当に必要な時だということだ。

 署名を終えて、グスタフは窓の外を見た。

 路地裏の方角だ。

(……来週、定食を食べに行こう)

 銀貨三枚を、財布から確認した。

 ある。


 ◇


 七日後。

 誰も大げさに言わなかった。

 誰も表彰されなかった。

 ただ、王都は普通に動き続けた。


 ◇


 その夜。

 暖簾をくぐる人間が、いつもより多かった。

 シルヴィアが書類を持たずに来た。

 エルザが七日ぶりに弁当箱を開けずに来た。

 カトリーヌが埃だらけの軍服のまま来た。

 リーネはいつも通り厨房にいた。

 グスタフが一人で銀貨三枚を握りしめて来た。

 オスカーが端の席で手帳を開かずにいた。

 アル爺が蒸籠を磨いていた。

 ハンスが皿を洗っていた。

 ルーカスが仕事帰りに寄った。

 揚太郎は黙って、全員分を揚げた。


 ドォン、ドォン。

 重低音が路地裏に響いた。

 皿が、一枚ずつ出てきた。

 全員が黙って食べた。

 しばらくして、揚太郎が振り向いた。

「何かあったのか」

 全員が顔を見合わせた。

 シルヴィアが言った。

「何もありません」

 エルザが言った。

「何もない」

 カトリーヌが言った。

「特に何も」

 グスタフが言った。

「普通の一週間だった」

 リーネが言った。

「今日の味噌汁、いつもより深いですよ」

 揚太郎は鍋に向き直った。

「そうか」

 それだけだった。

 ハンスが皿を洗いながら、小声でルーカスに言った。

「なんか今日、すごくない?」

 ルーカスが小声で返した。

「すごいけど、誰も言わないんだ」

「なんで」

「……言わなくても、わかるから」

 ハンスはしばらく考えてから、また皿を洗い始めた。


 ジュワァァァ……バチバチバチッ。

 今日も、銀貨三枚の革命が続いている。

 路地裏の奥から、揚げ物の音が響いた。

 この音が聞こえる限り、大丈夫だ。

 全員が、そう思っていた。


(完)


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