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第4話 : 女神様へのお礼



ジャムを瓶に詰め終えたとき、

厨房には甘酸っぱい余韻が立ち込めていた。



エリナが瓶を一つ手に取り、

透かして見るようにじっと見つめてから、

ふっと息をつく。



「……すごい、これなんて、明日から売れそうよね」

エリナから短く喉が鳴る音がした。


そのジャムは王都に存在する

どのジャムよりも煌めいていたという。



エリナはズレた眼鏡を押し上げる。


「……そうだ、アリス、

買い出しに付き合ってくれる?」


私はまだ指先の熱が引かないまま、小さく頷いた。

 


すると、リシアが私の手を両手で包み込んで、

弾けるような笑顔を見せる。



「じゃあ、私も一緒に行くよっ。

帰りに礼拝堂に寄って、女神様に報告しよう?」

 


外は勇者のパレードの余韻がまだ微かに残っていて、

街は少し浮き足立ったような賑やかさを見せていた。

 


「アリスに、街の案内も兼ねて、マルシェを回ろうか」

エリナが少しだけ声を和らげて言った。



その優しい声色が、私の胸の隙間を埋めた気がした。



マルシェに着くと石畳の両側に、

色とりどりの屋台が軒を連ねていた。


 

積み上げられた果実や、

芳醇なパンの香りが私の周りをふんわりと包んだ。

 


「ほらアリスっ、これ食べてみて」


リシアが、買ったばかりの小さな果実を私の口元に差し出した。

 


「あーん、して?」



屈託のない笑顔に抗えず、

私は顔が熱くなるのを感じながら、おずおずと口を開く。



口の中で弾けたのは、ジャムにした実よりも

さらに野性味の強い、鮮烈な甘酸っぱさ。



プチプチとした種のような食感で、

柔らかい抵抗感があった。


 

「……酸っぱくて、甘くて……おいしい」



「でしょ? ラズの実だよ。

たまにケーキにしたり、ジャムにもいいんだよっ」



それにしても……と私のリアクションが大袈裟だったのか、

隣でエリナがクスッと笑ったのを見て、胸の奥の強張りが、

少しずつ、春の雪のように解けていくのを感じた。



すると、エリナは何かを思い出したように言葉を投げた。



「ああ、そうだ……私、ちょっと商工会に寄っていくわ。」

「重い荷物は持ってあげるから。

リシア、アリスを迷子にさせないようにね」


 

エリナの不器用な気遣いで、

気づけば私とリシアは二人きりになっていた。



「……ねえ、リシア。礼拝堂、行こう」


私が自分からそう言うと、

リシアは驚いたように目を丸くしてから、

「うんっ」と力強く頷いた。


 

夕暮れの光が差し込む礼拝堂は、

昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


 

石造りの床を歩く私たちの足音が、高く天井に反響する。


女神像の前で、私たちは並んで膝をついた。


 

リシアは手を組み、親しみを持って語りかける。


「女神様、今日も一日見守ってくれて、ありがとっ。

アリスと一緒に、とても美味しいジャムができました。」

 


私は、隣で祈る彼女の横顔を見つめた。



そして、胸の奥に灯った熱を、

初めて言葉にしてみようと思った。


 

「……私を、ここに連れてきてくれて……助けてくれて、

ありがとうございました」



言葉にした瞬間、

女神像の背後のステンドグラスから差し込んだ西日が、

私たちを柔らかい琥珀色の光で包み込んだ気がした。


 

店に戻ると、エリナが用意してくれた夕食が待っていた。



メニューは、ルルの実のジャムをたっぷり塗った

厚切りのパンと、具沢山のスープ。

 


「自分で作ったものの味を、ちゃんと覚えておきなさい」



エリナの言葉に頷きながら、三人で囲む暖かい食卓。



それは、昨日までの私には想像もできなかったほど

『普通』で、そして何よりも幸せな時間だった。



「……甘い、このジャム」



思わず言葉になって出てきた感想。

私が作ったなんて想像にも及ばないほど美味しかった。



「看板メニューかな」なんてリシアが笑いながら話す。

「さすがに早すぎるかなー」とエリナが笑う。

 

釣られて私も、クスクスと自然と笑みがこぼれた。


 

(……楽しい、それに暖かい……)



食事を終えて、

食器を洗っている時にリシアが思い立ったように声を上げた。



「冷えないうちに、みんなでお風呂入っちゃおっか」

リシアの掛け声に連れられて、浴室へ向かう。



小さな浴槽に、三人。

昨日までは拒絶したかった自分の身体。傷跡や打撲の跡。



けれど、今日は温かな湯気の中で、

リシアが「背中洗ってあげようか?」と笑い、


エリナは「もっと肩まで浸かりなさい、王都の夜風舐めてる?」と背中を押す。

 


二人の肌が触れ合う距離にいても、もう怖くはなかった。


 

傷だらけだった私の過去が、

二人の無防備な優しさによって、

静かに塗り替えられていく。


 

――その夜。リシアの部屋。


ベッドに入ると、リシアが当然のように私の手を握った。



「……おやすみ、アリス。明日も美味しいもの、作ろうね」

「……うん。おやすみ、リシア」



握りしめた手のひらから伝わる鼓動。



昨日までは「まだ遠い」と感じていた『バニラ』の香りが、

今は少しだけ、自分のもののように感じられた。

 

この場所が、私の場所になっていく。

それを、もう怖いとは思わなくなった。



私はリシアの手を少しだけ強く握り返し、

深い、穏やかな眠りへと落ちていった。


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