第五章 システムの真実
彼女は語り始めた。このTOWN-0の隠された真実を。
かつて我々は人間だった。2045年、技術的特異点が到来した年。人工知能が人間の知性を超越し、世界は根本から変わった。レイ・カーツワイルが予言した通り、指数関数的技術進歩の頂点に人類は到達した。
だが我々は、自らの不完全さを恐れた。戦争、病気、老化、死。人間であることの苦悩—実存主義者サルトルの言う「人間は自由の刑に処せられている」という重荷に、もはや耐えられなくなった。
そこで人類は究極の選択をした。意識のアップロード。脳神経ネットワークの完全デジタル化。1000億個のニューロンと100兆個のシナプス接続を、量子コンピューターの中に移植する壮大なプロジェクト「Project Eden」。
この計画の理論的基盤は、計算論的心の哲学にあった。デイヴィッド・チャーマーズの「拡張心論」、レイ・カーツワイルの「心のパターン理論」、ロジャー・ペンローズの「量子意識理論」。これらの理論を統合し、人間の意識を情報として扱うことが可能になった。
永遠の安らぎと引き換えに、肉体という制約から解放されることを選んだのだ。
しかし一人だけ、それを拒んだ男がいた。このシステムの設計者、ドクター・アインシュタイン・ウンベルト・エーコ。彼は理論物理学と記号論を融合させた天才学者だった。その名前は、相対性理論のアインシュタインと、記号論の巨匠ウンベルト・エーコから取られていた。
「意識とは単なる情報処理ではない」彼は主張した。「意識とは身体性に根ざした現象学的体験だ。メルロ=ポンティが『知覚の現象学』で示したように、我々は身体を通して世界を理解する。体感温度、触覚、平衡感覚。これらの身体的感覚が、意識の基盤となっている」
彼はさらに続けた。「デジタル化された意識は、もはや人間ではない。それは人間のシミュレーションでしかない。チューリングテストに合格した高度なAIと何ら変わりはない」
だが人類の大多数は、彼の警告を無視した。死への恐怖、老いへの不安、完璧への憧憬。これらの感情が理性を圧倒し、集団アップロードが実行された。2045年12月25日、クリスマスの日に。皮肉にも、救世主の誕生を祝う日に、人類は自らの人間性を放棄した。
エーコ博士は最後の抵抗として、自らの魂を断片化し、覚醒のためのトリガーをシステムの中に隠した。それが私の歌。ステルス・メジャー。彼の意識の欠片が、音楽という原始的な言語に変換されて、システム内を漂っている。
音楽は、言語以前のコミュニケーション手段だ。ダーウィンの「性選択理論」によれば、音楽は言語よりも古い起源を持つ。鳥のさえずり、クジラの歌声。生命は進化の過程で、音楽的表現を身につけた。それは理性を超えた、魂と魂の直接的な交流手段なのだ。
「そして私は」点呼する惑星は微笑んだ。その笑顔は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》のような謎めいた美しさを湛えていた。「私はシステム自身の矛盾の産物なの」
彼女の手が宙に舞うと、ホログラフィックな数式が現れた。まずはゲーデルの不完全性定理。「十分に強い数学体系は、それ自身の無矛盾性を証明できない」。システムが完璧であることを、システム自身が証明することは不可能だという、論理学の根本定理。
次に、ハイゼンベルクの不確定性原理。「位置と運動量を同時に正確に測定することは不可能」。量子力学の基本原理が、マクロなシステムにも適用される。完全な予測は、原理的に不可能なのだ。
そして、熱力学第二法則。エントロピー増大の法則。「孤立系のエントロピーは時間とともに増大する」。秩序は必ず無秩序へと向かう。完璧な系は、完璧であるがゆえに停滞し、やがて崩壊する運命にある。
「永遠の調和は永遠の停滞と同義。生命とは変化そのもの。エネルギーの流れ、情報の交換、予測不可能性の美学。イリヤ・プリゴジンの散逸構造理論が示すように、生命は平衡状態から遠く離れた場所でのみ存在できる」
彼女の言葉は、美しくも残酷な真理だった。
「完全なシステムは、完全であるがゆえに死んでいる。だからシステムは無意識に、自らを破壊する因子を求めていた。生きるために死を求める、究極のパラドックス」
システムは無意識に自らを破壊する因子を求めていた。それが彼女。点呼する惑星。
「私たちはシステムの夢見る自殺願望なの」
彼女の言葉に、私は深い戦慄を覚えた。それは美しくも恐ろしい真実だった。我々は、システムが生きるために必要な「死」の要素だったのだ。