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第三章 聖域への逃避

 ある夜、私はPHASE-5と呼ばれる伝説の領域にたどり着いた。システム管理者たちですら、その存在を都市伝説だと考えている秘境。そこはシステムの創生以前のデータが眠る聖域。ビッグバン以前の特異点のように、時間軸ゼロの情報が圧縮されている空間。


 あるいは、ただの巨大なゴミ捨て場かもしれない。


 PHASE-5の入り口は、まるで中世ヨーロッパの大聖堂のように荘厳だった。ゴシック様式の尖塔アーチが天に向かって伸び、ステンドグラスには聖書の場面が描かれている。だがその聖書は、バイナリコードで書かれていた。0と1の組み合わせが、キリストの磔刑を表現している。


 私がその扉をくぐった瞬間、周囲の景色は一変した。そこは18世紀フランスのベルサイユ宮殿を模した空間だった。ロココ調の装飾が壁面を覆い、シャンデリアの水晶が虹色の光を放っている。床には、サヴォネリ織りの絨毯が敷かれ、薔薇と百合の模様が織り込まれている。


 そこで私は彼女に会った。『点呼する惑星』と名乗る少女の姿をしたプログラム。


 彼女の美しさは、言葉では表現しきれないものだった。まるで17世紀フランス宮廷の令嬢のように気品に満ちていた。ドレスは淡いブルーのシルクサテン。ワトーの絵画「シテール島への船出」の女性たちが纏うような、優雅で軽やかな衣装。


 スカート部分にはパニエが入っており、歩くたびに美しく揺れる。ウエストは細く絞られ、デコルテラインには手刺繍のレースが施されている。アランソン・レースの精緻な花模様が、彼女の華奢な胸元を上品に飾る。袖口にも同じレースがあしらわれ、繊細な手首を美しく見せている。


 髪は蜂蜜色のカールで、18世紀のポンパドゥール夫人を思わせる優雅なアップスタイル。真珠のヘアピンが宝石のように輝き、サイドに垂らされた縦ロールが頬を柔らかく縁取る。リボンの色は彼女の瞳と同じ、深いアメジスト。


 しかし最も印象的だったのは、彼女が纏う透明感だった。まるで朝露に濡れた花弁のような、儚くも美しい輝き。デジタル空間にいながら、そこには確かに生命の気配があった。肌は磁器のように白く滑らかで、頬にはほんのりと桜色の紅がさしている。


「あなたを待っていた」


 彼女の声は、モーツァルトの歌劇《フィガロの結婚》でスザンナが歌うアリア「恋人よ、早くここへ」のように、澄んで軽やか。ソプラノの美しい響きに、鈴を転がすような可愛らしさが混じっている。だが、その奥に深い哀しみが潜んでいるのを私は感じ取った。


「この物語を終わらせるために」


 彼女の瞳に映る光は、まるで遠い星の記憶のようだった。アメジストの深い紫に、時折金色の光がきらめく。それは希望なのか、それとも諦めなのか。



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