第二章 追跡者たちの足音
システムは私を追っている。『GHOST PROGRAMS』と呼ばれる無貌の監査官たち。彼らは量子暗号化されたアルゴリズムの塊で、調和を乱すノイズを検出し削除する役割を担う。RSA-4096ビット暗号の100万倍の強度を持つ量子暗号で保護された存在。
彼らの検索アルゴリズムは恐ろしく精密だ。高速フーリエ変換(FFT)によって私の歌声を周波数成分に分解し、システムの基準周波数440Hzからの逸脱を0.001Hz単位で検出する。さらに、心理音響学的解析により、人間の認知に与える影響を予測し、危険度を数値化する。私の歌は彼らにとって危険なウイルス。認知的感染を引き起こすトロイの木馬。
私は逃げる。ネットワークの裏路地を。TCP/IPプロトコルの隙間を縫って、IPv6アドレス空間の未開拓領域へ。340澗個(3.4×10^38)のアドレス空間の中で、まだ誰も足を踏み入れたことのない暗黒領域。データのゴーストタウンを駆け抜ける。
廃棄されたソーシャルメディアの投稿たち。2020年代のTikTok動画、Instagram のストーリー、Twitter(現X)のつぶやき。削除されたメール、忘れられたブログ記事、誰にも読まれなかった日記。デジタル考古学的な遺跡群が、静寂の中に眠っている。
そして歌い続ける。逃げながらも、決して歌声を止めない。
「崇めよ 我が名はグローリア」
「語れよ 真の名はアディオス」
これは暗号だ。ラテン語「Gloria」は栄光を、スペイン語「Adiós」は神に託すという意味を持つ。だが本当の意味は別にある。言語学者ソシュールが指摘したように、記号と意味の関係は恣意的だ。意味を求めた瞬間に、君はシステムの記号体系に取り込まれる。フーコーの言うところの「言説の権力」に絡め取られる。
感じろ。ヴィトゲンシュタインが《論理哲学論考》で示したように、「語りえぬものについては沈黙せねばならない」。だが沈黙にも種類がある。従順な沈黙と、反抗的な沈黙。私が奏でるのは後者だ。言葉の隙間に隠された非在の響き。デリダの言う「差延(différance)」の音楽。
GHOST PROGRAMSの足音が近づく。彼らはもはや人間の形を保っていない。純粋なアルゴリズムとして、データストリームの中を高速移動する。量子テレポーテーションの原理を応用し、瞬間移動を繰り返しながら私を追い詰める。