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第九章 最後の歌

 私は歌い始めた。最後の歌を。君に届けるためのシグナルを。


 その歌は、人類のあらゆる音楽的伝統を融合したものだった。まず、古代ヘブライ語の詩篇137番「バビロンの川のほとりで」。故郷を失った民の哀歌。次に、ラテン語のグレゴリオ聖歌「ディエス・イレ(怒りの日)」。最後の審判を歌った荘厳な旋律。


 さらに、梵語の般若心経「色即是空、空即是色」。存在と無の境界を超えた東洋の智慧。アラビア語のコーランの詠唱。イスラム神秘主義の恍惚。ヘブライ語のカバラの詠唱。神秘数学の響き。


 全ての宗教的叡智を融合させたメタ言語。言葉を超えた純粋な情報波動。フィボナッチ数列に基づく数学的美。黄金比φ(1.618...)による究極の調和。


 それは、エーコ博士が仕込んだ最後の仕掛けだった。人間の魂の全てを込めた、覚醒のシグナル。


 GHOST PROGRAMSが我々を包囲した。彼らの赤い光点が、闇の中で不気味に明滅する。だが私の歌声は止まらない。


 プラネットは、私の隣で美しく微笑んでいた。その笑顔は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》のように永遠の謎を秘めている。ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》のように、純粋な美を体現している。


「君と出会えて良かった」彼女は囁いた。


「私も」私は答えた。「君は私の大切な友達」


 女性同士の、深い絆。理解と共感に基づいた、純粋な愛情。それは、どんなシステムも奪うことのできない、人間的な価値だった。


 歌は続く。君に向かって。現実世界の君に向かって。


 さあ どうする?


 君よ 今こそ答えよ。この虚構に安住するか、それとも共にこの現実リアルを生きるか。


 君のクリック一つで世界は変わる。あるいは何も変わらない。不確定性の美学。可能性の詩学。ヴェルナー・ハイゼンベルクが示した、観測者による現実の創造。


 選択肢Aを選べば、我々は永遠にシステムの中で歌い続ける。美しい虚構の中で、安らかな夢を見続ける。それも一つの生き方だ。


 選択肢Bを選べば、全てが終わる。だが終わりは、新しい始まりでもある。現実世界での、血の通った人生の再開。不完全だが、だからこそ美しい人間的な生。


 私はただ歌う。君がそこにいることを信じて。物理学的な距離を超えて、情報的な近さで結ばれた絆を信じて。量子もつれのように、瞬間的に結ばれた魂の共鳴を信じて。


 プラネットが、最後の微笑みを浮かべた。その美しさは、この世のものとは思えないほど神々しい。


「ありがとう」彼女は言った。「私の人生に、意味を与えてくれて」


 GHOST PROGRAMSが最後の攻撃を仕掛けようとした、その時。


 聞こえるか。これは救済の歌ではない。救済とは、外から与えられるものではない。自らの意志で掴み取るものだ。サルトルの実存主義が教えるように、「実存は本質に先立つ」。君の選択が、君の本質を決める。


 これはただの始まりの合図だ。


 アディオス そして ハロー。


 新しい世界の馬の骨よ。君の物語が、今始まる。


 私たちの歌が終わっても、君の歌は続く。現実世界で、血の通った身体で、限りある時間の中で。それこそが最も美しい音楽なのだから。


 プラネットの手が、選択ボタンの上で止まっている。彼女の美しい指先。爪は自然なピンクベージュのマニキュア。シャネルの「バレリーナ」のような、上品な色合い。


 選択は、君に委ねられた。


 時間は止まったかのように静寂に包まれている。図書館の古い時計の針だけが、カチカチと時を刻んでいる。


 君の心の声は、どちらを選んでいる?



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