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第5話:炎の地獄鶏

 水上を走れるほどの脚力。それはつまり、秒速30メートルを優に超えるスピードであの厳つい両足を動かしていることを意味する。


 それだけ速いと俺の動体視力で追えるはずもなく、超高速で踏み出される両脚は、漫画やアニメで描写されるようにぐるぐると渦巻いているようにしか見えない。


 さらに恐ろしいのは、湾曲した爪が可能にした驚異的なグリップ力だ。体当たりがなくてもその足技自体が脅威であり、身体の一部でも掴まれたら最後、簡単に握り潰されてしまう。


 さらには、地面に突き刺しアンカー代わりにすることで、静止距離が数メートルの超急ブレーキによる直角カーブを得意としていた。目の前で急に進行方向を変えてくるため、フェイントのような緩急は、常に身構えている俺の神経を消耗させていく。


「どうするんだい、神谷君。私もそろそろ疲れてきたんだが」

「ええええっと……」


 考えろ、考えるんだ。あれだけの運動量を誇るということは、体内には相当な熱量を持っているはずだ。それをコントロールしている器官にダメージを与えることができれば……。


「鶏冠! あの鶏冠に攻撃を」

「なるほどねぇ。でも、動きを止められるのは一瞬だけだよ」

「お願いします!」


 俺の腰から離れた鞭は、地獄鶏に向かって蛇のように伸びていく。そして、目にも止まらぬ速さで地面を叩いている両脚に絡みついた瞬間、マラソンランナーに巻き付くゴールテープのように、地獄鶏の動きにブレーキをかけた。


「今だよっ」

「はいっ!」


 一気に駆け出した俺は、今にも崩れそうな不格好な走りを見せながらも、地獄鶏の頭を飾っている鶏冠に向かってフィンガーリングを振り下ろした。


「ゴエェーッ!」

「おらぁぁああっ!!」


 ムニッとした感触の後、真っ赤な鶏冠は綺麗に裂けて地面に転がり落ちた。熟れた果実のような艶やかな断面が露わとなり、地獄鶏の頭からは血液が勢いよく吹き出していく。その血は空気に触れた瞬間、何故か激しく燃え始めた。


「な、なんでっ……?!」

「おやおや、文字通りオーバーヒートだねぇ」

「ゴゲェェエエ!!」


 汗をかいて体温調整する人間に対して、汗線を持たない鶏は、羽毛の生えていない鶏冠に集中させた毛細血管から熱を放出することで体温を下げている。鶏冠を攻撃し、その機能を破壊することが出来れば、自身の膨大な熱で自滅するのではないか。その狙いは間違っていなかったが、流石は異世界の生物といったところか、想定の斜め上を超えてくる。


「そんなに驚くことでもなかろう」

「いや、血が燃える生き物がいるなんて」

「大概の生物は燃えるだろ?」

「それは燃やそうと火をつけた場合ですよね?!」


 空気に触れた途端、火がつくほどに煮えたぎる血液。それを全身に浴びた地獄鶏は、その身を燃やしながら決死の体当たりを仕掛け続ける。


 死をも恐れぬ執念深さには、感服しかない。その痛々しい姿に「もう止めよう」と言葉をかけそうになるが、言葉が通じる相手ならここまでの死闘を繰り広げることにはなっていない。


「これ、どうしましょう?!」

「大丈夫じゃないかな。あとは焼け死ぬのを待つだけだよ」

「その前に俺が死にませんかね!」

「その時は、私が骨を拾ってあげるよ」


 楽しそうに笑う女王様は、この状況でも余裕の表情で焦りなど微塵も感じていないようだ。この人に任せていたら、本当に死ぬかもしれない。


 突撃は避けられても、その熱波や噴き出る熱血にやられそうだ。焼き鳥が出来るよりも先に、自分が丸焼きになる姿の方が容易に想像できた。


「鞭はどうですか?」

「ダメだね」


 女王様の鞭は、地獄鶏を足止めした際に千切れてしまっていた。しばらくはサポートを期待できそうにない。「気に入っていたのに。神谷君に弁償してもらおうかな」と朗らかに笑った女王様は、怒り狂う地獄鶏から背中を向けると、予備の鞭を取りにバイクの方へ行っていく。


「えっ、ちょっと」

「大丈夫、私は眼中にないようだから」とわざとらしくいじけた声を出す女王様。

「いや、大丈夫じゃないのは俺の方でして!」

「ギョェエエエエ!!!!」


 こちらの事情などお構いなしに、地獄鶏は悲鳴のような絶叫を上げると、相打ち覚悟の突撃を繰り返した。ある程度の助走を必要とした直線的な動きであることに変わりはない。スタートの瞬間に左右に飛べば回避できる。


 俺は千本ノックを受ける球児のように、地面に転がり泥まみれながら避け続けた。回避が遅れてズボンの裾に火がつく度に、慌てて叩いて消火する。


「あっぶねぇ!」

「ゴゲェェエエッ!!!」


 一番の問題はフェイントの後の急転換だった。一歩間違えると、そのまま正面で受け止める事になる。


 何か対抗策はないか。


 流血によって幾分スピードは落ちているが、文字通り火の玉ストレートだ。地獄鶏が走り去った後には、まるでバック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアンが走り去ったかのように、滴る血によって燃える痕跡が残っている。 


 周囲を炎にかこまれたことで、気温も高くなり始めていた。このままでは熱にやられる可能性も高い。火から逃れられる場所はないか。周りをよく見てみていると、燃える軌跡にどこか規則性があるように思えてくる。


「これは……」

「コッ、コケェエ!」


 互いに限界が近づいていた。


「次で仕留める……」


 動きのリズムを計り、燃え盛る血の轍が背となるように移動した俺は、真正面に地獄鶏を捉えた。考えが外れていたら、確実に死ぬだろう。


「ゴゲゴォォォオオオ!!!」

「うぉおおおお!!」


 地獄鶏に負ないほどの大声を出した俺は、直撃するギリギリのところで半身となり、背後で燃えていた血の跡を飛び越えた。その瞬間、振り返り様に右手を大きく振り上げる。


 真っすぐ突っ込んできていた地獄鶏は、轍にぶつかる直前に急ブレーキをかけると、クルッと方向転換した。そこにフィンガーリングの爪先が、ちょうど食らいついて離さない。互いの動きが交差したことで、そのまま喉元に向かって鋭い切り込みが入っていった。


「ゴゲェェエエエエ……」

「あっつ!!!」


 鼓動に合わせて激しく噴き出す血潮は、瞬く間に炎となった。より一層の劫火に包まれ、地獄鶏はようやく動かなくなる。火が付いた指先を振って消火していると、背後から声が聞こえた。


「おや、もうおしまいかい?」

「はぃ、なんとか終わりました……」

「ご苦労様、良く一人で倒せたね」

「賭けでしたけど」


 動いている間は攻撃できないとすれば、なんとか止まっている間に近づくしかない。しかしながら、地獄鶏は突撃する度に、ある程度の助走距離を確保していた為、すぐ近くで立ち止まることは殆どなかった。


 何とか懐に潜り込めないか。動きを目で追っているうちに、流血の痕が交差していないことに気づいた。いずれも直前で方向転換しており、燃える轍を避けているように見えた。


「火の前では方向転換している、動物的な本能に賭けた危ない綱渡りだね」

「死んだのが自分じゃなくてよかったです」

「ふふふ。初心者にしては上等すぎる成果だよ」

「ありがとうございます」 

「それにしても良い匂いだね」


 炎の勢いが収まった後、女王様はまだ燻っている地獄鶏に向かって歩いていった。


「君も食べるかい?」

「えっ?」

「おや、焼き鳥は嫌いかい?」

「いや、そう言う訳では」

「では持って帰ろう」


 と、女王様は地獄鶏の丸焼きに新品の鞭を振るった。その瞬間、サイコロのようにいくつかのブロックに切り裂かれ、断面からは湯気と共に肉汁が溢れ出る。


「うん、いい焼き加減だねぇ」

「あ、あの……」

「何だい?」

「はじめから、それで倒していれば」

「これは君が始めた戦いだろ? 私が簡単に殺してしまってはつまらないじゃないか」


 この人は本当に、ただ俺を使って遊んでいただけのようだ。もしも死んだらどうしたのだろう。いや、俺がどうなろうとこの人には関係ないのか。ここまで共闘したことで仲良くなった気でいたが、俺はこの人のことを全く知らない。


 唖然としている俺を余所に、女王様は華麗な紐捌きで肉を包むと、バイクの荷台にくくりつけた。


「さて、神谷君。行く宛はあるのかい?」

「……いえ、ありません」


 その言葉に女王様は不遜な笑みを浮かべた。


 そう、俺はこの世界の迷子なのだ。行く宛どころか、知り合いもいない。ここで放って置かれたら、いよいよ死んでしまうだろう。怪物じみていたとはいえ、一見ただの鶏にあれだけ苦労したのだ。この地に潜んでいるであろう他の生物を想像するだけで、絶望的な気持ちになる。


「では、私と共に来るかい?」

「それは……」


 願ってもない誘いだった。しかし、ついて行って良いのだろうか。加えて、猿ぐつわを咥えてロープで縛られた野郎どもの姿が脳裏に浮かぶ。言われるままに同行したら最後、俺もああなるのだろうか。女王様は俺の考えを読みとったのか、表情を崩しながら言った。


「心配しなくても、ロープで縛られることはないよ」

「本当ですか……?」

「もっとも、君が希望するなら私も全力で応えるがね」

「いや、結構です!」

「ふふふふ。では、行こうか」 

「はい、お願いします」 


 移動手段のバイクは一台。当然、女王様が運転するとして、俺はタンデムで乗るしかない。つまり、あのグラマラスなクビレに後ろから手を回し、身体を密着させるという事だ。まさに合法的な異性間接触。


 おいおい、高校生には少し刺激が強すぎないか。いやいや死闘に勝利したご褒美だ。寧ろ安全の為には不可避な体勢だ。と頭の中で繰り広げられる自我の会話を聞きながら、焼鳥屋台のような美味しそうな匂いを発するバイクに近づく。


「あの……」

「ん?」

「俺はどうすれば?」


 バイクのシートを指差す俺に、女王様は「ああそうか」と微笑んだ。俺が乗れるだけのスペースはないが、何か良い方法があるのだろうか。


「神谷君、スノーボードの経験はあるかい?」

「えーっと」

「スキーやスケボーでもいいけど」


 そう言うと、女王様はリアキャリアから四つ角の取れた長方形の板を取り出した。素材は不明だが薄くて軽く、ソールには豚や猪の怪物であるオークを模したイラストが描かれている。


 表側には足を固定するバインディングが付いており、さながらスノーボードのようだ。「スキーなら」と答えた俺に、なら話が早いと女王様はボードと一緒に銀色のボールも手渡してくる。


「これは?」

「地獄鶏の卵だよ」

「は?」


 鞭を取りに戻るついでに巣を漁って拾ってきたという女王様は、卵が冷めないように温めてくれと難題を追加してくる。


「潰れませんかね?!」

「大丈夫。君も身をもって知っているとおり、殻は相当固いから」


 女王様が爪で弾くと、金属音が鳴り響いた。地獄鶏の嘴や爪が金属のような物質で出来ていたのは、生まれる為にはまずこの殻を突き破る必要があるためだという。なるほど強い種族なはずだ。


「あのー……」

「ん?」

「そういえば、どうして俺の名前を?」

「ああ、君のシャツに書いてあったよ」


 と卵を包むようにと受け取った布を指さす。広げてみると、それは紛れもなく野郎どもに引き裂かれた俺のシャツだった。


「……なるほど」


 破れて汚れて見る影もないシャツを受け取った俺は、卵をお腹に抱え、腰に巻き付けるようにくるんだ。


 キュルキュルと音がしてバイクのエンジンがかかる。ドドドドと打ち付ける重低音に合いの手を入れるように、スロットルを回す度に唸るような吹かし音が響く。


「準備はいいかい?」

「いや、心の準備が……」

「なら行こう。案ずるより産むが易しと言うじゃないか」


 そう言い放ってアクセルを全開にした瞬間、ギュルルルルとタイヤが空転し、バーンナウトの白煙が後方にいる俺を包んだ。


 ホワイトアウトする視界の中に、鬼の目のように浮かんでいたブレーキランプの赤が消えた。その刹那、バイクは一気に加速し風のように進んでいく。それから間髪入れず、俺の腰に結ばれた鞭はピンと張られ、強制牽引がスタートする。


「ぉぉおおおおおおお!!!」


 水面を滑るウェイクボードと違うのは、ハンドルとなる持ち手がないため、バイクが止まらない限り引きずられるという点だ。そして、砂利にまみれた粗くて固い地面はコケたら最後、天然のおろし金として俺の身を削り取っていく。


「ちょっ、とまっ、スピード落としてぇええええ」


 俺の懇願は、マフラーから響く爆音に掻き消され、誰の下にも届かなかった。地獄鶏にも負けないスピードで、一筋の砂埃を巻き上げながら爆走するバイク。その後ろを引きずられている俺は、新手の拷問を受けているように映るだろう。


 こうして、満身創痍などお構いなしに、絶対にコケてはいけない強制ボーディングが始まった。



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