第4話:鳥突猛進
「くっ……!」
そのまましゃがみ込んだ俺は、両腕を身体の前でクロスさせて衝撃に備えた。グッと全身に力を込め、その瞬間をじっと待つ。
しかし、幾ら待っても吹き飛ばされる事はなかった。
恐る恐る目を開けると、寸前の所で怪鶏が動きを止めている。その赤い目は鋭く俺を見据え、角膜に反射する自分と目が合った。独特の金属光沢を放つ嘴は、俺の頭を丸ごと噛み砕かんばかりに大きく開けられている。
何が起こっているんだ?
まるで時間が止まったかのように、怪鶏は目の前でフリーズしていた。まさか、これが俺の能力だとでもいうのだろうか。土壇場で異能が覚醒するのは、異世界モノのお決まりだ。
時間操作系か?
それともサイコキネシス?
いや、凍らせている可能性も?
発現したかもしれない自分の能力が一体何なのかを考えていると、怪鶏の首元に黒い何かが巻き付いていることに気づく。その先をずっとなぞると、厳ついバイクに跨がる女王様のシルエットが逆光に影を作っていた。
あれは……。
「探したよ、神谷君。ずいぶん遠くまで来てるじゃないかい」
「あなたは……!」
女王様は可憐な動きで右腕を一振りすると、生じた横波が黒い鞭を唸らせる。そして、押し寄せた波動が怪鶏の首を縛る先端にまで到達した瞬間、縛られていた頭がスパンッと弾けると、お湯のように熱い血が辺りに降り注いだ。
「少し見ない間に、傷まみれで良い男になってるじゃないかい」
「あはは、助かりました」
「ふふふ、貸し一つってとこかな」
俺が口には入った血を吐き出している間に、まるで虫でも払うかのように鞭を振るった女王様は、残る三羽を瞬殺してみせた。その強さに安心したのか、ふらっと力が抜ける。
「おやおや、気を抜くのはまだ早いよ。親玉がお怒りのようだ」
「親玉……?」
女王様が睨む視線の先に、最後の一羽が立っている。どうやらこれまで、崖の上から様子を窺っていたらしい。距離はあるが、これまでの個体よりもずっと身体が大きいことは明らかで、親玉に相応しい体格をしている。
身体をブルッと震わせた巨大な怪鶏は、崖を下る勢いも利用して一気に加速すると、砂煙を撒き上げながら接近してくる。徐々に明らかになる全貌。その巨体は殆ど俺と変わらない、いやそれ以上だ。
「デカすぎませんか?!」
「地獄鶏の親玉だからねぇ」
「地獄鶏……?」
小柄な駝鳥を思わせる躯体が、他を圧倒するスピードで突撃してきた。横に飛び退いて回避したが、その風圧に吹き飛ばされて地面を転がされる。無様な格好の俺に対して、女王様は何事もなかったかのように仁王立ちを崩さず、地獄鶏の動きを追っている。これが戦い慣れしている人の余裕なのだろうか。
「次の攻撃が来るよ」
「はっ、はい!」
親玉は助走の勢いそのままに大きな翼を広げると、滑るように空へと舞い上がった。
「鶏って飛べるんでしたっけ?!」
「本気になれば、何だって出来るってことだろう」
「そんな悠長な話じゃなくて!」
大空を旋回した親玉は、再び俺に狙いを定めると一直線に急降下してくる。優れた飛行能力で、女王様の鞭が届かない上空から一撃離脱の突撃を繰り返した。
「神谷君、まだ戦えるかい?」
「正直、結構厳しいです」
「仕方がないねぇ」
もはや満足に自分の脚で動けない俺は、女王様の鞭に繋がれて動きをサポートしてもらうことになった。
「これ、もうちょっと何とかなりませんかね?!」
「贅沢言うんじゃないよ」
首ではなく、腰を固定されているだけマシなのだろう。女王様の意のまま、縦横無尽に振り回される俺は、釣り餌にでもなった気分だ。
「ちょとこれ、楽しんでませんかぁぁ?!」
「あははは、何のことだい?」
平均よりも体格の良い俺を、女王様は片手で軽々と振り回している。あの細い腕の一体どこにこんな腕力が隠れているのだろう。只者ではないことは始めからわかっていたが、まさかここまで凄いとは。
「まったく、埒が明かないねぇ」
「逃げるってのはないんですかぁあああ?」
「おやおや、逃げ腰なんて感心しないなぁ」
「そうは言いましてもぉおおお!」
相手の攻撃に合わせて、右へ左へと振り回された。見方を変えれば、女王様が俺を弄んでいるように見えなくもない。
お仕置きだとでも言わんばかりに、休む間もなく地面を転がされる俺の身体には、幾多の擦り傷が刻まれていく。怪鶏によるダメージよりも女王様からの方が多いんじゃないだろうか。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
「見下ろされるのは気分が悪いねぇ」
女王様の御戯れには、息をつく間もなかった。目が回ってぐわんぐわんと歪む視界に、もはや地獄鶏の姿はしっかりと映っていない。
「さて、神谷君」
「はいぃ……」
乱れた呼吸の合間に何とか返事をすると、微笑んでいる女王様と目が合った。何だか嫌な予感がする。単調な守りに良い加減飽きてきたのか、いよいよ攻めに転じるようだ。今度は何をさせられるのだろうか。身構えている俺に、女王様は無理難題を投げてくる。
「ちょっくら捕まえてきてくれないかい?」
「はいっ?!」
次の瞬間、一際大きな加速度が俺の身体を包み込む。そして腰の縛りがふっと柔らかくなったかと思うと、空高く投げ捨てられていた。
「ちょっとぉおおおお!」
逆バンジーのように上空に打ち上がった俺は、気をつけの姿勢で風を切る。風圧によって瞼を強制的に広げられると、眼下に望む世界が視界に映った。
どこまでも燃えるように赤い荒野に、氷よりも白い台地。蒸気の沸き上がる黒い火口に、光を乱反射する鋼の剣山。そのどれもが地球上の光景ではないことを物語っている。
ここは一体どこなんだという不安と共に、物語の中でしか見たことのない圧倒的な大自然は、感動に近い感情を俺の中に湧き起していた。しかし、絶景に目を奪われている暇はなく、問題はすぐ目の前に迫っている。
「うぉおおおおおおお!!!」
絶叫と共に弾丸のような速度で親玉に追いついた俺は、不意をついてその首回りにしがみつく。悠々と飛んでいた地獄鶏も、まさか俺がここまで来るとは思っていなかったのだろう。
突然の搭乗者に驚いたのか、地獄鶏は一際大きな鳴き声を上げながら左右の翼をバタつかせた。振り落とされまいと、俺はすかさず羽根に足を絡ませる。翼の自由を失った途端、空気抵抗を受けた地獄鶏は簡単にバランスを崩し、俺を首に乗せたまま錐揉み回転で落ちていく。
「ギャァアアアアアア!」
「うぁあああああ!」
絡み合う一人と一匹の悲鳴。揉みくちゃになりながら、一つの塊として地面に吸い寄せられていく俺たちは、まるで大声でも勝負しているかのように、互いに絶叫を浴びせあった。
やばい、このまま死ぬのか?
こいつを下にしたらクッションにできるか?
いや、流石にこの高さじゃ厳しいか?
走馬灯さえ追いつけない速さで、地面がどんどん近づいて来る。そして地面に追突する直前、横から延びてきた鞭に浚われた俺は、車に跳ねられたような衝撃に「ウグッ」と潰れた声を零した。そのまま乱暴に女王様の方へ運ばれると、ズサァーッと勢いよく地面を転がる。
「はぁ、はぁ、生きてる……?!」
思わず手を当てた胸の下で、確かに心臓の鼓動を感じた。背中を預ける固い地面の安心感に、つい先ほどまで飛んでいた空の眩しさが涙を誘いそうになる。何でこんな目に遭っているんだ、と言葉が出そうになった時、顔に影が差し込んだ。
「上出来だよ、神谷君」
「あ、ありがとうございます……」
俺を見下ろしている女王様から、お褒めの言葉を頂戴した。
「さてと、これからが本番だね」
「まさか…」
女王様の視線は、すぐに正面に向けられた。寝転がったまま身体の向きを変えて見てみると、地面に叩きつけられた親玉が、舞い上がる土煙の中でその巨体を起き上がらせていた。
「流石は地獄鶏の親玉、やっぱりタフだねぇ」
「あれほど衝撃でも死なないのか……?!」
まるで爆撃でも食らったかのように、地獄鶏を中心に地面が窪んいる。
「それなりにダメージはあるようだけど」
「ゴゲゴッゴォォォオオオ!!!」
血走った眼で俺を見据える親玉は、相当ご機嫌斜めなようだ。怒り狂った鳴き声を発しながら鋭い爪を何度も地面に打ちつけている。巨体を浮かせていた大きな翼は、地面との衝突で無惨に折れ曲がり、もう飛ぶことは出来ないだろう。
「ゴゲェェエエエエ!!!」
繰り返す威嚇で自分自身を鼓舞し、なりふり構わない精神状態となった地獄鶏は、時速数百キロの体当たりを仕掛けてくる。狙いはあくまでも俺らしく、隣にいる女王様には全く目もくれない。
「この私を無視するのかい?!」
「ゴゲェェエエエエ!!!」
次の瞬間、俺は凄まじい勢いで横に吹き飛んだ。
「なんでぇええええ!」
「こいつの狙いは神谷君だからね」
いつの間にか鞭の先が腰に巻きついている。再び女王様の操り人形と化した俺は、ワイヤーアクションさながらに縦横無尽に地面を駆けた。というのは格好良過ぎる言い方で、正確には床を掃除するモップのように振り回されている。
「あははは。ほらほら、そんなんじゃ当たらないよ。もっと本気を見せてみな!」
「そんなに煽らなくてもぉぉおお!」
「神谷君もぶら下がってるだけじゃなくて、やり返さないと!」
「そうは言われましてもっ……!!!」
もちろん俺だって、ただ操られているわけではない。隙さえあれば、攻撃を仕掛けようとしていた。しかし、目にも止まらぬ速さで走り回る巨体に接触しようものなら、そのまま腕を持っていかれてもおかしくない。自動車にぶつかるような恐怖で中々手を出しきれず、結果として地面ばかりを撫で回している。
「これ、いつまで続くんですか?!」
「地獄鶏はしつこいからねぇ。どちらかが死ぬまで追いかけて来るだろうよ」
「そんなぁあああ」
「しかし、こんなに執着されるとは珍しい。神谷君、何かしただろう?」
「いやいや、俺は何もしてませんよ!」
「おや、私が間違っているとでも言うのかい?」
「んな、滅茶苦茶なぁあ」
「ふふふ、冗談だよ。大方、地獄鶏の縄張りに入ってしまったってところだろうね」
女王様の話によると、ここら一帯は地獄鶏の縄張りになっているらしい。さらに今は年に一度の産卵期であり、気性も荒くなっているとのことだ。
最悪のタイミングでの不法侵入に加えて、子どもたちも殺されたとなると、それは怒り心頭だろう。知らなかったとは言え、最初にちょっかいを出したのは俺だったのか。
「怒りを鎮める方法はないんですか?!」
「ないこともないが、今は無理だね」
「そんなぁぁあ」
「ここまできたら、もう死ぬまで止まらないよ」
「ゴゲェェエエエエ!!!」
狂ったような鳴き声が、今では子を失くした親鳥の悲痛の叫びに聞こえる。しかし俺も、大人しくやられる訳はいかない。所詮この世は弱肉強食、望まずとも知らぬ間に牙を向け合ったとなれば、どちらかが倒れるまで戦うしかない。
「攻撃するにも、動きを止めないと無理ですって!」
「しかしねぇ……」
女王様のバイクで逃げようにも、この速さでは加速しきる前に追いつかれてしまうという。ひとまず俺自身を餌にした持久力勝負を仕掛けているが、地獄鶏は疲れなど知らないのか、意地でも俺の頭を啄ばもうと躍起になっている。
「ほらほら、頑張れ頑張れ」
「ゴゲェェエエエエ!」
「これ以上刺激しないで下さいよ!」
煽るような女王様のセリフに、地獄鶏が怒りの鳴き声で応える。怒りを沈める方法、冷静になる方法と言えば……!
「あっ、あの湖はどうですか?!」
俺の意図をすぐに察した女王様は、暴れ回る地獄鶏の進行方向を湖に誘導した。突撃をかわされた地獄鶏は勢いそのままに、子どもたちを飲み込んだ鏡面の水面へと自ら飛び込んでいく。
「まあ、そうだよねぇ」
「まじかよ……」
果たして、当然のように水面を走ってみせた地獄鶏は、クルッと方向転換するとブーメランのように舞い戻ってきた。