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第2話:黒と白の陣取り合戦


「えっ、ちょっと、やめ!」


 汗に濡れた太い手に胸元を掴まれた瞬間、ワイシャツのボタンが全て弾け飛んでいく。勢いそのままに制服を左右に引っ張られると、無惨にも袖だけが引き千切れてしまった。タンクトップのような恰好になった俺は、「どんな世紀末だよ」と毒づきながらも、ベルトを押さえてズボンだけは死守する。


「お待ちっ!」


 女王様の言葉に、野郎どもの動きが止まる。


「いきなり何なんですか!?」

「お前さん、その痕は……」

「痕? これ? これは……」


 改めて自分の身体を見ると、腕から伸びた雷紋が入れ墨のように上半身にも走っていた。火傷の酷さに改めて自分でも驚きながら、雷に打たれたことを説明しようとした時、空気を切り裂くような咆哮が響いた。


「ヴォォォォォォッ!」

「ッ?!」


 本能的な恐れを感じさせるほどの野生的な咆哮が、野郎どもの野太い声とはまた別の緊張感を高める。女王様たちも、一気表情を変えて警戒態勢に入った。


 やがて地響きが聞こえたかと思うと、荒れた地面が小刻みに揺れ始めた。砂利が音を立て、地面に押さえつけられた顔に飛び散ってくる。


 音が響いてくる方へなんとか首を向けると、陵丘を縁取っていた白い帯が砂埃を立てながらこちらに向かって進行しているのが見えた。


「おやおや、本物のお客様はあっちだったようだね……」 


 今度は一体、何が始まるというのだろう。混乱している俺を尻目に、野郎たちは志気を上げ始めた。バイクのシートに立ち上がった女王様は、拡声器もなしに声を響かせる。


「あんたたちっ、私のために死んでくれるかい?!」

「んおぉぉぉぉおお!!」


 女王様の発破に野太い雄叫びをあげた野郎どもは、黒いブリーフに忍び込ませていた鞭を掲げると、一目散に駆け出していく。俺を取り押さえていた男たちも、我先にと向かっていった。後に残った生暖かい感触に鳥肌を立てながらも、取り敢えず貞操の危機は免れたと安堵の溜息をつく。


「一体何なんだ、これ……」


 目のやり場に困る格好をした女王様と、変態的に躾された男達。そして、突如として始まった大規模な乱闘。「私のために死んでくれるかい」という言葉からして、何かの覇権争いでも起こっているのだろうか。状況は全く飲み込めていないが、随分と特殊な環境に巻き込まれたことだけは確かだった。こんなの俺が想像していた異世界転移じゃない。


 状況から察するに、丘の上から向かって来ている奴らが敵対勢力のようだ。チームの団結力を高めるためか、それとも所有権を主張するためか、相手側のシンボルカラーは白色で敵と味方が一目で判別し易い。山際が白く縁取られているように見えたのは、敵方の構成員が横一列に並んでいたからというわけだ。


 暑苦しい拘束から解放された俺は、両腕を抱きながらゆっくりと起き上がった。一体何処から湧いてきたのか、周りは物凄い数の人間で溢れている。白黒の帯が交差する様は、まるで戦国時代の合戦を観ているかのようで、少しだけワクワクした。


 鋭い鳴き声に空を仰ぐと、紅く燃える怪鳥が荒れた大地に影を走らせていた。地球上では見たことのない生き物に、その姿を目で追いかけていると、肉と金属がぶつかる鈍い音や無数の悲鳴が聞こえてきた。


 先頭部隊が衝突し、いよいよ乱闘が始まったらしい。グループ間の抗争というものは初めて見るが、これほどまでに加減をしないものなのだろうか。負傷した野郎どもが早速仲間に担がれて運ばれてくる。


 怪我の酷さに絶句し、警察沙汰じゃすまないぞとドン引きしてしまう。顔を歪ませている野郎どもの表情に、こちらまで苦しくなってきた。


 やがて珈琲とミルクを混ぜるように、各陣の構成員たちが徐々に入り乱れ始めると、直ぐ近くでも白陣兵を見かけるようになった。


 上半身は裸で白い袴下を身につけ、その手には鉄製の鉤爪が握られている。どうやら構成員たちは上裸であることが両陣の共通事項らしい。


 白陣兵たちは、海外のプロレスラーが扮しているのかと思うほど屈強な身体をした男たちだった。筋骨隆々の肉体は、健康的な小麦色に輝いている。


 対する黒陣兵の野郎どもは、その豊満な身体をロープで縛ることで筋肉に見立てるという何とも恥ずかしい体型だ。


 どちらが強そうかは言うまでもなく、野郎どもはワンツーマンを基本戦術として対戦しているが、大人に飛びかかる子供のように振り回されている。数が多くても圧倒的な戦闘力の差は、中々埋めることが出来ないようだ。


「アラクネの率いる兵と聞き期待していたが、こんなものか?」

「んぐぅぅぅっ!」


 挑発された黒陣兵たちが、白陣兵に向かって鞭を振り回す。音速を超えるテールが甲高い破裂音を響かせ、打たれた肉体には赤い裂傷が縦横無尽に駆け巡る。


 しかしながら、殆どダメージは与えられていないようで、不敵な笑みを浮かべている。鞭の動きを見極めた白陣兵は、ロープが腕に巻き付いた瞬間、素手で掴んで攻撃を封じる。そこにすかさず他の野郎どもが一斉に鞭を打ちつけると、身体をぐるぐる巻きにして拘束を試みた。


「はっはっは、良いぞ! ここからどうする?」

「ぐほぉぉおおお!」


 闘争に参加している兵士たちの顔は、皆恐ろしいほどに真剣で、遊びでやってる訳ではないことが伝わってくる。下手に弄ったり、邪魔したりしようものなら激怒して殺されてしまいそうだ。


 こんな所に突っ立っていては、いずれ巻き込まれて怪我をしてしまうかもしれない。横にいる女王様は、戦況の推移に集中し、俺のことは忘れているようだ。この隙にこっそりと移動しよう。


 野郎どもは白陣兵が放つ禍々しい威圧感にすっかり怖気づきながらも、自らが崇拝する女王様の為にと、何とかしがみつき応戦している。


「ぐぐぐっ!」

「ほらどうした、もっと頑張れ!」


 何度引き剥がされて地面に転がろうとも、野郎どもは立ち上がって向かっていく。その姿が例え、肉食獣にたてつく豚のようであったとしても、命を賭してまで守りたいものなど無かった俺には、どこか眩しく映った。


「ダメだダメだ、もっと血を流せ! もっと楽しませろ!」


 拘束されていた白陣兵は、高らかな笑い声を上げると、全身に力を入れ始めた。すると、巻き付いていたロープがミチミチと音を立て、鞭を持つ野郎どもの表情に焦りが浮かぶ。そして遂には弾けるように引き千切れ、力技による脱出を成功してみせた。


 いよいよここも危ないようだ。


 足早に退散しようとした時、躍動する白陣兵の黒光りした肉体が一際大きく膨らんだように見えた。そして次の瞬間、腰にしがみついていた野郎を捕まえた白陣兵は、腕につけた鉤爪でその頭を三枚に切り裂いてみせる。


 ……えっ?


 頭を失った男の身体が糸の切れた人形のように地面に崩れ落ち、たちまち血の池を湧かせる。


「何だよ、これ……」


 爪に着いた血を舐めとった白陣兵は、二ヤリと不気味な笑みを浮かべると、鉤爪を持ち直した。


 一体何をする気だ。


 その意図はすぐに明らかとなる。脚を広げて腰を落とした白陣兵は、腕を大きく振りかぶると、水切りでもするかのようにアンダースローで投げつけた。


 投擲された鉤爪が空気を切り裂きながら飛んでいく。鋭い金切音が鳴り響いた瞬間、石が川の水面を跳ねるように、野郎どもの頭が次々と宙を舞う。追従して弾じける水飛沫は、赤く鉄の匂いを発していた。降りしきる血の雨と断末魔の叫び声。主を失った重たい身体が幾つも倒れる。


 そして、弧を描く鉤爪の軌道には俺も含まれていた。迫り来る恐怖に、尻餅をついたことで運よく直撃は免れたが、掠った左腕には大きな切傷ができて血がにじむ。


「あぁ……」


 異世界転移だとか、変態たちの覇権争いだとか、そういうことを真面目に考えていた訳じゃない。

 ただ、落雷のショックで気を失って、少しリアルな夢でも見ているんだろうと思っていた。

 そのうち目を覚まして「変な夢だった」なんて笑いながら、いつもの日常に戻るのだと、そう思っていた。


 それなのに……。


 ジンジンと痛みを発する傷口が、これは夢ではないことを告げている。


 ここで行われているのは、どちらが強いかを拳で語り合う生易しい喧嘩なんかではなく、相手の命を迷わず奪う本物の戦闘だ。そして俺は、血で血を洗う戦場に紛れた只の傍観者だ。ここには敵も味方もいないが、それつまり、両陣営を相手にしなければならないということに等しい。


 戦場には敵か味方の二通りしかなく、味方でないのならば、それは即ち敵を意味する。迷子だからといって、見逃してくれるなんて事はないだろう。


 圧倒的に不利な状況に、命の危機を察した俺は戦略的撤退を迷わず選択した。とは言え、どこが安全な場所なのか皆目検討もつかない。しかし、立ち止まっていては、またあの爪の餌食となる。とにかく今は、人がいない方へ全力で逃げるんだ。


「はぁ……、はぁ……」


 背後から聞こえる悲鳴に心を殺されながら、俺は本当の限界が来るまで足を動かし続けた。何度躓いて転ぼうとも、心臓が激しく動いている限りは、起き上がって走り続ける。


 死にたくない、死にたくない、死にたくない!


 脳裏に刻まれ鮮烈な光景を思い出さないように、ただ前だけを見て全速力で駆けた。しかし遂に、脇腹の張り裂けそうな痛みと苦しい呼吸に耐え切れなくなり、足が止まってしまう。これ以上は歩くことも厳しかった。


「もう無理だっ……」


 体育の授業をもっと真面目に受けていれば良かったとか、運動部に入っていれば良かったとか、様々な後悔が浮かぶ中、全身で呼吸をしながら地面に倒れ込む。


 限界を迎えた脚には力が入らず、生まれたての子鹿のようにプルプルと震えている。戦場の喧騒は聞こえないが、ここが安全な場所まで逃げられたのかはわからない。


 死守したズボンもボロボロで、身体のあちこちに血が滲んでいる。戦場で切られた腕は傷は浅かったのか、それとも綺麗に切られたからか、既に出血は止まっていて瘡蓋ができていた。


 しかし、このままでは衛生的にまずいだろう。ふとした拍子に傷口が開いてしまう可能性もある。ハンカチを取り出して患部に巻き付けてみると、白い生地がたちまち朱色に染まった。


 手当てはこれでいいのだろうか。消毒とか、場合によっては縫合も必要なのでは。血の匂いを意識した途端、白陣兵に殺された野郎どもの死に際が頭を過った。恐怖と苦悩に満ちた表情、西瓜のようにクシャッと切り裂かれる鋭い破裂音、そのシーンが鮮明に蘇り、強烈な吐き気を催した。


「ぅおえぇぇぅっ……」


 胃袋の痙攣が収まると、少しだけ落ちつきを取り戻すことができた。この胃酸の苦味も腕の傷の痛みも、俺がまだ生きている証拠だ。


 まだ死ねない、まだ死にたくない。


 これは夢ではなくて現実だ。隙を見せたら殺されるかもしれない。一体何故とか、どうして俺がとか、今は理由なんてどうでもいい。冷静に受け入れられなくても、常に最善策を考えろと、俺は自分に言い聞かせた。



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