第23話:パンダを求めて
「お待たせ」
「待ちくたびれたぞ!」
「すみませんね」
寝床にしていた樹木の下に戻ると、手のひらサイズの巨大なキノコの上で涼んでいるかぐや姫が出迎えた。その横で料理の準備に勤しむ千鶴は、焚き火を燃やしている。
「これ、食べられるかな?」
「お疲れ様でした。朝食の準備にかかりますね」
メイド服の袖を捲り、釣ってきた魚の下調理に取りかかろうとした千鶴は、籠の中を覗くと驚きの声を上げた。
「これ、どうしたんですか?!」
「あ、これ? ひとまず鰻みたいなやつが捕まらないかなと思って罠を仕掛けたんだけどさ、中を確認した時に一匹には絡みつかれちゃって」
と俺は金色のブレスレットを見せた。しかし、千鶴の意識は籠から逃げようとしている鰻擬きの方に向かっている。
「神谷さん。この鰻、洗浄液の素材のひとつですよ!」
「そうなの?」
「はい、この青緑の粘液が補色になって、赤みを打ち消すんです」
ド派手な見た目だが、鰻の一種である事に間違いはないようだ。その上、探していた素材の一つとは。
「おお、それはラッキー」
「となると、残る素材はあと一つ。レーサーパンダの胃液ですね」
「ん? レッサーパンダなら知っているんだけど」
首を傾げる俺に、千鶴はレーサーパンダについて説明を始めた。レーサーパンダは文字通り、レーサー並みに足の速いレッサーパンダらしい。熱帯林に生息し、小さな身体を隠すように樹上の上で暮らしているが、外敵に見つかるとフォーミュラのような速さで逃げていくそうだ。
「捕まえるのが大変そうだね」
「罠を仕掛ければ何となりますよ」
一般的なレッサーパンダは、背面が赤褐色で腹面や四肢が黒い。それに対してレーサーパンダは全身黒いのが特徴だ。促されて図鑑を見てみると、白黒反転させたパンダのようなイラストが描かれている。正直、あまり可愛くはない。
「こいつの胃液が必要と」
「はい! 目を回して嘔吐させるんです」
「中々ハードなことをするのね」
鰻擬きの粘液を容器に移し終えた千鶴は、アイスピックを手に持つと、素早く鰻擬きの目に突き通した。途端に動かなくなった鰻擬きを適当な木に打ち付けて真っ直ぐにした後は、筋肉と骨をナイフでゴリゴリと裁ちながら器用に捌いていく。
緑色の表皮に対し、その中は見慣れた白身なので捌いてしまえば普通に美味しそうだ。蒲焼きにでもして頂きたいが、ここには肝心のタレがないので他の魚と一緒に蒸し焼きにした。切り株を使った即席テーブルに並べると、何もしていなかったかぐや姫が、いの一番に食べ始める。
「筋肉が発達している種類なので、ちょと食べにくいかもしれません」
「中々の美味ぞ」
どうやらかぐや姫もお気に召してくれたらしい。火の通った白身魚はホロホロと崩れるよりもプリプリとした食感だ。
「食べ応えがあるから俺はこっちの方が好きだな」
「それは良かったです」
食事をしながら今後の予定について話していると、これまで集めた素材を保存している瓶を見ながらマユリが口を開く。
「つまりは、千鶴ちゃんを助けたは良いものの全身を赤く染色してしまったと。それで洗浄液を作るために森に入ったわけだ」
「そうなんです。ちょっとしたピクニックのつもりだったんですけどね。まさかこんなことになるなんて」
千鶴はそう言っているが、想定通りでも結構ハードな内容じゃないか?
俺の赤く染まった肌を指差しながら、かぐや姫は言葉をもらす。
「なんと、鬼の子ではなかったのか?」
「……鬼の子?」
「この世界には鬼と呼ばれる生物が生息していて、赤い肌を持つ種類がいるんです」と千鶴は図鑑を開く。
種族によっては見た目が殆ど人間と変わらない者もいるそうだが、総じて身体能力がずば抜けているらしい。古くより人と交わった種族は特に鬼人とも言われ、共通言語も使う。
「なるほど。でも残念ながら俺は普通の人間だ」
「普通、のね」と繰り返すかぐや姫。
確かに、こんな世界では何が普通なのか分からない。寧ろ普通よりも劣等的存在なのでは? 千鶴も一見すると普通の人間のように見えるが、驚異的な身体能力を有している。もしかして違う人種なのだろうか。俺が自分の存在について考えている間にも話は進んでいく。
「素材を集めてる最中にかぐや様を見つけたんですけど、そのすぐ後にスカルベアーやローンウルフにも遭遇して」
「それで洞窟内に逃げ込んだわけか」
「はい。その後はご存知の通りです」
蒸し焼きにした川魚をちまちまと食べていた俺は、これまでの出来事を振り返りながら、ふと大事なことを思い出した。
「あっ!?」
「どうしました?」
「ピーツはどうなった?」
俺の言葉に、飼い主である千鶴も今思い出したようだ。しかしながら「すっかり忘れてました」とあっけらかんとしている。
「ピーツとは何ぞ? 食べ物か?」とかぐや姫。
「違いますよ。私が飼育しているゴジュウカラという小鳥です」
「あの笛を吹けば、呼べるんじゃない?」
「それがですね……」と千鶴は言葉を濁す。
「どうした?」
「肝心の鳥笛を落としてしまって」
森でスカルベアに襲われた際、イヤリングにしていた鳥笛を紛失したらしい。新しく作るにしても、専用の材料や道具が必要な上に、音色の調整も一筋縄ではいかない。
「指笛も使えるんだよね?」
「広範囲には響かないので、呼ぶのは難しいでしょうね」
「そうか」
「でも、自分の縄張りに戻っていると思うので心配ないですよ」
朝食を終えた俺たちは、最後の素材であるレーサーパンダを探して出発した。その前にまずは、自分たちの現在地を確かめるために、ひたすら標高の高い方を向かって歩いていく。
大小様々な植物が群生する森の中では、どっちに向かっているのかわからなくなる。コンパスもあるが特殊な岩石や磁場の影響で使い物にならないそうだ。
一般的に水は高いところから低いところへと流れる。この物理的な性質がこの世界でも変わらないのなら、川の上流に向かえば自ずと山頂に着くのではないか。話によると、土地によっては水が下から上へ登る滝もあるらしいが、ひとまず鰻擬きを見つけた真緑の川を上流に向かって進むことにした。
「結構登ってきたな」
「なるほど、どうやら山の反対側に出ていたようですね」
山頂ではないが開けた草原で辺りを見渡した千鶴は、左手に見慣れた地形を見つけると、ここが山の西側であることを確かめた。スタート地点は南東側なので、地下の洞窟を通ってほぼ真逆まで来たことになる。西側方面までは、千鶴も行ったことがないそうだ。
「これからどうする?」
「レーサーパンダの生息地は南側なので、このまま南下しましょうか」
ローンウルフが山の東側、スカルベアが北側に生息地しているように、山を囲むように様々な生態系が作られている。南側には見上げるほどの巨大な樹木が多いことから、そこに巣を作る鳥類も怪物並みの大きさだ。そして、巨大な捕食者から逃れる為に身体を小さく進化させた生物も多く存在している。その代表がレーサーパンダであり、警戒心が強いのでよっぽどのことがない限り襲ってこないと千鶴は言っていた。
「それで、レーサーパンダはどうやって見つけるの?」
「果実や昆虫が好物なので、それを集めて罠を作ります」
レーサーパンダは兎に角足が速いので、捕まえても振り回されることが殆どらしい。油断して近づくと高速で動く足の連続ヒットを喰らい、一瞬でKOされる人も少なくない。ということで、粘着シートのような罠を使って動けなくするそうだ。
「肝心のシートは?」
「鮮度が命なのでその場で作ります」
「材料はどうするのじゃ?」
「集めるのが面倒なもの以外は持ってきましたよ」と千鶴。
材料は大きく5つだ。まずはベースの粘着性と保湿性の素材として蜂蜜。そして耐水性と柔軟性を向上させる蜜蝋。これは道中でゲットした。
さらに粘着力の強化や安定剤として加えるアラビアガム。これはアカシアの樹液から作られる物で、千鶴が予め持参していた。粘度調整や保形剤として加えるイネの精米副産物も、ピーツの餌として千鶴が持参していた米粉を使う。最後にゲル化や粘度調整のために加えるペクチンは、柑橘類から抽出する。
「それじゃあ柑橘類を集めればいいのか」
「そうです。ついでに撒き餌にもなりますからね」
「わかった」
俺とマユリでライムやグレープフルーツのような柑橘類を集め、千鶴が皮を剥いていく。ある程度の量が溜まったら、アルベドと呼ばれる白い部分を細かく刻んでいく。そこに水と少量の酢を加えて加熱し、一時間ほど煮込む。煮汁を布で濾してペクチンを含む液体を取り出したあとは、千鶴が持参していた消毒用エタノールを加えてペクチンを沈殿させる。
「科学の実験みたい」
「まだまだこれからですよ」
材料が用意できたらいよいよ粘着材作りだ。まずはペーストのベース作りとして、鍋に蜂蜜と米粉を入れて弱火で加熱する。とろみが出てきたら、粘着強化素材としてアラビアガムとペクチンを加える。粘度が均一になるまで混ぜながら加熱し、耐水性の付与として蜜蝋を加えて完全に溶かす。最後に冷ましながら薄く均一に伸ばして乾燥させると、ペースト状の粘着シートとして使用可能だ。
「こんな感じですかね」
「思ってたよりも量が少ないんだけど足りる?」
鍋一杯の液体を煮詰めて、最終的には500ml程度の金色の液体となっていた。
「この粘着液は冷めると伸びなくなるので、温かいうちに広げることが肝心なんですけど、今回はそのまま地面に散らしていきます」
「というと?」
「離れててくださいね」
攪拌のために使っていた木の棒を頭上に向けた千鶴は竹トンボを飛ばす要領で素早く回転させる。すると遠心力で四方八方に散らばった粘着液は、綿菓子のような細かい繊維に変わってふわふわと辺りに広がった。今回はシート状で使うのではなく、広範囲に網を張るように仕掛けていくようだ。
「こんなに細くて大丈夫なの?」
「それなりに強度もあるので」
粘着液の延性が落ちてきたら鍋を再び温め、1時間ほどかけて仕掛けを散布することができた。
「あとはレーサーパンダが来るのを待つのみです」
木陰に身を隠した俺たちは、小さな獲物がやってくるのを待った。




