第20話:地底湖からの脱出
「つまり、この中から杖を探し出せと?」
「そういうことです。最近物が増えて困っていまして……」
ここから脱出するには、まずはマユリが持っていた杖を見つけ出す必要があるという。見渡す湖には様々な武具の他にも、家具や衣類、何の生物かわからない骨などが転がっている。長らく使っていなかったせいで、どこにあるのかすっかり分からなくなったらしい。
「大事なものならちゃんとしまっとけよ」
「返す言葉もない」
「水深が下がっているからまだ探しやすいですけど、見つかりますかね?」
少し探っただけでも、斧や刀、鍋に椅子など、関係ないモノばかりが引き上げられる。年代も形状も様々で、骨董的に価値がありそうな物も多い。しかし、探しているのは二匹の蛇が絡み合う意匠の杖で、
この湖の底に眠っている雑多な投棄物の中から探し出せるのだろうか。
しばらく三人で手分けしていたが、見つかる気配は全くない。湖底を攫っていると、どうしても泥が舞い始めてしまい徐々に水が濁ってくる。視界が悪いと作業効率にも影響してくるため、リフレッシュが必要だ。
「ちょっと休憩しよう」
「そうですね。別の方法も考えた方がいいかもしれません」
湖から上がった俺たちは、リュックから水筒を取り出した。貴重な水分もだいぷ少なくなっている。ペースを考えながら口を潤していると、湖の上にいるマユリが目を輝かせてこちらを見ている。
「それは……?!」
「朝採ってきた湧き水ですけど」
「飲みたいのか?」
確かにここの水は飲めるような状態ではないが、妖精のような存在の彼も水に飢えることがあるのだろうか。千鶴がコップに注いで手渡すと、マユリは一気に飲み干した。その瞬間、ぼろ切れのような身体から眩い光が放たれ、辺り一面が神聖な空気に包まれる。
「ど、どうした?!」
「うはぁぁ生き返るっ……!!」
「えぇぇ……!?」
閃光で地底湖をミラーボールのように照らしながら、風に吹かれたようにローブをはためかせているマユリは、みるみるうちに本当に若返っていった。乾き切ってぼさぼさだった長髪は、流れる水のような艶めきを取り戻し、ツチボタルの光を反射して白銀色に輝いている。
皺だらけでよぼよぼだった老け顔も、内側の細胞から潤いに満ちていくと、弾けんばかりのきめ細やかな艶肌になった。髪をかき上げて露わになった顔つきは中性的で整っており、切れ長の瞳は湖の底を覗き込んだような深い青色に染まり、薄く引かれた唇は上品さと知性を添えていた。
「別人じゃん……」
「少しだけ力が戻ったようです」
湖の主として本来の美しさを取り戻したマユリは、その力も回復したらしい。今なら在処がわかると両手を正面に出したマユリが、眼を閉じて神経を集中させる。すると静かな呼吸に呼応するように湖が光を帯び始めた。
「見つけた!」
マユリが掌を握り閉め、腕を上げるのと同時に、何かが水面を揺らせて浮かび上がってくる。そのままこちらへ飛んでくるのかと見守っていたが、しばらく待っても動きがない。
「今はこれが限界みたいです」
「っなんだそれ」
「神谷さん、急いで回収に行かないと」
俺は慌てて湖に入り、再び水の中に沈みそうになっている杖に手を伸ばした。金色の支柱に緑色の蛇が二匹絡まっている杖には微かな浮遊感があり、重厚な見た目に反して扱いやすい軽さだ。水流をイメージしたような繊細な模様が施されており、唯一無二の存在感がある。
「これが探していた杖?」
「ええ。本来の姿ではないですが」
マユリは手にした杖を一撫ですると、ゆっくりと横に振った。そして、杖の先から水の滴が零れるように光の粒が湖に落ちると、水が噴水のようにせり上がって螺旋階段を形成していく。
「おおぉ!」
「さあ、行きましょうか」
「行くって、マユリも?」
「ええ、ここにはもういられません」
確かに死んだような湖にいても仕方ないかも知れない。お宝も眠っているのだろうが、余計な荷物になるから諦めた。
水の階段は天井に空いた穴まで続き、踏みしめる度にゼリーのように震えた。ツチボタルに触れないように気を付けながら、俺たちはマユリの後をついて登っていった。マユリの力によって洞窟の通路に戻ると、出口を探して歩き始める。
「でもさ、マユリは湖にいなくてもいいの?」
「別の水源に行くまでの少しの間なら平気ですよ」
「そうなんだ」
「マユリさんは、あの湖から出たことはあるのですか?」
「ええ、もちろん。出たというか、ここには転勤で来たようなものですけど」
「転勤……?」
マユリが以前いた湖はそれこそ森の中にあり、いかにも神聖な感じの場所だったという。そこでも同じ様なことをして湖を守っていたが、水源が枯渇して住めなくなったらしい。
「それじゃあ、他の湖や泉にもマユリさんのような存在が住んでいるってことですか?」
「そういうことになりますね。まあ、数は限られていますが」
迷路のように入り組んだ洞窟内の道を進んでいく。デスワームによって地形は日夜変わり続けているが、古い道にさえ出ることが出来れば何とかなるとマユリは踏んでいた。
「にしても暑いなぁ」
「そうですねぇ」
狭い洞窟内を歩いている所為か、否応にも大粒の汗が流れ落ちる。湿度も高いので蒸し暑く、熱中症にでもなったかのようにボーっと視界が狭くなる。何かがおかしい。俺たちは立ち止まって周りを確認することにした。
「確かに、気温が上がったみたいですね。どうしてだろう」
「地熱かな?」
「いや、そんなに地中深くまで降りた感じはしないけど」
立ち止まった千鶴は、スンスンと鼻を鳴らした。マユリは地面に掌を近づけ、何かを感じ取っている。水を飲んで渇きを潤すが、サウナの中にいるような感じで耐えられそうにない。
「なんか、焦げ臭くないですか?」
「ん?」
「確かに、何かが焼けてるような臭いがしますね。地面も温かい」
しゃがみ込んで地面を確認してみると、オオコウモリの排泄物が堆積して固まった地面からは確かに熱波を感じる。
「何か聞こえません?」
「何が?」
一般人の俺は、感覚の鋭い二人が何を察知しているのかさっぱりわからない。その時、後方からバサバサバサと空気を叩く無数の羽音が響いてきた。
「何だ、何だ?!」
「オオコウモリです!」
「キィーキィーッ!!」
逃げようにも間に合わないので、頭を抱えてしゃがみ込んだ。その上を無数のコウモリたちが飛び去って行く。ランタンの光に影を躍らせながら飛翔するコウモリたちは、俺たちのことなど見えていないかのように過ぎ去った。
「……襲ってきた、わけじゃない?」
「ええ、何かから逃げていたような……」
「まさか」
振り返ると、真っ暗な暗闇の向こうに小さく揺らめく暖色の光が見えた。それは徐々に大きくなり、燃え盛る火の玉として近づいてくる。
「何だあれ?!」
「デスワームですかね?」
「燃えてるよな?」
「燃えてるますね」
デスワームは、その身を包む炎を岩壁に擦り付けて消そうとしているかのように、悶え狂いながら後を追いかけてくる。俺たちは来た道を戻るように走り始めた。
「なんで燃えてんだ?!」
「お二人とも、どうやってあの湖に来たのですか?」
「えっと、それは……」
俺たちは、四方を囲まれた危機から脱するために地面を爆破したことを伝えた。するとマユリは「なるほど」と一言こぼし、この洞窟の構造について話始めた。
洞窟の内壁には石炭が含まれており、果実を主食とするオオコウモリが生息することからアルコール成分を多く含んだ堆積物も幾重にも重なっている。つまり、着火源さえあればいつでも火が付く状態だったのだ。炎は必ずしも、目に見える状態とは限らない。俺たちが起こした爆発をきっかけに、洞窟内へと静かに燃え広がったのだろう。
「だから暑かったのか」
「キィーキィーッ!!」
入り組んだ洞窟を逃げ回っていると、同じように見えない炎に追われたコウモリが飛び交う交差点に出た。どこもかしこもパニック状態で、ネズミのような小動物も地面を走り回っている。
「どうしますか?! 酸素も薄くなっているような気がしますけど!」
「コウモリを追いかけよう」
オオコウモリはここを寝床にしているだけで、食べ物は洞窟外へ探しに行っているはずだ。ならば、彼らが逃げる方向は外に繋がっているに違いない。飛び交うコウモリの後を追い、デスワームに追いかけられながら、俺たちは狭い洞窟内を駆け回った。
「あっ、見えてきましたよ!」
「よかった、外だ!」
とホッとしたのも束の間、先導していた千鶴が一瞬にして姿を消した。
えっと思った時には、まるで階段から足を踏み外したように、俺もストンと暗闇に飲み込まれていた。目の前に漸く現れた外の光に夢中になっていたばかりに、俺たちは足元にぽっかりと口を開けていた大穴に気づかなかった。
……
どうやら小型のデスワームが掘り進めていた穴らしい。その長いトンネルを滑り台のよう滑り落ちて行く。一体どこまで続いているんだろうか。天井には流れ星が降っているかのように、光の線が掛っていた。
恐らく土ボタルが寄生しているのだろう。綺麗な閃光に手を伸ばしそうになるが、電撃が走る事を思い出して手を引っ込める。最後には蚯蚓が口を開けて待っていたりして、なんて最悪の想像が頭を過る。
それから空間に放り出された後、バシャンと音を立てて水面に叩きつけられた。水の中に入るのは本日何度目だろうか。辺りは相変わらず暗闇で、ランタンの灯りのみが頼りだ。
「二人とも大丈夫か?!」
「大丈夫です」
「むしろ最高の気分ですね」
「……ん?」
見るとマユリの神々しさが限界を突破している。どうやら、地殻変動などによって地底湖から行き場を失った地下水は、新たにこの空間に貯まるようになっていたらしい。新鮮な水を得たマユリは、力を回復させると、若さを取り戻していた。
「これで一気に脱出できますよ」
「えっ?」
「神谷さん、サンドボードを敷いてください」
マユリの指示通りに、俺と千鶴はソリでもするかのようにサンドボードの上に座った。そのまま滑り降りてきたトンネルに向かって待機していると、テンションを上げたマユリが杖を振りかざして呪文を唱えている。
「しっかり掴まって!」
っ?!
「うわぁああ!!」
マユリの杖が青色の光を放った瞬間、水面が突沸したように湧き上がる。そのまま上昇する水面に背中を押された俺たちは、水流と共に勢いよくトンネルの中を滑り上がっていく。水と一体化したマユリが俺たちを加速させ、遂には洞窟の中から飛び出した。




